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書籍「うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真」の言葉「見たものを撮ればいい」を実践してみた。

写真を撮る時に、行き詰まりを感じることが増えていました。

カメラが悪いんじゃないし、被写体が悪いわけでもない。
おそらく自分自分の問題だろうけど、これ以上どうやれば上達するんだろうと悩むようになりました。

あぁぁ、やはり独学では限界なのだろうか。
きちんと学校で学ぶとか、スタジオで弟子になるとかしないと難しいのだろうかと。

そんな頃に読んだ、こちらの本。
幡野広志著「うまくてダメな写真とヘタだけといい写真」

読んで、えっ、それってどういうことと思ったのが「見たものを撮る」。

「見たものを撮る」って何なんだと。

スマホにしろ、一眼レフにしろ、「見たものを撮る」なんて当たり前なのでは…と思ったわけですね。
よく分からないと思って、何か情報はないかと探したのがnoteの以下の記事です。

このnoteを書いた岸田さんは、本の著者である幡野さんに「見たものを、見たまんまに撮るんだよ」「写真は心が動いたときに撮るもんだよ」と伝えられています。

見たまんまを撮る…その言葉が頭に残った状態で、実践できるタイミングがやってきました。

仕事が予定より早く終わり、子どものお迎え時間まで約六時間ほど空いた時、国東半島の真ん中にある山寺「両子寺」に行くことにしました。

お目当ての期間限定の夏の蕎麦を堪能した後、紅葉のフォトスポットとして有名な石造りの大きな仁王像があるエリアへ。

ただし真夏という季節のせいか、その時は自分以外に人はいませんでした。

大きな木があるおかげか意外にも過ごしやすいその場所で、聞こえるのは蝉の声だけ。

そんな場所で、パッと目にとまったものを撮っていきました。

大きな杉の木の肌にハートの木漏れ日
苔むす岩と岩の割れ目
石垣に木漏れ日
石段の隙間に生える小さな緑

本を参考にしながらRAWで撮影し、帰ってからその時に見えたイメージで現像してみました。

するとシンプルに「あ、これ、楽しいかも」と思えました。

「この場所ならではの魅力を伝えよう」とか「後で使いやすいように引きで」とか、全く意図せずにただただ目に入ってきたものを撮る。

初めて一眼レフを手にした時の感覚と似ていました。
いつもより綺麗に撮れただけで嬉しくなったその時期。

それから大して技術が無いままカメラを使って仕事をするようになり、自分の写真の至らなさに気づいてはコツコツ独学して、どうやったらちゃんと撮れるのか、人が見ておかしくないレベルにするにはどうしたらよいのかばかり考えるようになっていました。
感覚よりも体よりも、頭を一番働かせていたんですよね。

今回の「見たものを撮る」については、一番働かせたのは感覚。
パッと見て、目を奪われたところに合わせてシャッターを切る。

初めてカメラを持った頃と違ったのは、その空間で撮影するためにはどんなレンズでどんな設定が必要かは、分かっていたことでしょうか。

カメラの実践的な設定を理解するまで、だいぶかかってしまったように思いますが、今回得たこの感覚を忘れずにいられたら、たとえ何度訪れた場所であっても、いつでも撮ることを楽しめるのかもしれません。

スキルを上げるよりも何よりも、まずは撮影を楽しむこと。

楽しみながら撮ることができたら、数を重ねることも容易でしょう。

上達するかは不明ですが、以前のような先が見えない行き詰まり状態から抜け出られたように思います。

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