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この世界の肩すかし


 皆さん、こんにちは。そう言えば、まだ(さらにいくつもの)を観ていない木賃もくちんふくよし(芸名)です。
 さて。昨日は、戦中戦後の世代にとって、サツマイモは日常最高の悦びであり、羊羹は非日常における最高の悦びだった、という話をお届けしました。

 ※ 昨日の記事。


 しかし、コレは一個人の意見に過ぎません。
 誰だったか忘れましたが、政治家の一人(石原慎太郎かと思ってたがソースが見つからず)は「芋は嫌い」だと言ってたらしく、理由は戦中戦後に芋ばっかり食わされてたから、だそうです。

 なるほど。そうめん国に育ち、夏になると素麺ばかり食わされて来て、ソーメンに嫌気がさしているワタクシとしましては、わかる気もする。
 同時に芋自体は好きだし、ひたすら牛丼しか食ってない日々があっても平気だったりするし、実際2年ぐらいカレーばっかり食ってる時期もあったし、この2年ぐらいはカップ麺とパックご飯しか食ってない。意外と平気だ。なぜ素麺だけ嫌気がさしているのかは不明である。

 ちなみにワタクシ、芋は男爵、メークイン、山芋里芋を含め、好きな部類の食品だが、蒸かし芋だけは少々苦手だったりします。
 理由は、口の中の水分を奪われて喉が詰まる感じがするからです。ゆで卵の黄身なんかも同様で、味は好きなんだけど、イマイチ食指が動かない。
 いや、素麺を含め、蒸かし芋もゆで卵も食えますし、食いますし、嫌いって訳ではないんですよ。何なら味自体は美味しいとも思うんですが、自分から「アレを食わせろッッ!!」って気分にはならないって話です。

 とまあ、個人の好き嫌いってのは色々ある。ワタクシに、食えないほど苦手な食材はない。イナゴやコオロギやカメムシ、サソリやヘビやヤモリも食ってる。シュールストレミングやホンオフェも体験してるし。
 強いて言うとマーガリンが嫌いだとハッキリ言えるが、別に食えない訳ではない。

 ただ、コレだけは言っておきたいのだが、


 好き嫌いは
 極端な方が
 話が面白い。


 アレだけは無理、とか言った方が場は盛り上がるのだ。コレは食い物や好き嫌いだけの話にとどまらない。だいたい何でも、人に伝える時は、


 詳細じゃない方が
 話は伝わるのだ。


 人は大事な事を伝えようとすると、事細かに事実を話す。多くの人がその選択をしてしまう。だが、それは間違いである。
 風刺画や漫画と同じ理論だ。デフォルメした方が伝わる。必要ない部分を省略し、大事な部分を誇張した方が、相手には伝わるものなのだ。

 誇張とまで言うと捏造を疑われるが、そうではない。
 その日の出来事を話すにしても、同じ10分で今日1日の話をダラダラするより、面白かった部分にハイライトを当て、5分で話した方が伝わるし、喜ばれるのだ。

 そこで、少し考えてみるとわかるが、つまり、

 歴史とは
 そんなハイライトで
 構成されているのである。


 映画で言えば予告編。ドラマやアニメで言えば、前回のあらすじ。しかも、予告やプレビュー用に順序などを編集する。
 つまり、我々が観ている歴史なんてのは、そうやって作られた捏造の塊なのだろう。

 そんな当たり前の事に気付いたのは、比較的最近である。いや、薄々どこかでそう感じていたし、歴史に捏造がある事は承知していた。だがそれでも、大事な事に気付けていなかったのである。


 「この世界の片隅に」
 という映画を観るまで。


 そう。この作品は非常に面白い映画(と原作漫画)だったが、ワタクシがこの映画で最も大きな衝撃を受けたのは、


 厳しい戦時下でも、
 人々は日常生活を
 送っていて、
 そこには笑いも
 笑顔も存在している。


 という当たり前の事だった。言われてみれば、我々だって、バブル崩壊で経済混迷。湾岸戦争があり、阪神大震災を経て、オウム真理教のテロ事件があり、911で飛行機がビルに突っ込み、第二次湾岸戦争が勃発し、リーマンショックで世界経済が揺るぎ、東日本大震災が起こり、今は新型コロ ナ大流行で世界は大混乱のさなかにある。
 歴史として認識すれば、それは間違いなく大混乱の歴史の上を歩いているのだ。
 
 だが、それでも我々は普通に生きてるし、普通に暮らして、普通に笑ったりしてる。

 意外と、歴史ってのはそーゆーモノなのだと気付かされたのである。
 兵隊の比率を考えれば、「激しい戦争が起きた」と言っても近代までは案外と「国や兵隊、隣接区域だけの話」で、他は平穏だったかも知れない。
 むしろ「兵隊になって名を上げたい」なんて若者は多かったのかも知れないのだ。

 飢饉や疫病なんかにしてもそうだ。
 漫画や映画で描かれるような悲惨な状況なら、我々は今、この場に存在していないのである。
 そして、創作物のように、劇的に1日でハッピーエンドを得た訳でもない。
 色々な傷跡を残しながら、1日1日再興していった筈なのである。
 何なら、ターニングポイントは存在するものの、損害と回復は同時進行していた訳だ。

 調べてみれば、意外とそんなモンである。そう。


 年貢の取り立てが厳しく、
 農民は苦しめられた。


 ってのも、


 増税されて、
 生活が苦しい。


 ってのと大差なかったかも知れないのである。
 無論、今現在のように飢餓、貧困、病気、戦争、略奪で死ぬ人は少なくなかっただろう。根本的な豊かさが違うのだから。
 だが、貧しい国や戦争中の国が消えてなくならないのは、貧しくても戦争中でも、人々が生きているからである。
 つまり、少なくとも漫画や映画で描かれるほどに悲惨な状況ではなかったとも言えるのだ。(だから戦争や飢饉が悲惨ではない、と矮小化する意味ではない)

 そこで、話を昨日の記事に戻そう。
 昨日の記事に出てくる、知人と、そのお父上の会話である。



 (´-`) 「とにかく食べる物がなくてな。食える物は何でも食ってた」


 (´・ω・`) 「虫とかも食ってたんだ」


 (´-`) 「イナゴも食った」


 (´・ω・`) 「イナゴじゃ、腹も膨れんだろうな」


 (´-`) 「ウム。とにかく何でも食ってた」


 (´・ω・`) 「そういや、近所に川とか池があるけど、フナとか釣って食ってたんだ?」


 (´-`) 「・・・?」


 (´・ω・`) 「ぃゃ、フナとか」


 (´-`) 「いや?

 なんで川魚なんか
 食わんとあかんのや?」



 (´⊙ω⊙`) えええええええ!?




 (´・Д・)」 歴史の真実って意外とこんな感じだと思ったの。


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 なお、この先には「なんで川魚なんか食わんとあかんのや」に関する追加情報が書かれています。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。