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火垂るのパカチューブ


 皆さん、こんにちは。宮崎駿は好きじゃないけど、宮崎駿が稼いできた金を、容赦なく湯水のように使う高畑勲は好き。木賃もくちんふくよし(芸名)です。

 さて。本日の記事はちょっと珍しいパターンで、昨日の記事の有料部分である。
 なんて言うか、単純に追記部分が長くなり過ぎたので翌日の記事にしてしまえ、って感じなのですが、有料部分に至るまでを簡単に解説しますと、


 (´・Д・)」 無関係な素人が、
 訳知り顔で「あの事件の
 真相ってコレなんですよ!」
 とか言うのが大嫌い。


 って話なんですよ。しかも、その情報が明らかに間違ってたり、他の話とゴチャ混ぜになってたり、又聞きレベルで、どんな神経してたらドヤ顔出来るんだろう? って思っちゃう訳です。


 (´・Д・)」 まあ多分、
 ワタクシもアメコミ関係で
 やらかしてる気はしてるが。


 いや、アメコミ関係じゃなくてもやらかしている気はする。要は昨日の庵野とシン・仮面ライダーについての記事は、それに該当している気もするからだ。

 だが、本日の話題は庵野でもシン・仮面ライダーの話でもない。


 (´°Д°)」 火垂るの墓に
 関するお話なのである。


 (´・Д・)」 うん。

 (´・Д・)」 ホントに。


 (´・Д・)」 アレ。
 サクマ式ドロップスの。


 え? 雪崩式バックドロップの方が似合う?



 ええまあ、そこは概ね同意なんですが、ホントに「火垂るの墓」のお話なんですよ。ええ。

 (´・Д・)」 なんか、先日ツイッターでジブリ作品の方の「火垂るの墓」に関する感想や考察や解釈が上がってて、非常に盛り上がってた訳なんですよ。

 まあ、色々あったんですが、発端になったのは、


 清太が全然、感謝も謝罪も出来ない奴で、言ってしまえば自業自得の物語って考察が賛否を集めたからなんですよね。


 ワタクシ、この意見には概ね賛成で、

 親戚のおばさんは「居候するならウチのルールに合わせろ」と言ってるだけで、2人の面倒を見てない訳でも、気に掛けていない訳でもない。まして「出て行け」とは一言も言っていないのである。
 そして、確認をした訳ではないので不正確かも知れないが、清太は、作中を通して「ありがとう」と「ごめんなさい」を言わない。
 野菜泥棒した際も「妹が病気で」と言い訳するだけで、たぶん謝ってなかったと思うのよ。

 言い方は悪いが、俯瞰して見ると、居心地が悪いからと妹を連れて出て行った清太にすべての責任がある。1人で出て行きゃ良かったのに、下手に妹想いだったのが不幸の始まりとなってしまった。

 コレは言わば、清太の自業自得であり、節子はその道連れで犠牲になったに過ぎない。

 無論、その背景には戦争やら、政治ってモノもあったろうが、別にこの映画は戦争の時代ってだけで、反戦がテーマではないし、戦争の空襲によって死ぬ訳でもなんでもない。実際に高畑監督もそうコメントしている。

 だが、この「感想」や「考察」を良しとしない連中がいて、


 (´°皿°)」 反戦映画を自業自得
 って言葉で片付けようとするな!


 (´°Д°)」 戦争がなければ
 2人は死ななかっただろうが!



 って「感想」が来て炎上気味だった模様。いや、あのサバイバル能力じゃ、


 (´・Д・)」 戦争じゃなく、大恐慌でも、
 清太は節子を連れてのたれ死んだと思う。


 まあ、そうなると戦争じゃなくて政治や金持ちが叩かれるだけなんだろうけどな。

 で。色々と賛否の声があって、非常に面白く拝見していた訳なんですが。


 (´・Д・)」 ほとんど誰も、
 原作について言及してない。


 なんかまるで高畑勲が原作であるかのような論調が多いのよね。なので、「映画の設定がおかしい」なんて言ってる人もいるが、割と原作通りの設定なので、その文句は原作者である野坂昭如に言うべきなのである。

 で。ワタクシが「自業自得」に同意してるのは、原作である野坂昭如の「火垂るの墓」が好きで何度か読んでいるからだ。
 そう。「火垂るの墓」は野坂昭如の実体験が物語とベースになっていて、つまり、清太は野坂昭如の分身って事になる。


 清太のモデルはろくでなし。
 清太に共感できない。
 そりゃできないだろう。


 (´・Д・)」 だって、
 あの野坂昭如やで?


 (´・Д・)」 ロクな子供じゃ
 なかったと思うわ。


 実際、野坂が街を歩いていると、映画を観たと思われる見知らぬおばさんに「野坂さんですよね! 戦時中はご苦労なされたんですね…」と涙ながらに話しかけられるも、


 ( ´_ゝ`) .。o(あれ、作り話なんだよなぁ。


 って野坂昭如ですよ?
 実際、野坂は戦時中に妹さんを亡くされているが、この時の妹さんはまだ1歳で、節子のように兄を慕っていた訳ではない。

 そして、野坂自身は兄として(養子同士なので血は繋がってない)、それなりに愛情は持っていたものの、面倒を見なければならない妹を煩わしいと感じていた事も告白しており、妹が死んだ際にも、悲しみや後悔なんかより、遊びたい盛りに、妹がいなくなってくれて楽になったとさえ述懐している。

 そして野坂は、妹が死んだ事に大きく悲しんだりもしなかった。
 だが、この事が成長し、大人になり、いずれ後悔や懺悔の気持ちが自分を押し潰すだろう、、、



 (´・Д・)」 と思っていたのである。



 (´・Д・)」 しかし、大人になっても、
 妹に対する懺悔の気持ちは湧かなかった。



 でも、野坂は、そこで後悔の念を抱かない自分に対し、


 (´・Д・)」 自分はヒトとして、
 何か欠けてるんじゃないだろうか?


 そう思い、妹想いの優しい兄として清太を、そして「火垂るの墓」を執筆したのである。
 ソースは出せないが、野坂昭如のインタビューとかエッセイに書かれてた。以前のwikiにも載ってたし。

 で。コレが野坂昭如の真意かどうか、事実かどうかはわからないが、ワタクシはコレに強く共感する。


 (´・Д・)」 だってワタクシ、
 飼ってた猫が
 死んだ時は泣いたけど、
 同級生が死んだ時、
 何も悲しくなかったもん。


 人が死んだら悲しまなきゃいけないものではない。人なんて世界中で毎日たくさん死んでる。所詮は自分との距離に過ぎない。
 そして、身近な人が死んだからと言って、悲しまなきゃならないものでもないのだ。


 (´・Д・)」 肉親だからって
 関係が良好とは限らんしな。


 だからそもそも、野坂が安い反戦モノだとか、お涙頂戴モノを書くとは思えんし、

 (´・Д・)」 野坂が考える、
 妹に優しい兄貴ってのが、
 感謝も謝罪も出来ず
 野菜泥棒をする清太なのよ。


 野坂自身が清太のモデルなんだから。
 清太はアレでも野坂の改良版なのよ?


 (´・Д・)」 そうすると、野坂的観点から見た場合、「自分が甲斐甲斐しく面倒を見たら、やっぱり妹は死ぬし、それどころか自分も死ぬよな」が、「火垂るの墓」の原点じゃないかと思うのである。

 うん。


 (´・∀・)」 感動の映画が台ナシ!


 でもワタクシ、映画も小説も大好き。

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 なお、この先にはかの有名な野坂昭如のろくでもない話しか載せられてません。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。