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【北健一郎×金子達仁が語るスポーツメディアの未来】第3回「顔の見えない記事はいらない」

スポーツメディアを取り巻く環境はここ数年で激変している。雑誌は次々に廃刊に追い込まれ、スポーツ関連書籍も元気がない。一方で、アスリートがYouTubeやTwitterなど個人で発信する流れも生まれている。これから先、スポーツメディアはどうなっていくのか、何をすべきなのか--。「28年目のハーフタイム」や「決戦前夜」などでスポーツライターの新たな道を切り開いた金子達仁氏と、ホワイトボードスポーツ編集長の北健一郎が語り合った。

プレスパスなんていらない

金子 今、北さんはおいくつでしたっけ?

 37歳です。

金子 いつからスポーツライターを志したんですか?

 はっきり覚えているのは、中学生の時にカズさんとイチローさんが表紙の『Number』を家の近くの本屋さんで買って衝撃を受けたこと。感覚的なものですが、すごくかっこいいなと。僕にとっては人生が変わった瞬間でしたね。そこから金子さんのようなスポーツライターという仕事があるんだというのがだんだんわかってきて、僕もこういう仕事をしたいなと思い始めました。で、『Number』の端っこの方に「日本ジャーナリスト専門学校」という広告が出ていたんです。ここに入ればライターになれるかもしれないと東京に出てきて今に至る感じです。ジャナ専は10年前ぐらいになくなってしまったんですけど。

金子 うそ!? 僕が会社に入ってテニスの『スマッシュ』という雑誌に配属された時の編集長がジャナ専出身だったんです。それでフリーになってから何回かジャナ専に呼ばれて授業をやったことがある。

 実は、僕が2年生の時に「ジャナ祭」という学園祭のゲストで金子さんに講演会をしていただいて。打ち合わせで家にまでお邪魔してるんですよ。でも、金子さんと飲んだ時にそれを聞いたら覚えてませんでしたが(笑)。

金子 すまん(笑)。

 学校から予算をもらって、交渉も自分でやっていたので、金子さんのマネジメントをされていた出版社に問い合わせたら「金額的に厳しいと思いますが、金子に当ててみます」と。金子さんの相場からしたらかなり安かったんでしょうね。でも、返ってきたのが「ライターの子たちの前で話すんだったら金額は関係ないから行くよ」と。当日は高級外車に乗りつけて高田馬場にやってきたのは覚えています(笑)。

金子 車はジャガーだったかな。というかまず、「金をとる」という発想がなかったんだろうね。だって「金子塾」は0円だから。むしろ、数千万円ぶち込んだんじゃないかな。

 個人のお金をですか?

金子 うん。だって「キャンピングカーで金子塾のやつらとユーラシア大陸横断したい」なんていうのは、ヨーロッパまでの往復の飛行機代も全部出してあげて、キャンピングカーも3カ月レンタルして、ホテルもメシも全部自腹ですから。

 すごい……。というか、バラエティ番組のノリですよね。

金子 それを2回もやってしまったので。当時はいろいろなところからお金をもらえていたので「学生からお金をとらなくてもいい」という思いがあったのかもしれないですね。

 試合とか選手のことだけを記事にするのではなく、旅の道中での出来事も含めてコンテンツにしていくやり方は実はすごく今っぽいというか。変な話、今YouTuberの人たちがやっていることに近いなと思います。

金子 ちょっと早かったですね(笑)。でも、北さんもこれで自分のメディアを持たれたからやりたいこともいっぱいできるでしょう?

 やりたいことはたくさんありますね。ただ、どんどん時代が変わっていく中で、そこにアジャストしていかなければいけません。僕の周りでもスポーツライターで食べていけないという人はどんどん増えている。そうなってくると若者が入ってこない。

金子 いかんね。

 サッカー専門新聞の『エル・ゴラッソ』というのが若手の登竜門になっていて、あそこでJクラブの番記者になって、取材の経験を積んで『Number』とか専門誌に書いていくのが王道でしたが、それも厳しくなってきている。大学を卒業して数年は我慢できても「彼女と結婚しよう」、「子どもができた」となると、お金を稼げないから続けられないと別の業界に行ってしまう。そこにすごく危機感を持っています。僕は27歳で初めてプレスパスをもらってワールドカップを取材したんですが、フリーランスでは南アフリカ、ブラジル、ロシアと3回連続最年少でした。つまり、若い人が入ってきてない。プレスパスをもらうための取材実績がハードルになってるんだと思います。お金もかかりますから。でも、ずっと日本にいると、視野が広がらず、仕事の幅も狭くなっていく。サッカーの面白さを発見する前に辞めてしまうのはすごくもったいないし、スポーツ文化の衰退を招いてしまうのではないのかなと。

金子 気持ちがわかる反面、「プレスパスってそんなに大事?」と若い子たちには言いたい。例えば、1996年のアトランタオリンピックではプレスパスも何も持たずにセルジオ越後さんのホテルの床に泊めてもらって、越後さんからもらったチケットで見ていた。そうしたらマイアミの奇跡が起こって、川口能活のことを書けるライターはいないかということでチャンスが巡ってきた。僕、1994、1998、2002年とワールドカップを記者で見ていましたけど、それ以降は「俺がいたら下のやつは見られないよな」と思って取材申請をしなくなった。でも、何も困らない。

 選手のコメントとかはどうしていたんですか?

金子 まず1998年を境にミックスゾーン(試合後に選手が通って、記者が話を聞く場所)になったでしょう。ミックスゾーンになった時点でプレスパスの意味は僕の中ではなくなってしまった。それまではロッカールームの前で中田英寿と話し込んだりというのをできていたけども、今はみんなフラットになってしまっている。俺だけが聞き出せるシステムというのが今のシステムだとできないので、それで僕はプレスパスというのに全く興味を失いましたね。

自分だけの物語を探せ

 今は面白い記事が生まれづらくなっているかもしれないですね。スポーツの読み物の独自性みたいなものが、どんどん失われているというを感じるんですよ。限りなく広報誌に近くなっている。スポーツ選手を取り巻く環境というのも変わっています。金子さんの時は個人対個人で完結していたものに、クラブは当然そうですし、マネジメント事務所も入ってくる。

金子 いろいろな人の思惑が乗っかってきますよね。

 はい。ライターとして尖っていたものは出しづらくなっている。果たして、それをお金を出してまで読みたいのか。正直、メディアの人間でありながらも、ほとんどスポーツ雑誌を買っていません。買ってまで読みたいと思うスポーツの記事がなくなっている。

金子 そうですね。だからこそ尖ったものを書けばバズるんじゃないですか?

 そうです。だからプロであるとかアマであるとかは今はもう関係ないんですよ。アマチュアでも面白いことを書いていれば見つけてもらえる。でも、そういう人たちは仕事にしているわけではないので単発になってしまう。それはそれでいいと思います。今後は「副業ライター」というのがおそらく主流になっていく。例えば、お医者さんをやりながら医療の知識を生かしてスポーツに絡めた記事を書くとか、そういうハイブリットなライターが増えていくのかなと思ってはいます。でも、自分だけにしかわからない物語を紡ぎ出すスポーツライティングがどんどん衰退していってしまうのは感じるので、どうしていけばいいのかというのは感じますね。

金子 そこはプロの凄みを見せないと。

 文章力で差をつけるのは難しいと思っています。

金子 どうやって差をつけようと思っています?

 今、サッカーライターとしてやっている仕事が一つありまして、望月重良さんが13年前にゼロから立ち上げたJ3のSC相模原というチームのオフィシャルライターなんですが。正直「どうしてJ3のクラブの仕事をするの?」と周りから言われることもあるんですけど……。もう、圧倒的にリアルなんですよ。ほとんど記者がいないので選手とマンツーマンで話せますし、すごく近い関係になれる。自分だけの話がバンバン聞けるんです。

金子 記者としての醍醐味ですよね。僕も7年間FC琉球に携わっていましたから気持ちは本当によく分かりますよ。

 大きなクラブではないですし、多くのファンがついているわけではありません。どうやって「こんな魅力的なクラブがあるんだよ」、「こういう選手がいるんだよ」と発信できるかどうかは、僕の腕にかかっていると思うので、実はめちゃくちゃやりがいを感じています。日本代表戦で、6万人のスタジアム、地上波で放送される。そういう場所で取材をすることって、一見すると華々しく見えるかもしれない。でも、選手の囲みで何十人もいる中でテープレコーダーを突っ込んで、ワンオブゼムで話を聞いて、誰が書いたのかも分からないような記事を量産する。僕はそこに面白さは感じられません。

金子 別に「北健一郎」である必然性はなくなってしまいますもんね。

 みんなが画一的な記事を大量生産するという流れだからこそ、オリジナリティのあるもの、刺激のあるものを出していかないと、日本サッカー自体も盛り上がっていかないんじゃないかなと思っています。

金子 那須(大亮)君なんかはYouTubeで面白いことやってますもんね。

 あれは選手がメディアを介さずに自分で発信するやり方じゃないですか。選手って選手に心を開くんですよ。元プロ野球選手でスポーツキャスターの青島健太さんとラジオで共演させていただいたんですが、すごくオーラがある。プロ野球選手にまでなったという自信があるからこそ選手とも対等に話せる。選手と記者の関係性って、ある意味で対等ではないですから。文章力や取材力を磨くだけでなくて、自分自身のステージをどうやって上げていけるかというのを合わせてやっていきたいと思ってはいます。

金子 でも、北さんが『ホワイトボードスポーツ』で大成功して2億円稼いでるってなったら、選手は黙っていても心開くでしょう。

 2億円……。ただ、いろいろな選手と話していて感じるのは、みんな不安を抱えているんだなということ。スパイクを脱いだ後に何ができるのかって。「じゃあ、こういう道があるよね」といういろいろな選択肢が見えてくれば、たぶん、変わってくるとは思います。そういう選択肢の一つに『ホワイトボードスポーツ』がなれるようにしたいです。

※JFN系ラジオ番組「FUTURES金子達仁スポーツプラネット」で3月7日に放送された内容を再構成したものです。

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