マガジンのカバー画像

【特集】真珠湾攻撃から80年 明日を拓く昭和史論

9
80年前の1941年、日本は太平洋戦争へと突入した。当時の軍部の意思決定、情報や兵站を軽視する姿勢、メディアが果たした役割を紐解くと、令和の日本と二重写しになる。国家の〝漂流〟が… もっと読む
一つひとつの記事をご購入いただくよりも、特集記事のすべてが読める「マガジン」(500円)でご購入い… もっと詳しく
¥500
運営しているクリエイター

記事一覧

≪目次≫真珠湾攻撃から80年 明日を拓く昭和史論

80年前の1941年、日本は太平洋戦争へと突入した。当時の軍部の意思決定、情報や兵站を軽視する…

歴史の分水嶺に立つ日本 敗戦に学び「底力」を発揮する時|【特集】真珠湾攻撃から80…

80年前の1941年、日本は太平洋戦争へと突入した。当時の軍部の意思決定、情報や兵站を軽視する…

300

太平洋戦争への道程 軍部独走だけでは語れない|【特集】真珠湾攻撃から80年 明日を拓…

80年前の1941年、日本は太平洋戦争へと突入した。当時の軍部の意思決定、情報や兵站を軽視する…

300

それでも開戦を選んだ 現代にも通じる意思決定の反省|【特集】真珠湾攻撃から80年 明…

80年前の1941年、日本は太平洋戦争へと突入した。当時の軍部の意思決定、情報や兵站を軽視する…

250

「情報」は掴めていた日本軍 組織の「作戦」重視が招いた悲劇|【特集】真珠湾攻撃から…

80年前の1941年、日本は太平洋戦争へと突入した。当時の軍部の意思決定、情報や兵站を軽視する…

250

強大な米国の造船力と兵站 後手に回った日本との「差」【特集】真珠湾攻撃から80年 明…

80年前の1941年、日本は太平洋戦争へと突入した。当時の軍部の意思決定、情報や兵站を軽視する…

250

異色の軍人・山本五十六 避戦、早期講和を阻んだ組織の壁|【特集】真珠湾攻撃から80年 明日を拓く昭和史論[COLUMN]

80年前の1941年、日本は太平洋戦争へと突入した。当時の軍部の意思決定、情報や兵站を軽視する姿勢、メディアが果たした役割を紐解くと、令和の日本と二重写しになる。国家の〝漂流〟が続く今だからこそ昭和史から学び、日本の明日を拓くときだ。 文・畑野 勇(根津育英会武蔵学園勤務) 真珠湾攻撃を指揮した山本は、開戦前からこの戦争の回避に向けて動いていた。「常識外」とされた構想で彼は何を企図し、組織をどう動かそうとしたのか。  真珠湾攻撃で帝国海軍連合艦隊を率いた山本五十六につい

神話化される「ナチ宣伝」 21世紀の危機を見抜くには|【特集】真珠湾攻撃から80年 明…

80年前の1941年、日本は太平洋戦争へと突入した。当時の軍部の意思決定、情報や兵站を軽視する…

250

まさに現代の自粛警察 戦時下の「投書階級」と重なる姿|【特集】真珠湾攻撃から80年 …

80年前の1941年、日本は太平洋戦争へと突入した。当時の軍部の意思決定、情報や兵站を軽視する…