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何をやってもうまくいかない理由

何をやってもうまくいかない理由

 私は12年間野球をしていた。


 そもそも「やりがい」を感じていなかったことがうまくいかなかった原因である。
しかし手は抜かず、努力はした。


 野球というのは水物、特にバッティングに関しては「正解」というものがない。


 プロでさえ試行錯誤する中で、自分に合ったものを見つけていくわけだが、もちろん身体的構造からある程度「こうした方が良い」というものはある。


 今思えば、私は「半信半疑」で努力していたのだと思う。
この「半信半疑」というのがうまくいかない大きな原因だったのだと最近になって気づいた。


 野球の練習をしている時、私は常に


「これで良いのか?この練習方法で?これに向かって練習してるけど果たしてこれが正解なのか?」

 
もちろん先述のとおり野球の技術に絶対的な正解はないから、何かひとつの正解に向かって練習することはできないのだが、その中でも理論や身体的構造を考慮する中で、ある程度の「正解」というものがある。

 
当時の私はその「ある程度の正解」というものがわかっていなかったのだ。

野球に限らず、何かを突き詰めるとき。
自分の中で「これで良い」という「信じる」思いがなければならない。


 そうでなければ行動が中途半端になってしまい、何事も手付かず状態になる。
だから自分の中で「これで良い」という思いを持つ。
もちろんそれは、世の中で言われている
「誰かにとっての正解」
ではなく、
「自分にとっての正解」
でなければな意味がない。
ここは間違えてはいけないポイントである。

(現代であれば、YouTubeなどに野球の技術が山ほどあり、プロのプレーでさえ解説つきで見ることができるので、「ある程度の正解」というものがわかりやすくなっていると思う。そういう意味では現代の野球人たちは羨ましい限りである。)

 
この「信じる」ということだが、難しいところは
「信じすぎてもうまくいかない」
ということである。

 
何かをやるのに自分のことが俯瞰で見られなくなり、ずっと同じことをやっている。
私も野球をやっていたとき、そういう時が一時期あった。
とにかく信じて疑わない。
同じことをずっと続けて、失敗しても試行錯誤がない。絶対的な正解があると勘違いしていた。
そういう状態は文字通り
「盲信」
になるわけで何も生まない。


 逆もしかりで、これはわかりやすくて
「何も信じない」
状態であれば技術力の向上は望めない。
自分を俯瞰で見すぎると、他人の目が怖くなって何も行動できなくなる。


 だから、
「自分を信じる」
「自分のやっていることを信じる」
という力と
「自分を俯瞰でみる」
という力の両方が、人間には必要になってくるのであって、
イメージで言うと
「自分を信じる力」が6〜7割
「自分を俯瞰する力」が3〜4割
というイメージが最適である。

普段の生活でも同じことがいえる。

 
理想の生活がある。
例えば、「南の島で暮らしたい」という願望。
それに比べて、自分は今全然違う生活をしている。なんてダメなんだろう。
そう思ってしまう。

 特に昨今はSNSが普及し、他人がやっていることを簡単に見ることができるがゆえに、自分と比較してしまい、焦り、何も手付かず状態にある。
そんなことをやっていてはいつまで経っても中途半端なままだ。
それなら、そのとき、今、自分の生活を充実させることを考える。どうすれば楽しくなるか。
その先に、どうやったら自分の理想の生活、南の島で暮らすという生活に近づいていけるか。
そういうのが自然といえる。


 だから先のことばかりではなく、今その時どうすれば楽しくなるかを考える。
それを突き詰めていった先に、最高の「今」がある。



試行錯誤を続けている限り、失敗という概念はない。

P.S


新しいスポーツを見つけたのでやってみよ。


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