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ウェルビーイングと私 ~日常生活の中にあるもの~ ますみん

私とウェルビーイングという言葉との出会いはまだ日が浅い。しかし、オンラインサロンウェルビーイング大学での活動や出会いによって、生活の中でのふとしたことだったり、行動だったり、言葉だったりが、言い換えるとウェルビーイングに繋がっているのではないかということに気づいた。
少しだけ俯瞰し、客観視できるようになったことは、私にとってとても意義深いことです。

 たとえば、いつも歩いている道端に、小さな黄色い花を見つけたときに、頬をなでる風に柔らかさを感じてうずうずしたり、自転車を漕いでいるときに、私のおでこと、セミが正面衝突したときの生命力にどきどきしたり、夜長の読書にどっぷり浸かってしまって、ページがとまらなくわくわくしたり、月のない夜にオリオン座とシリウスを見つけて、太古から変わらぬものに思いを馳せてじわじわしたり。
 こんな日常生活の中で、私の感情を小さく揺さぶり、味わうことが出来るようになったことも、ウェルビーイングに出会ってからの感覚かもしれない。
 そんな考え方にフォーカスするようになってからは、ちょっとした出来事に対しても脳の芯の辺りがジンジンしてくような事を実感することが多くなったような気がする。そんなジンジンした、自身のエピソードを二つ紹介します。

 一つ目は、お正月に実家へ帰省した際に感じたことである。私の実家は長野県長野市。10歳から27歳まで過ごした場所。盆地という地形特徴もあり、360度山々の稜線が見える地形である。駅を降りた時の芯から伝わる寒さと白い息がとても心地よく、体中が喜んでいるなという感覚を味わうことが出来たことの有難さ。そして、山々から「おかえり」と声をかけてくれたような、そんな気持ちを受け止めることができたことの私自身を素直に感じることが出来たことの有難さ。

 二つ目は、私は美術館や博物館に行くことが好きである。ある企画展に行った時に感じたこと。企画展は、古代の都市ポンペイの遺産の展示であった。ポンペイは、西暦79年ベスビオ火山の大噴火により一夜にして消滅した都市である。大量の火山灰が町に降り注ぎ、地中に埋もれてしまった。しかし、美しいモザイク画などが発掘により当時のままの姿で蘇った。そんな展示物を眺めながら、当時の人々の生活に思いを馳せることで、まるでそこにいた時のような感覚を味わえたときに、全身が泡立つような不思議な感動を覚え、そんな時に私の心を素直に受け止め素晴らしさを身体全体で感じることができたことに有難さを感じたこと。

 そのような事柄からも、「有難さ」を感じることができるということが、私らしいウェルビーイングの形なのではないかと感じている。
 言い換えれば、日々の生活の中で小さな出来事にも小さなウェルビーイングの宝石がちりばめられている。それをそっと両手ですくってみると、さまざまな鉱物の中にひょっこりとウェルビーイングという鉱物がころがっているけど、それは、私にとってのウェルビーイングの宝物。他の人からみたら、もしかしたらただの鉱物かもしれないけど、それはそれでいいのかもしれない。だってみんな違う人間だもん。
 だから、ウェルビーイングは、みんな違うこと、そんな違いもあるからこそ、それを尊重し、楽しみ、受容していく、ということと感じています。そして、頭の端っこで、ウェルビーイングって意識していることも、私にとって、ウェルビーイングと接していく中で大切だなと感じています。
 そんなウェルビーイングと私でした。ありがとうございます!


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