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ひろゆく ひろゆけば ひろゆこう


 皆さん、こんにちは。西村ひろゆかないって名前がいいよね。木賃ふくよし(芸名)です。
 先日、西村ひろゆきについての話をツイートしたら、変に反響があったんで、今日はその加筆修正。

 元ツイートはこちら。

 ワタクシ、あんまり何かに執着して追っかける性質がないんですよね。子供の頃からアイドルとかに興味が持てなかったので。ええ。
 割と熱心に好きな作家さんや漫画家さん、ミュージシャンでさえ、動向を追う事はない。

 だって、好きなのはその人の作品であって、その人の日常ツイートじゃない。

 いや、日常ツイートまでも面白い人はいるけど、「ツイート」的な不定期なモノを監視するように待つのは性に合わない。
 ツイッター的なモノは巡り合わせだと思ってて、「たまたま見た」ぐらいが気楽でいい。きちんとした出版物という訳ではないし、定食屋で、たまたま隣の席のおっさんがめちゃくちゃ良いことを言っていても、それに出くわすかどうかは運次第。そんな感じで捉えている。

 それに、大概面白いツイートってのはタイムラインに上がりやすいから、見逃した!って事にもなりにくいし、そんなに気にしてない。それが正直な所だ。

 そんな中、2ちゃんねるの創始者である「ひろゆき」こと西村博之に関するツイートが何度かタイムライン上に出てきた。
 3度ほど。それも、違う人が呟いてて、どれも3,000とか5,000ぐらいの「いいね」がついていた。
 偶然なのか追従なのかは知らんが、「ひろゆきは議論が上手なんじゃなくて、口喧嘩が上手いだけ」という内容である。ふむ。なるほど。わかる。

 たしかに、ひろゆきが「議論が上手い訳じゃない」ってな意見はわからなくもない。急にそれが噴出してきた点は引っ掛かるが、言ってる事はわかる。
 確かにひろゆきは時折、相手を挑発したり、話の切り取りを行なったり、議論のすり替えを行なったり、自分の有利な展開に持っていく。

 しかし、自分の得意な状況に相手を引きずり込んで戦うのは格闘技やスポーツでは当然で、それは試合運びが上手いって事なんだけど「議論が上手い」って、そう言う事じゃないのか?

 ワタクシは嫌いだが、オウム真理教の幹部であり、顧問弁護士だった青山吉伸元受刑囚がわかりやすくそれだった。
 相手の話に応えず、持論を展開して煙に巻く。典型例だろう。

 つまり、5年無敗のチャンピオンが、恵まれたフィジカルで圧倒的パワープレーをしてて、試合展開がつまらん、という意見があったとしても、チャンピオンが強い事実に変わりはないし、文句を言ってる奴らの好きな「玄人好みの試合じゃない」から「アイツは強い訳じゃない」って言ってるようなモンなんじゃないだろうか。チャンピオンである事に変わりはないし、強い事には変わりはない。そのスタイルを好むか否か、である。

 そんなのは議論じゃない、という意見もわかる。議論とは本来、持てる知識や知恵を出し合って、新しい答えや解決策、落とし所や合意点を発掘するものである。

 要するに、ひろゆきが「話を煙に巻いてる」「議題をずらすのが上手い」「得意分野に持ち込む」のが上手くて、議論本来の意義である「意見をぶつけて議論し尽くし、新しい答えや落とし所を見つけられる」訳じゃないって事と、「議論が上手い訳じゃない」ってのは、まさに議題をずらしてるだけなのでは?

 で。つまりそれは議論じゃない! ひろゆきのは「口喧嘩」が上手いだけだ!って話もあるけど、じゃあ、そもそもネット討論やTV討論で新しい答えや解決策、落とし所や合意点が見つかった試しがあるだろうか?

 じゃあソレって、最初から「議論の場でも何でもない」んじゃないの?

 もっとハッキリ言おうか。


 最初から口喧嘩の場でしょ?


 そもそも、ひろゆきは何かを決める重要な会議で議論をしてる訳でも何でもない。言っちゃ悪いけど、TV討論的な「口喧嘩」の場にしかいない。つまり「口喧嘩」に強けりゃそれで充分だし、どうせTV討論見てる奴なんか、

 (´・Д・)」 口喧嘩が見たいんじゃないの?


 朝まで生テレビ、TVタックル、そこまで言って委員会、、、どれも似たようなもんだ。
 あのテの番組で、相手側に宗旨替えをした論者が何人いたというのだろう?
 その案は素晴らしい! 今すぐ採用して社会を改善しよう! なんて答えが見つかった事があったか?
 ここは双方合意の落とし所だ、という結果が見られただろうか?


 (´・Д・)」 ないよね。


 つまり、あそこでやってるのは、ディベート(相手を言い負かす、いわば討論)でも、ディスカッション(目的にたどりつくための方法を探る議論)でもない。

 ただのTVショーである。


 そりゃ「これからの日本の外交をどうすべきかを決める会議」みたいな重要な会議で、ひろゆきみたいな論調にノセられちゃ色々と不都合もあろうが、ただのTV討論である。

 ハッキリ言うが、ひろゆきは何かを決められる立場ではない。そもそも、そんな権限もない。
 視聴者がそれにノセられても知った事じゃない。ってか、番組的にはそれこそが成功なのである。
 悪いけど、TV討論レベルの「議論」なら、する側も見る側も見せる側も願ったり叶ったりって訳だ。

 詰まる所、自分が持ってる寿司の美学に照らし合わせて、「カリフォルニアロールなんか寿司じゃない!」ってのと変わらないのである。
 カリフォルニアロールを寿司と認めるか否か、そんなのは好きにしたらいい。
 好きだから認めてもいい。嫌いだから認めなくてもいい。好きだけど認めないでも、嫌いだけど認めるでもいい。好きでも嫌いでもないけど、歴史的観点から見てどちらなのか、という判断でもいい。
 カリフォルニアロールを寿司と認めさせるために、有利な資料を集めるも良し。
 カリフォルニアロールを寿司と認めないがために、有利な資料を集めるも良し。

 ほら、これでカリフォルニアロールを寿司と認めるか否かの「議論」になった。

 皆こーゆーの好きだろ? それをわざわざ見せてくださってるんですよ。番組制作者と論者の方々は。
 
 このTV討論や詭弁を「議論」とするかしないかだけの問題なのである。

 正直、ワタクシは詭弁や口喧嘩ってのは「議論」とは認めたくない派であるが、こーゆー例だとわかりやすい。
 アマチュアボクシングで3回もダウンを奪ったのに判定で負けた、ってケースはある。(アマでのダウンは有効打と同ポイントとされる)
 アマチュアボクシング戦の目が肥えてりゃ採点通り、ぱっと見ではダウンを3回も獲ったのに負けた!?となる訳だ。
 自分はこっちが勝ってると思う! だって3回もダウンさせたもん!って言われても、ルールだからねえ、としか言えない。

 プロボクシングでも、審判に見えないクリンチの最中や離れぎわの反則なんて常套手段だ。特に、クリンチ最中に、お互い手のひらで相手の耳付近を叩くなんてよく見る光景だ。
 そりゃ、そう言った手段を使わずに勝てるのは理想だ。
 使ってでも勝つのが好きか、使わずに負けるのが好きか、二択ならどっちを支持するかの問題でしかない。

 ひろゆきの場合、それを使わなくても勝てる相手に平然と使うから、嫌われるのもわかる。

 ハッキリ言えば、個人的にひろゆきの事は嫌いではない。49:51なら51で好きだと言ってもいいぐらいだ。しかし、だからと言って全面的に肯定などする筈がないし、今回もひろゆきを擁護するつもりはサラサラない。

 しかしそれでも、謎の「国民の感情は〜」と勝手に国民を代表して、データを捏造し、訳の分からない意見を無理矢理通すワイドショーの司会者よりは、論者として遥かにマシだと思うのである。

 単に、今回の件は、皆の言う「議論」ってのが、広義なのか狭義なのかがわからんって事が言いたいのである。
 つまりその点に言及せず、「ひろゆきが上手いのは議論じゃなくて口喧嘩」ってのを聞いて「腑に落ちた」ってのは、それこそまさに「議論のすり替え」が行われてるぞ、と言いたいのである。ひろゆきが嫌いだけど、論理的にひろゆきに勝てる点を見つけられない人たちが、弱点を見つけたみたいに騒いでる感じ。

 んで、別にひろゆきは政治家でもないし、ワタクシはひろゆき支持者って訳でもないのに、政治色(?)の強い人(今回はひろゆき)を擁護(も別にしてないけど)するようなツイートをすると、フォロワーがメキメキ減るのは興味深い。
 一連のツイートを最初しか読んでない人だらけ(ざっと20人に1人しかツリーを読んでいない)なのも興味深い。(アクティビティ調べ)


 ワタクシは嫌いな人間が言おうとも、正しい事は正しいと支持したい派ではあるが、それでも「お前が言うな!」と思う事は少なからずある。
 ギリギリラインがホリエモン。ホリエモンは嫌いだが、意見自体は正しいと思う事が多い。それより認めるのは、苦手だけど立花孝志。キンコン西野だったら、正しいことを言っても「お前が言うな!」となる。
 ひろゆきはホリエモン、立花孝志よりは好き、ぐらいの位置。

 まあ、人間なんだから、ダブルスタンダードなんてあって当然、ない方がおかしいので、まずは、ある事に気付く事から擦り合わせて行こうと思う。うむ。

 そして同時に、知人の言った、


 「仕事でもあるまいに、
 正しさなんて堅苦しい事より、
 好き嫌いだけで判断したらいい」



 って意見には目から鱗が落ちた。


 (´・Д・)」あと、誤解ないように言うけど、今回の件でフォローを外した人を悪く言うつもりはないんやで。
 自分が見たくない意見を見えないようにするってのは、それはそれで正しい行動だし。
 ワタクシは自分と異なる意見も読みたいってだけで、別にそれが正しいとも思ってないし。幸い、違う意見を見てもストレスを感じにくい方(感じない訳ではない)なので、ワタクシの場合はそれでいい、ってだけなのである。


 んで、この一連のツイートについたコメントには「プロレス」という単語が散見された。

 そう。実に「プロレス的」なのである。


 正直、ワタクシはこのテのTV討論を単なるショーだとしか思ってない。ショーだから悪い訳でもない。ショーから得られるものも沢山ある。
 つまり、これを「プロレス的」と表現するのは実に正しいのだが、プロレスファンとしては、それは絶対にしたくないのである。


 (´°Д°)」 プロレスはロマンだから。



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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。