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砂の道標



 その女と出会ったのは、とある小さな島がよく見える、南の砂浜だった。
 夕暮れの、高い波。海水浴客もいない11月。近くに温泉はあるが、紅葉の名所って訳じゃない。観光の温泉客が来るにはまだ早い、寂れた海岸。
 あいつが好きだった安物のラム酒を、どぼとぼと海へと流す。微量のラムを飲んで酔っ払ったあいつ。俺が介抱したのは、一度や二度じゃない。
 酒に弱いあいつなら、波に紛れたこのアルコールでも酔うんじゃないかと、口元がほころぶ。
 「・・・どなたか、お亡くなりに?」
 不意に、メゾ・ソプラノが届く。
 俺の挙動の一部始終を見ていたらしい。その女は、今から入水自殺でもしかねないような暗い表情で話しかけてきた。
 「友達ってほどの仲でもないんだけどね。それを理由に会社を休んだんだ」
 俺がこの海岸へ来たのは、酔っ払ってこの海に溺れて死んだらしい、馬鹿な悪友を笑いに。
 死んだ悪友の事を好きだったかと言われると困るが、嫌いだった訳でもない。よく、一緒に悪さもした。社会的に言えば充分な犯罪行為ってものでも、笑い飛ばしながら実行した。
 当時の、と言っても数年前の出来事だが、その時の俺達は、そんな悪さがひとつのステータスであり、それが格好のいい事だと信じて。
 世間に揉まれた数年で、すっかりそんな社会に洗脳され、まだろくでなしの生活を続けている悪友を笑いながらも、本当は、ずっとうらやましく思っていた。
 その悪友が、死んだ。
 旅行に来たこの海で、溺れた。
 アルコールには強い方ではなかったが、酔っ払って泳ぎに出て死んだらしい。まぁ、悪友には似合いの死に様かも知れないとは思う。
 あいつが老人になって、孫をあやしている姿など想像したくもない。だから、死んだ事に対しては深い感慨を持ってる訳じゃない。
 ただ、俺はろくでなしの人生を全うして死んだ悪友がうらやましくもあり、同時に、つまらない社会の歯車になって生き延びている自分に感謝していた。
 俺は所詮、その程度の男なのだろう。
 だから、悪友を笑い、かつての生活に決別するために、ここに来た。
 そこで、この女に出会ったのだ。
 女は、妹とその恋人がこの海で死んだから。と言った。この女の暗い表情にも頷ける。勝手な想像だが、2人とも死んだって事は心中に違いない。
 泥酔し、溺れて死んだ男と、心中したカップル。あまり、縁起の良さそうな海じゃない。
 ただ俺は、女のそんな芝居がかった物言いや仕草に惹かれた。
 いや、惹かれたなんて表現は正しくないだろう。
 はっきり言うなら、ほんのちょっと口説けば、この女と寝られる。そう思っただけの事。
 死んだ悪友と同じで、ちんぴら生活を送っていただけに、そういう事には敏感だ。このタイプの不幸に酔える女ってのは落としやすい。普通なら後腐れがありそうな女だといぶかしむ所だが、旅行先であれば面が割れる心配もなかった。
 俺は、神様とやらに感謝する。この女は、悔い改め社会の歯車になってつまらない人生を全うしようとする俺への、神様からのプレゼントなのだ。
 この女を好きにしていい。神様が俺の耳元で囁いているようだった。
 何処にでもいそうな顔だが、顔だけ見れば、充分に綺麗な女だ。不幸願望の強そうな暗い表情をしなければ、販促ポスターのモデルでも出来そうだ。
 原始的な欲望が顔をもたげる。所詮、この程度の男なのだ。俺は。
 「キミ、近くに住んでるの?」
 口説くには、2種類の方法がある。口説いている事をアピールする方法と、口説いている事を気取らせない方法だ。
 どちらかに突出していれば別だが、前者が飴だとすれば、後者が鞭。上手に使い分けるのが一番だろう。
 俺は、この女に興味があるのか、心中したカップルの話が聞きたいだけなのか、それとも各々と故人を慰めたいのか、どれともつかない話振りで、会話を繋いだ。
 死んだ妹についてか、それとも妹に死なれた不幸についてかはわからない。だが、女は確実に話したがっている。
 こういう不幸面した女は、愚痴を小一時間も聞いてやって、頷いて、慰めてやるだけで肉体を明け渡す。
 女の妹は、田舎暮らしが嫌で、飛び出して街へ行った。経緯は知らないが、そこで知り合ったろくでもない男に騙されて、最後には無理心中したらしい。
 ろくでもない男と聞いて、悪友の面を思い出す。あいつなら、そんな怨みを買った女程度、売れるほどの在庫がある。
 だが、あいつが心中した、させられたという話は聞いてない。思い過ごしだ。別人だろう。
 俺はしばらく話を聞いてやると、すっかり暗く、寒くなったから場所を変えようと言い出した。女は案の定、承諾し、取ってあったホテルへと移動する。
 「こっちなら、酒もある。海岸で酒は寒いしね」
 正直に言えば、酒を飲ませて何かしようなんて心算が強い訳じゃない。ただ、知り合ったばかりの女の愚痴を素面で聞いていられるほど、狂った性格はしてないだけだ。
 「お友達もそれが原因で死んだんでしょう?」
 「あいつは酒好きだけど、弱かったからな。酒に飲まれるタイプ。俺は飲む方だからな。キミは?」
 「嫌いじゃないわ」
 「そう答える女は、酒に強いって定石がある」
 「そうね。・・・弱くないわ」

 ホテルに着いた俺達は、行くつもりもなかった海が見えるって評判の付属レストランで食事し、購入したウィスキのボトルを持って自室へと入った。
 レストランでは控え目だった、女の不幸語りが再開する。が、目的を果たすためには、うんざりした顔なんか見せちゃいけない。
 「妹はね、都会なんかに行っちゃいけないタイプの娘だったのよ」
 また、その話かとは思ってるが、適当に話を合わせる。
 「その男はね。それこそドラマに出て来るようなろくでなしでね」
 つまらない話を聞きながら、ただ聞いているだけではつまらないので、妹をこの女、ろくでなしを悪友で想像する。悪くない。
 この不幸そうな面をした女は、不幸に酔いつつも、男に尽くすタイプだ。実直な男には惚れないし、そんな男には扱えない。悪く言えば、ろくでなし男との蜜月だけが彼女を幸せに出来る。
 そうやって女を食い物にしてきた悪友に、不幸面の女の取り合わせは、容易に想像でき、繰り返される緩急のない話を退屈にさせない手段として有効だ。
 とは言え、限界がある。酒を飲んでいても限界がある。
 特に酔ってる訳じゃないが、いい加減に笑顔の作り過ぎだ。顔に筋肉が引き攣る。
 女の方も、不幸には酔ってるが、酒に酔ってる様子はない。俺は苛立ち始めたのを自覚する。顔に出せない分だけ、酒のピッチが上がっていた。
 そろそろ限界だ。俺は不意に女を抱き寄せた。どうせこいつもその心積もりだろう。
 女は、驚きはしたようだが抵抗はしなかった。半ば強引に口付けする。
 それでも抗う様子はない。よし、いける。
 そう思って唇を解放した途端、女が呟いた。
 「ね。少し海を見にいかない?」
 この状況を回避しようとしているのかとも思ったが、慌てた様子もない。
 それに突然、「海が見たい」なんて女が言い出した時は、それが何時であろうと、それが内陸であろうと、「俺もそう思った」と答えなきゃならないのだ。それが判断できる程度なら、俺はまだ酔っちゃいない。
 「ああ。俺もそう思ってた」
 酔っちゃいないが、酒のお陰で歯の浮くようなセリフも平気で吐ける。 
 女が途端に、不敵に妖艶な笑みを浮かべた。さっきまで死にたい願望丸出しの表情をしていたのが嘘のように、ぎらぎらとした表情で。
 ひょっとして、口説いたつもりになってただけで、俺が口説かれてたのかも知れない。だが、そんな表情は一瞬で消えたし、美人局や金目的の女って訳でもなさそうだ。
 「外は寒そうだな。コレ、着てけよ」
 俺が自分のジャケットを手に取ってそう言うと、
 「あなたも、これ。忘れないで。暖まるわ」
 女は、半分ほどが空いたウィスキの瓶を抱えて、部屋を出た。上着と瓶を交換したのは、ホテルを出てからだ。
 俺は、誘われるままに女の後を歩いていく。
 海岸の空は、漆黒を切り取ったように明るい満月で、冷たい風が容赦なく吹いていた。
 「ここに、秘密の道があるの」
 女と出会った海岸からさほど離れていない砂浜で、真っ暗な海を指差して笑った。
 「道? ニュウスイ自殺でもするつもりか? それとも、本当はもう死んでて、俺は幽霊に誘われてるのかな?」
 俺は、茶化す。
 「それを言うならジュスイ自殺よ。大丈夫。見てて」
 女が少しだけ楽しげに笑い、波を掻き分けるようにして、黒い海へと進む。まさか冗談だろうと思っていたが、女は軽い足取りで、ステップするように駆け出す。
 「おいっ、危な・・・」
 俺が声を荒げかけ、息を飲んだ。
 女が、波の上に浮いたのだ。
 「どうしたの? 幽霊でも見てるみたいよ」
 女が、くすくすと笑う。今までの暗い表情が嘘のように、少女のような笑い声。戸惑う俺を置いていくようにして、女はどんどんと陸から離れていく。
 「大丈夫よ。あたしは幽霊じゃないわ」
 そう言ってどんどんと闇に呑まれる女。
 信じられない光景にトリックがあるとするならば。俺はそう思い、女の跡を追うようにして、波へと、足を踏み入れる。
 その瞬間に、それがトリックでも何でもない事に気付かされた。女の言葉通り、この海には道があるのだ。
 「ね。あたし、幽霊じゃないわ」
 引っ掛かった俺に告げ、軽快に笑う女。ーこの瞬間のために、今まで暗い女を演じていたのだろうか。だとすれば相当な役者だ。
 「トンボロっていうのよ」
 「トンボロ・・・?」

 まだ鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたのだろうか。女はさも愉快そうにころころと笑った。
 「陸繋砂州(りくけいさす)って言った方がわかりやすい? こっちの陸地とあっちの島とを連結する砂の道よ。引き潮で水位が下がった時だけ通れるの」
 聞いた事がある。確か、それのお陰で観光名所になっている土地もあったはずだ。ここにそんなものがあるなんてのは初耳だった。
 「地元の人間は大体が知ってるわ。ただ、観光名所にするには色々と問題があるのよ」
 新月と満月にしか現れない道。その圧倒的に狭い道幅や途中の窪みから考えて、名所にして観光客による事故が起きる事の方が問題らしい。
 「地元の人間なら、そんな事故もないとは思うけど」
 女が、踊るようにして、暗闇の向こうの島を目指す。俺は、足元を濡らしながら、必死になって女の跡を追った。
 昼間に見た時は、もっと近いような気がしていたが、陸と島は思ったより距離があるらしい。潮が引いているのか、進んでいく内に、どんどんと道が出来上がる。
 慣れない、濡れた砂の上を走る所為か、女に追いつけない。
 ようやく追いついた時は、もう、島に到着していた。追い付くと同時に、俺は女の手を引いて、抱き寄せる。
 冷えきったお互いの身体をあたためるには、それがいい。
 女は抵抗せず、むしろ、求めてきた。女の冷たい指が俺をなぞるたびに、我を忘れて女の肉を貪った。
 俺たちは濡れた砂の上で絡み合い、俺は白い女の肉の上を泳いだ。
 何とも幻想的な、甘い、淡い、蜜月。
 二人がようやく果て、まだ体に残る余韻を楽しんでいる時、突然と女が飛び起きた。
 「いけない。急がないと道がなくなるわ」
 急に我に返る女。さっきまでの甘いまどろみが吹き飛ぶ。これだから、女ってのはロマンがない。
 「かまわないだろ。次に道が出来るまで、ゆっくりしよう」
 「次に道が出来るのは、明日のお昼よ。どうせあなたは近日中にここを出て行くんでしょ」

 一気に現実に戻され、興醒めする俺。この女のために滞在期間を延ばしてもいいと言う考えまでが失せる。苛立ちを隠すためにも俺は、傍に落ちていたウィスキの瓶を手に取り、あおった。
 女が辺りに散らばった服の砂を払い、着込む。まだ寝転がったままの俺の耳に、衣擦れの音が聴こえた。
 「急いで」
 面倒くさいとは言えず、俺ものろのろと服を着た。
 「のんびりしてる場合じゃないのよ。この時間だと、うかうかしてたら帰れなくなるわ」
 女が急き立てる。だが確かに、のんびりしている場合ではなさそうだった。島に着いた時には、意外と広く思えた道も、随分と幅が狭くなっている。
 行きの時には、目に見えて水位が下がっていた事を考えれば、この道幅はどんどんと狭くなり、いずれは波に呑まれるのだろう。
 服を着込んだ俺達は、急ぎ足で道を渡る。
 酒を飲んだ所為か、汗をかいた所為か。酷く寒い。
 寒さをごまかす為に、また酒をあおる。妙だ。歩いているのに、酷く酔いが回りだす。
 「どうしたの? 気分でも悪いの?」
 女が俺の顔を覗き込む。
 「いや、何でもない。少し・・・」
 駄目だ。とんでもない睡魔が、一気にとばりを降ろして来る。
 「このままじゃ、海に取り残されるわ。頑張ってもう少しだけ歩いて」
 「・・・ああ」

 意識では、何かが妙だとわかっている。だが、歩くのが億劫だ。身体が重い。
 何分か歩いたのだろうか。途中で、どんどんと意識が遠退きだす。電車の中の不意な睡魔に似ている。このまま、ここで横になりたい。
 それでも、こんな海に取り残される訳にはいかないと、意識を振り絞る。
 「どうだった? あたしのカラダは」
 既に夢でも見てるのか、女が場違いな質問をする。
 まともに前を見ているのかどうかさえわからない状態。その時、不意に冷たい波が俺のくるぶしを洗った。波の冷たさに、少しだけ意識が戻る。
 「三年振りの、あたしのカラダはどうだった?」
 「さんねん?」
 「覚えてないわよねえ」

 女が、意味のわからない事をぶつぶつと呟く。
 「あいつでさえ、覚えてなかったもの。あんたが覚えてる筈ないわよねえ」
 女が、煩わしい言葉で話し掛けてくる。俺は、女の言葉をまともに理解出来ない。答える気力もない。
 「偶然って怖いわあ・・・。まさか、こんな片田舎で、二人を殺せるチャンスに巡り合えるなんて・・・」
 煩い女だ。眠い時に限って、ごちゃごちゃと煩い。これだから、女ってのは。
 「あたしに妹なんて、いないの。あんたのオトモダチに騙されて、捨てられたのはあたし自身なの」
 何を言っているのか、わからない。まともに女の方さえも見られない。早く静かに寝させろ。
 「ううん。捨てられたんじゃないわ。売られたのよ」
 俺はついに、その砂の道へと膝をついた。冷たい海水は、俺の腰ぐらいまであるような気がする。
 「たったの三万円で、あんたにね」
 女の声が上から降って来る。
 「・・・・んたも・・・つぐらいお酒に弱か・・・・、薬なんて使わずに済んだのに。まぁ、ここで波に・・・・・、死体が上がる頃には証拠らし・・・・なんて残らないけど・・・」
 言葉の端々を聞き取る事さえ出来ない。
 「・・・・の時は、身体中のお肉を魚に啄ばまれ・・・・・ぶよに膨れ上がった、真っ白な塊になって・・・・・」
 女が笑う。煩い女だ。早く寝かせろ。
 「あんたのオトモダチみたいにね」
 女の気配が遠退く。
 やっと眠れる。
 俺は、冷たく心地の良い、水のベッドへと身を沈める。
 しんしんと、波が俺に覆い被さる。
 今夜はいい夢が見られそうだ。







 ネット小説 小説の「しょ」 3つの言葉で短編小説
 第6回 「月」 「温泉」 「トリック」投稿作品

 時間がないので20年ぐらい前に投稿した短編小説でも。

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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。