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『宛名のないラブレター』を書き続ける

廃棄ウェディングドレスを通じて、誰かの幸せに繋げることが私の夢。
『宛名のないラブレターを書き続ける』と心の中で名付けている。
『ラブレター』を書き続ける原点について今日は書きたい。


新卒で入社した「ユニクロ」。
始めての配属先は宮崎県だった。
生まれも育ちも東京だった私は、宮崎県に行くことが本当に嫌で嫌で、機内で泣き続けた挙句、CAさんたちに「会いに行くからね!」と励まされながら、宮崎空港まで辿り着いた記憶がある。

しかし、宮崎の人たちは温かく優しかった。
店長は「今日もイケてるな!」と私を毎日褒め、店長自身が失敗すると「俺の失敗をよく見ておけよ!美味しいぞ!」と、とにかく明るかった。

毎朝、海を眺めて出勤していた。

地元のスタッフさんも、お弁当を作ってくれたり、車のない私のためにスーパーの送り迎えをしてくれたりと、まるで家族のように接してくれた。

私の試験前になると、県内の店長達やSVが集まり、ファミレスでフライドポテトをかじりながら、深夜まで勉強に付き合ってくれた。

世の中には優しいひとがいるのかと毎日感動する日々。
しかし、その裏腹、私の心は少しずつ追いつかなくなっていった。

いつ日からか、「流すのは涙か鼻水にしてくれ!」と言われるほど、悲しくもないのに涙が止まらない日々が始まった。

そしてある日。突然、お店に行けなくなった。
「ごめんなさい店長。東京へ帰ります。」と留守電メッセージだけ残して。
店長やSVが自宅や海まで探していたことを後に知ることになる。

そのあとのことは全く記憶がない。
「取り返しのつかないことをしてしまった。」という罪悪感から、1週間足らずで宮崎に戻ったことだけが記憶に残ってる。

店長やスタッフさんは「おかえり。」と笑顔で迎え入れてくれた。
しかし、九州地方を統括していたマネージャーだけは違った。
「また一から頑張ります。」という私に対し、
「一からではない。ゼロからスタートだ。」と真っすぐな眼差しで言った。

しかし、そのメッセージは辛辣な意味ではなく、「プラスマイナス0なんだ。やり直しができるんだ。」という優しさだったと今なら受け取れる。

「よく帰って来たな。帰ってきたのは君が初めてだよ。」と父親のような温かいマネージャーの顔は今でも鮮明に覚えている。

その後、私は店舗を異動し環境の変化はあったものの、その半年後には退職を決めた。

退職日、店長へ挨拶へ行った。
「宮崎でお世話になったみなさんに、いつか恩返しします!」と言うと、店長は何も言わず笑っていた。

その日の日記には、『宮崎のみなさんに「ありがとう!」って言い続けても、きっと誰も喜ばない。みんなから貰った優しさは、誰かのHAPPYに
繋げようと思う。行動するしかない!』と書いてあった。

その後、ユニクロでの挫折経験に対し、私は劣等感を抱いたままだった。

だから、南アフリカのスラム街に訪れたあの日、廃棄ウェディングドレスの再活用を思いついた瞬間、「これで、もしかしたら恩返しできるかもしれない!」と希望の光が差し込んだ。

ユニクロの皆さまから頂いた愛情を、廃棄ウェディングドレスに込める。

いつか、ラブレターが届くことを願って・・・!


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