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持続的社会モデルの実現へ 「熟議なき日本」から脱却のとき|【OPINION】

コロナ危機を通じて、世界で社会の分断や連帯が表面化し、持続的な社会のあり方が問われている。日本でもコロナ後を見据えて、持続的な社会モデルの国民的議論が必要だ。

文・藤城 眞(Makoto Fujishiro)
SOMPOホールディングス 顧問
東京大学教養学部(国際関係論)卒業。大蔵省入省。フランス国立行政学院、アフリカ開発銀行理事、主計局主計官、主税局税制第三課長、内閣官房行革事務局次長、理財局・関税局審議官、東京税関長、東京国税局長などを経て現職。

 わが国は低金利と赤字財政のマクロ政策を続けている。しかし、2%のインフレはなかなか実現せず、これを奇貨として赤字財政が肯定されている感もある。各種の無償化をはじめ政府のテリトリーは拡大しているが、税負担については、マスコミも政治も語ることは少ない。「空気を読まない」発言扱いが関の山だろう。

 当面こうした状況が続くとしても、インフレ目標などの達成が究極の目的ということではあるまい。

 私たちはどこに向かっているのか。この先に私たちが望んでいる社会は広がっているのか。そもそも私たち日本人はどのような社会を求めているのだろうか。

 デンマークの社会学者エスピン・アンデルセンによれば、社会の形は、アメリカなどの「自由主義」、北欧などの「社会民主主義(以下「社民主義」)」、そして日本などの「保守主義」の3つのタイプに分類できる(下表)。

3つの社会モデル

 「自由主義」(低負担低福祉)は、「頑張れば上に行ける」という階層間の移動可能性を前提とし、機会の平等と自助をベースに自由競争に任せるシステムである。格差は各人の努力の結果とされ、ボランティアや寄付などが奨励される一方、政府の介入や税負担は小さい。

 「社民主義」(高負担高福祉)は、社会保障が医療や年金などの保険分野に留まらず、失業、離婚、育児、学び直しなどへの自立支援や積極的労働政策にまで及ぶものだ。生活に安心感があるが、税負担は高く(スウェーデンの消費税率25%)、政府の信頼と透明性も不可欠だ。

 「保守主義」(中負担中福祉)は、いわばその中間にある古典的モデルだ。家族や地域の助け合いが、自助と公助を補完する。ただし制度的な担保はなく、各人の自発性次第という不確実性が拭えない。

家族が変化するなかで 
迫られる社会モデルの選択

 日本では今や「サザエさん」のような大家族は絶滅寸前。カイシャの福利厚生も解体され、死別、離別、独身などで頼れる家族がない人も増えている。他者との関係性が薄まるなか、家族のスキマをどう補填するか。増税して政府に支援を求めるのか(「社民主義」)、各人の自助に任せるのか(「自由主義」)、再度家族や仲間との関係性を見詰め直すのか(「保守主義」の再興)が問われている。だが現実問題、自助や共助の動きは鈍い。いきおい政治や政府に対応が迫られ、借金でやりくりしてきたのが実態だ。

 筆者はこの18年間、講演や面談の機会を利用して、さまざまな方に「どのモデルがよいか」を尋ね回ってきた。意見は実に区々まちまちだが、たとえば企業経営者は「自由主義」、専業主婦や学生は…………

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