ウェルビーイング・ユニバーシティはなぜ新しいのか by としちゃん
「小学校唱歌の『故郷(ふるさと)』の三番を歌ってみてください。」
そう不意に言われて、驚いたことがある。「兎追いし彼の山」で始まる、あの歌である。
「志を果たして いつの日にか帰らむ 山は青き故郷 水は清き故郷」というのが三番の歌詞だ。『故郷』の歌そのものが、記憶にある幸せの桃源郷である心の原体験を想う歌だから、この歌を歌うことで、バリバリと世俗的な成功を遂げるまでは故郷は帰っちゃいけないところ、と刷り込まれてきたように気がする。
例えば、お金とか地位とか成績とか、「地位財」の保有具合で測る「成功」から来る幸せ。『故郷』の歌は明治期の富国強兵の唱歌だから、そういう幸せをもっぱら想定しているのかもしれない。そして、幸せに簡単にはなってはいけない、地位財の幸せは努力して勝ちとるべきものだ、という考えに、この一世紀半ばかりかなり刷り込まれてきたような気がする。
その「思い込み」の学びほぐし(アンラーン)を、ウェルビーイングというアプローチを使って提唱しているのがウェルビーイン・ユニバーシティだと思う。
コロナ禍のために、これまで確立していた学びの制度的インフラは、だいぶ壊れてきたように思う。立身出世したい有意の若者を大都会の郊外の大学に集め、学費と施設費をいただいて階段教室に密集して座って座学してもらい、バイトと部活に熱心になってもらって、できればキャンパスにはそんなに来ていただかなくとも良くて。能動的な学びのスキルとしてはほぼ白紙で卒業する学生を、企業一括採用で採り、入社後の数年間の社内研修で「産業戦士」として鍛えあげる。故郷に戻るのは定年後だ。
そんな、日本でこれまで主流だった大学の学びのモデルが、崩壊しつつある。パンデミックは、大都会で通学しているはずの学生の多くを、オンライン授業で地元にくぎ付けにしている。そして、ますます厳しくなるグローバルな競争環境から、大量の定期新規採用者に手厚い社内研修を実施する余裕がない企業が増えた。
22世紀を生き抜く「人生百年時代」の学びは、この先の人工知能が人間の頭脳を超えるシンギュラリティの時代で、いまある職業と学問の半分が消えると多くの科学的研究が予測する中で、「学びがデキる人」から「学びが創れる人」の転換ができる学びのカタチなのだろう。
能動学習や生涯学習のモチベーションは、自らのいまを受け入れることと自らが実現したい未来をデザインすること、すなわち自己受容と自己実現である。その根底にはウェルビーイングがある。心が幸せなひとは、自らを受け入れ、自らの未来を創るモチベーションを持てるからだ。
ウェルビーイング・ユニバーシティは新しい。これまでの制度としての学びに縛られず、受動の学びから能動の学びへ、自己受容から自己実現へ、変容を支える学びのフォーマットになっているからだ。
いつか、ウェルビーイング・ユニバーシティで『故郷』の三番が書き換えられる日を心待ちにしている。
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