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ウェルビーイングと私 マリオ

私にとってウェルビーイングって何だろう。
一つ思い当たるのは、自分がマインドフルな状態にあるとき、今ここをひたすら感じていられるとき、たぶん自分はウェルビーイングな状態にあるのだと思う。

朝日を浴びながら目を軽く閉じて、瞼の裏に日光を感じているとき、
体操や筋トレをしながら、自分の身体とひたすら対話しているとき、
ちょっと腰かけて小鳥のさえずりを聴きながら5分間だけ椅子座禅をして、
自分の呼吸にひたすら注意を向けているとき。
そんな時は確かに至福のひと時なのだと思う。

私がウェルビーイング大学(WBU)を知ったのはかれこれ1年半ほど前のことだった。
心理的安全性界隈にいて、心理的安全性ファシリテーター講座を受けたりしていた頃、
Facebookの出版記念イベントにとうごんが登場した回をたまたま聞いていて、WBUの存在を知った。その前から朝の筋トレ仲間(会社の若手で組合室にいた後輩)の情報で会社で前野先生に講演をお願いしたことがあるという話も聞いており、そこで幸福学とウェルビーイングとWBUが私の頭の中でつながったのだった。

2021年の1月入学だったと思うのだが、最初はWBUの全体像が良く見えておらず、クラス分けについても良く理解していなかった。読書部などの部活に少しずつ参加して行ってだんだんどんな人たちがいてどんな活動をしているのかが見えてきた感じだった。

ウェルビーイングという一つの横ぐしでこんなに多様な人たちが集まって語らえるというのも凄いことだと思う。人はだれしも幸せになりたいし、幸せのかたちも人の数だけさまざまにあるのだろう。

私がウェルビーイングを感じるもうひとつの時は、音楽活動に勤しんでいる時だ。
セッションにしろアンサンブルにしろ、気の置けない友人達と一緒に演奏している時間はこれまた至福の時間だと思う。ひとつにはゾーンというかフローに入り込んで没頭しているということ。好きなリズムの好きな曲を演奏している時はアドレナリン出まくっているのだろう。同時に同じ曲の枠組み(リズムやコード)の中で他人とのアンサンブルを成立させているその瞬間は、一種の共同作業であり、利己と利他が併存している瞬間なのかも知れない。セロトニンとオキシトシンが両方出ているような気もする。音楽は時間芸術の一種なので、その喜びはやはり「今ここ」にしかないけれど、至福の時には違いないと思う。

ここまで書いてきたような一瞬一瞬のウェルビーングはそれなりに貴重なものだが、ユーダイモニアと言われるようなもっと持続的な、じんわり感じられるウェルビーイングも大切なのだろうと思っている。何気ない日常の割と他愛ないことにも、じんわりと幸福感を感じられることは素晴らしいのではないか。
主観的に感じるウェルビーイングの幅と深みを増していくことが、より幸福に生きるために大切なのかも知れない、と最近少し思ってみたりしている。


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