私があらゆるワークを捨て自分を認めることを勧める理由
よくある
「このワークをすれば願いが叶うよ!」みたいな発信は
今となってみると
めっちゃザックリだな!!!と感じます。
だって、どのワークも
それに取り組む人の状態によって
全く結果が変わってくるからです。
「簡単に作れますよ!」というセーターを
編み物初心者がトライするのか
編み物歴長い人がトライするのかで
本当に「簡単」に感じられるのかどうかは
全く変わってきますよね。
私は
「これをすれば簡単に願いが叶う」
というワークをやっている方には
それを一旦お休みして
まずは自分をとことん認めることを
先にやることをお勧めしております。
さっきの編み物の例と一緒で
「簡単に願いが叶っちゃうよ!」というワークを
・問題が外側にあると感じている人
・問題は自分の内側の鍛錬が足りていないことだと感じている人
・スピリチュアル的知識で頭でっかちになっている人
・自分をとことん認めてる人
がそれぞれトライすると
やはり「簡単かどうか」が違って感じられてきます。
自分をとことん認めちゃっている人は
とにかくブロックがありません。
ブロックって言うと、何か阻む異物のように感じられますが
要は「精神的抵抗」のことなのです。
自分を認めると
この「精神的抵抗」がほとんどなくなります。
だって、全部「認め」ちゃってますからね。
抵抗することがなくなるんです。
だからわざわざ
浄化のワークとか
書き換えのワークとか
統合のワークとか
しなくていいんです。
要らないんですよ。
自分を全部認めると「浄化」なんて考え自体が出てきません。
だって全部OKなんですから、浄化する必要があるものなんてないんです。
自分を全部認めると「書き換えよう」なんて考え自体出てきません。
だって全部OKなんですから、一体何を書き換える必要があるのでしょう?
自分を全部認めると「統合しよう」なんて考えはなくなります。
だって全部OKってことは、すでに統合されているということなのですから。
聖なる部分も
ブラックな自分も
矛盾した思いも
とっ散らかったあらゆる自分の中の全てが
宝石のようにキラキラして
掘り出し物が隠れている骨董屋のように
ワクワクさせてくれますし
「これでいい」と思えるようになります。
すると聖なるパラドックスが起こって
その雑然とした感じを
「完璧に全てが整っている」と感じるようになるんです。
全てあるがまま
そのままで完璧だと思うと
何かを変えようとか
叶えるために何かしようとか
そういったコントロール欲が湧かなくなります。
だからめちゃくちゃ軽いんです。
「あ、あれやりたいな」と思ったらすぐ動けますし
「これきらいだな」と思ったら何の葛藤もなく捨てられます
やってくる新しいものをすんなり受け入れたり
楽しくなさそうなことはあっさり断ったり…
そうしていると
自分が脳で考えていた以上の恩恵がカモの姿をして
向こうから勝手にネギを背負ってやってきます。
そんな風にチャンスや豊かさがやってきて
気がつくと「これやりたいな」と思っていたことのレベルが勝手に上がっていきます。
どう?
自分をとことん認めたくなっちゃった?
もしそうならぜひ
どーーーんな自分も
検閲することなく
ジャッジすることなく
「それもアリ!」
「そんなとこもスキ!」
「そこも含めて世界一!」
「ていうか愛してる❤️」
って言ってあげてください。
最低でも半年ぐらい。
いざ認めちゃったら、このラクさは二度と手放せないから。
とことん認めて
本当の自分として
魂から生きて
自分の人生に夢中になっていきましょう!
またね〜〜👋😃👋👼
つづき↓
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