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駐在さん組。

心の奥に駐在文化への憧れはある。

現実に少し触れた今は 自信に溢れた Yes を言うことはもう無いかもしれない。

私が恐れていること。
いつかパートナーが駐在員になり、ひとり日本で待つこと。これが怖い。
といっても、そんな確率なんてほんの一握りなんだけど。

わたしの住むアパートの前に、お気に入りの飲み屋がある。

その飲み屋は、自然と日本人駐在員が集まる。

日本人の20代の女の人が、バンコクでひとり暮らしなんて珍しいものだから、
気が付けば皆んなに顔を覚えてもらっていた。

噂も一瞬で広がることから、
わたしはそこを「村」と呼んでいる。

その「村」はわたしがタイに住み続けたいかもと考えている理由になっている。
ただの甘えなんだろうけど。

村育ちではないけれど、過疎化の進む小さな町で育った私にとって、「村」の仕組みが成り立っている社会の方が案外馴染みやすくて、好きだった。
ほっといても、誰かが子どもの面倒を見てくれてるような、そんなとこ。
噂話が回ったら、面倒だけど、そこはご愛嬌。

だから、この「村」が好き。

病気から回復した後もずっと面倒を見てくれる人。
深夜、一緒にクイティアオを食べに行ってくれる人。
遠慮せず好きなだけ食えって言ってくれる人。
恋バナで盛り上がる人。
仕事の愚痴を笑い話として話してくれる人。

日本人以外にも、カラオケバーのママ。居酒屋のお兄さんら。そこで出会ったタイ人の子たち。他の国籍の人たち。

あまりにも居心地が良い。

でも、そんな居心地の良さの秘訣、つまり皆んなが充実しているのには、しっかりとした訳がある。

欲をしっかりと満たすということ。
不満を溜めている一方じゃ、気が気ではないから。

その「欲」はなんでもいい。

ただ、その欲の満たし方が、気になるところ。
何人かの方は日本に妻子がいるが、タイで彼女をつくっている。つまり、愛人。

わたしは「もしも」のことを自分に全て置き換えて想像してしまう癖がある。

自分のパートナーがそんなことしてたら?
両親にそういう経験があったら?

答えの出ない想像を続ける。

他人の生き方は全然気にならないのだけど、自分がもし?となるとまた別。
勝手なもんやけど。

どのようにストレスを解消するのか、これが駐在もしくは海外現地採用での肝らしい。

そんな現実を目の当たりにしても、
駐在さんという人たちの文化に憧れを抱くのは変わっているだろうか。

心の奥にある野望はあと数年は燃え続けるかな。

noteは私の心の拠り所です。私の居場所に遊びに来ませんか。