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やってから文句を言え


 皆さん、こんにちは。文句言いの木賃ふくよし(芸名)です。
 くちよし(げ)、、、ね? 文句言いでしょ? ちなみに修道僧はモンク。

 ええ。ワタクシはとにかく文句言いである。すなわち、文句が多い。

 何かと文句を付けている。
 そーゆーイメージがある。

 いや、実際そうなのだ。自分でもそう思う。
 映画とかを観ると、間欠泉のように文句が噴き出してくる。そーゆータイプだ。

 若かりし頃は。


 確かに、今でもおそらくフツーの人よりは文句が多いのだろう。しかし、何でもかんでも手当たり次第気に入らない点に文句を言いまくっていた若かりし頃に比べると、色んな事が許容できるようになってきた。

 接客業を20年以上続けて、色んな人と接し、年月を経て、近年、ようやく角が取れたという事だろうか。
 要因は色々あるが、ひとつは「マインドセット」の切り替えが上手になった点が挙げられる。

 マインドセットなんて言葉を使うと自己啓発本みたいで胡散臭くなるが、要は気持ちの切り替えに過ぎない。

 単にアクション映画を観るなら、物語には期待しない、ぐらいの気持ちの切り替えである。

 要はB級以下の映画を観るのに、A級大作映画のクォリティを期待する事が間違いという事である。
 ワタクシはB級映画大好きなのだが、A級映画のクォリティがB級だと腹が立つ。そーゆーもんだ。だから、最初に気持ちを整理しておく。

 鑑賞前にコレをやっておくだけで、色んな作品が許せるようになるのだ。「邦画で低予算だから」とか「客寄せパンダにアイドルを起用してるから、その部分は大目に見よう」とか、まぁ概ね期待値を下げる方向で気持ちの整理をしておくと、何事もそんなに腹が立たなくなった。

 ※ 名作映画はこのマインドセットを映画自身がさせてしまう、という側面があるのかも知れない。


 まあ、何事にも制約や制限がある。コレも、接客業をやってたお陰で色んな業界の人達から、それぞれの裏事情を聞かせてもらったので、

 「本当はこうしたいし、こうした方が絶対に良いんだけど、業界的な縛りがあって出来ない」

 って背景が理解できるのである。表面から見てると手を抜いているようにしか見えない部分が、実は一番苦労しているなんてのも、よくある話だ。
 だから、期待値を上げ過ぎない。切り捨てる部分は最初から諦めておくと全体的に幸せになれる。

 また、映画にしろ飯にしろ、「味付けが自分好みじゃない」ってのが、意見として正しいとは限らない点に気付けたのも大きいだろう。いや、理性で気付いてはいたが、本心ではまだまだ自分の意見こそが正しいと思っていたのだろう。

 ワタクシは面白いと思える作品が好きだが、とある人に「仕事を離れて、家に帰ってる時に【面白さ】を求めて懸命になるのが嫌だ。つまらないものをボヤっと見ていたい」という意見を聞いて目から鱗が落ちたのである。

 運動が趣味の人間と、休息が趣味の人間の差なのだ。運動したら気持ち良いよって意見と、休息は心地良いよって意見はどちらも正しいのと同じ。
 ワタクシは小説が好きなのだが、近年目が悪くなり、「小説を読んだら面白いだろう事は知ってるけど、読むのがしんどいから、しんどい思いをしてまで読みたくない」って人の気持ちが段々とわかってきた。
 面白いのは知ってるが、面白さを体感する為に躍起になるのは嫌だ。
 つまらないものを見てるぐらいがちょうどいい、という意見もまた、正しいのである。

 あとは、文句を言って何を成そうとするのか? という点に気付いた事だろうか。

 まあ、文句を言うにはそれなりに理由があるだろう。対価に見合わなかった、ってのが一番多いだろうか。
 対価は金銭だったり、浪費した時間だったり、労力だったり、期待した純粋な気持ちだったりするが、要は、その

 溜飲を下げたい訳である。


 この他にも幾つかの理由が考えられるだろう。
 その大きなひとつが、

 自分の正義を示したい


 というモノではなかろうか。

 要するに、映画で言えば「俺の方がまだマシな映画が作れる!」的な考えである。
 コレだと映画以外にも当て嵌めやすい。

 「俺の方がマシな仕事をしてる」
 「俺の方がマシな政治ができる」


 つまり、そーゆー事である。
 実際にやってもいないし、やる機会もないんだけど、何か自分の方が才能がある気がして、何の根拠もなく「今のコレよりは俺の方がマシだ!」と、正義を示したいのだ。

 平たく言えば、文句に理由をつけて正当化し、義憤なんて大義名分を付ける事によって、それは一大娯楽に早変わりする。

 評論家気取りでご高説を垂れるのは、残念ながら、実に気持ちが良いのである。人を下げる事で自分が上がった気になるし。いや、まぁ聞かされる方は不愉快だが。

 コレを娯楽だと理解し、割り切ってしまえば、文句ではなく笑い話に出来るが、理解しないまま垂れ流すと愚痴になる訳だ。

 要するに、正義だの義憤だのに酔い痴れてるだけで、その実は改善する気もないし、特に行動を起こしてもいないのである。


 そーゆー現実を色々見てしまったので、成すことがないのなら文句は控えめにしよう、と思えるようになったのが近年。
 まあそれでも、フツーの人よりはきっと文句が多いんだとは思うんですがね。ええ。

 ただ、文句言い体質なワタクシですが、可能な限り、見てから文句を言う、勉強してから文句を言う、やってから文句を言うようには気をつけています。
 無論、何を何処まで見れば、知れば、やれば「成した」と言えるのかは難しい話で、自分基準にしかなりませんが、無知蒙昧なままに文句を言うのはやめようと思うのです。

 映画とかなら、せめて、観てから文句を言おう。

 という事です。はい。
 観もせずに文句だけ言うなんてのは、卑怯者の所業です。

 実際ワタクシ、ディズニーとかジブリとか好きじゃないから、文句を言うためにもちゃんと観てるからね!?

 お陰で良作(ノートルダムの鐘とか好き)も観ちゃったから文句が言いづらいわ。

 って話をしてたら、知人から、


 「観たら何を言っても許される訳ではないぞ」


 と釘を刺されました。


 (´・Д・)」 全面的に正しいです。気を付けます。


 という訳で本日のオチはコレでおしまい! ではなく、実は2段オチ。


 観るまでは評価もしないし、文句を言わない、って割とワタクシの中では大きなルールを、簡単に破らせた



 「えんとつ町のプペル」は凄いよな。



 (´・Д・)」 西野が嫌いすぎて観る気も起きんし、フラットに観られる気がしないし、映画に関連してマルチ商法紛いな事までやってるから、映画に関係なく文句が出てくる。


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 実はこの先に、オマケとして3段オチが書かれていたりする。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。