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拝啓、10年前の私へ。追伸、10年後の私さんは良ければお返事ください。

高校生まで、気が向いたら綴る日記帳があった。

確か、『アンネの日記』に憧れて、書き始めたもの。
架空の誰か(キティー)と思い思いにお喋りするアンネの姿が新鮮で。
棘の言葉がない世界に憧れた。静かにお話を聞いてくれる、友達でもない家族でもない、誰でもない「存在」に憧れていた。


最近、「初恋はいつ?」と、なんとも甘酸っぱい質問を受けた。
それがきっかけで、日記帳の存在を思い出した。
「どこいったかな」と思って、ごそごそ探し始めると、誰にも見られないように、ある本の間に挟まっているのを見つけた。


なんでこの本に挟んだのかも、すっかり忘れたなぁ。


折角だから最初から読んでみた。

これがまた面白くて。


小学5年生の私は、友人関係ではじめて悩み、「友達」の定義について考えていた。
小学6年生の私は、その日の感情を表す詩を書いていた。星新一や谷川俊太郎の文章に憧れて、小説家になったような気分で。
中学1年生の私は、クラスや部活に馴染めなくて悩んでいた。
中学2年生の私は、はじめて失恋をした。少し涙で濡れた後があった。
中学3年生の私は、はじめて彼氏ができて、喜ぶ反面、人と「付き合う」ことの難しさに悩んでいた。
高校1年生の私は、勉強についていけなくて悩んでいた。容姿にも悩んでいた。そして、はじめて人の死と向き合っていた。
高校2年生の私は、「生きる」ことに悩んでいた。少し大袈裟に感じるだろうけど。


この日記は、高校2年の秋以降書いていない。
それからは空白のページがずっと続いていた。


たまに「なんでやねん」と突っ込みを入れたくなる日もあれば、
「頑張ったんやねぇ」と声をかけてあげたくなる日もあった。

当時は、未来の私はなんて考えるんやろうと思いながら書いたような記憶がある。そんなことを思い出すだけで、胸がきゅっとなる。

なんだろう、10年前の私と対話しているようだった。
答えのないものばかり気にかけてたからかな。

一旦、返事をここに残そう。

色んな私がいるけど、代表して、10年前の私へ贈る。

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10年前の私へ

どうやら想像以上に私は色んなことを考えていたんだね。
忘れたわけじゃないよ。その日に何があったのか詳しいことは覚えてなかったの。でも、あなたのおかげで、こうして思い出すことが出来ています。残してくれて、ありがとう。

今の私は、自信を持って「素敵な大人になったよ」とは言えないかな。
でも、沢山の人と出会って、多くの選択肢を教えてもらいました。
多くの生き方を教えてもらいました。嬉しいなぁ。

そんな中で、きっと、あの生き方羨ましいって思うことがあるだろうし、「私はあの人にはなれない」と絶望することもあります。
絶望してもいいです。でも、その生き方に自信を持ってほしいな。

きっと大丈夫。

不安になった時は、そう声に出してみると “案外大丈夫かも” と思えます。
ちなみに、このダイジョーブの魔法はoioiさんが教えてくれました。oioiさんも大好きな方々です。

色々と言ったけど、21歳の私は、沢山の雑音を汲み取って生きることに努めます。今はまだ、大きな声で提言されている結論の周辺にある、誘惑や雑音を聴き取る力があると思っています。その力があるうちは、そこに耳を澄まして生きていこうと思う。

未だに悩みは尽きないけど、悩みがあるってとっても素敵なことなんだと思えるようになるくらいには大人になった。ということだけ、伝わればと思います。

良ければ、応援してね。

追伸:10年後の私、つまり31歳の私さん、良ければお返事ください。

noteは私の心の拠り所です。私の居場所に遊びに来ませんか。