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流通側が握る家電の価格決定権 メーカーは取り戻せるか|【特集】価値を売る経営で安いニッポンから抜け出せ[REPORT-価値の「つくり方」1]

バブル崩壊以降、日本の物価と賃金は低迷し続けている。 この間、企業は〝安値競争〟を繰り広げ、「良いものを安く売る」努力に傾倒した。 しかし、安易な価格競争は誰も幸せにしない。価値あるものには適正な値決めが必要だ。 お茶の間にも浸透した〝安いニッポン〟──。脱却のヒントを〝価値を生み出す現場〟から探ろう。

「家電の値段は毎年下がる」のが常識という日本の商慣行。良い製品をつくり続けるため、ついにパナソニックが動いた。

文・多賀一晃(Kazuaki Taga)
生活家電.com主宰
1961年生まれ。慶應義塾大学理工学部卒、同理工学研究科修了。大手メーカーにて商品開発・企画を担当後、独立。現在、商品企画コンサルティング ポップ-アップ・プランニング・オフィス代表。


 一時代をつくったスーパー「ダイエー」の創始者、中内㓛氏。信念は「価格の決定権をメーカーから消費者に取り返す」ことだった。「価格破壊」というワードが、彼の代名詞として使われた。この〝流通の革命児〟と長年にわたり戦ったメーカーがある。〝経営の神様〟とも呼ばれた松下幸之助氏率いる松下電器(現パナソニックホールディングス)だ。時は、昭和の東京オリンピックが開催された1964年。この頃の製品は「定価(現金正価)」販売。メーカーが指定した価格で、店も販売することが当然だった。「定価」は強制力のある価格で、値引かない価格を意味する。

 64年、ダイエーは「ナショナル」ブランドのカラーテレビを、20%引きで店頭販売した。これを受け、松下はダイエーとの取引を停止。定価販売しないダイエーを松下が罰したのと同じことだ。「価格は消費者が決める」とした中内氏に対し、松下は定価を守るため、強権発動、制裁を加えた形になる。

 これが、いわゆる「ダイエー・松下戦争」の始まりである。公正取引委員会(以下、公取)は66年12月、松下、三洋電機、東芝、早川電機(現シャープ)、日立、三菱電機の6社に対し、「共同して国内向けのカラーテレビならびに白黒テレビの製造業者の最低販売価格を決定し、実施している」として排除勧告を出した。64年以降、各社の専務クラスで行われてきた「パレス会」、テレビの販売部長などで構成された「十日会」が疑われたのだ。

 6社に対し排除勧告が行われた翌年、松下は単独で、公取から再販売価格維持契約類似行為を中止するように勧告を受ける。値引きを行う販売店への出荷規制を指示していること、販売店への仕切り価格をコントロールし、リベート額も指示していること。これが独占禁止法に抵触するとされた。

 松下が販売店と「共存共栄」するための販売施策だが、ダイエーのような〝部外者〟からすると、それは競争しておらず、市場を独占しようとしているように見えたわけだ。公取も同じ考え。事実、ダイエーは、審判で、公取側の参考人として証言している。

 審判中、松下は、ただ単に価格を下げて過度な競争を行うのではなく、永続性のある市場を創出するための措置と主張し続けた。結審は、71年7月。松下は指摘されたところを改めることになった。以降、定価という値引きを認めない価格から、流動性のある価格へと変化していく。

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