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BORN TO RUN -達人-


 「現代武術、ですか?」
 枯れ木のようなその老人の言葉に、僕は素っ頓狂な声をあげた。
 「いかにも。現代美術があるんだから、現代武術があってもいいだろ?」
 老人─瀬川博樹はカラカラと笑った。瀬川博樹は本名である。通名は「八代目山内上杉辰虎双龍」 上杉流古武術師範。軍神と称えられる上杉謙信に由来する武術の継承者だと言うが、その出自が眉唾なのは、瀬川老自身の認めるところであり、本人の談である。
 オフレコだとも言われていないし、誌面に載ったところで抗議はされないだろう。そんなあっけらかんとした空気が、常に瀬川老の周囲に吹き付けているのだ。
 古流武術の達人。その強さが本物なのかどうかはわからない。だが、裏付けられた事実はある。武装した外国人強盗グループを、たった一人で捕縛したのだ。
 『古流武術の達人、強盗を撃退』 地方新聞に小さく載った事件を見つけた。
 たった一人の強盗なら、偶然勝てたなんて事もあるだろう。だが、強盗は四人いた。全員がナイフや金槌、バールという凶器を所持。それを、単に追い払っただけでなく、捕縛して警察に突き出したのだ。偶然では有り得ない。
 それに、この記事が気になった僕は会社の資料室から過去の記事を洗い、瀬川老の過去を調べた。三十五年前に路上で銀行強盗を捕まえている。それだけではない。ひったくりの捕縛が一回。往来で暴漢を取り押さえてもいる。しかも、暴漢は薬物中毒者だった。
 この老人に興味を持った僕は、上司に掛け合い、彼を取材することにしたのだ。アポイントは快諾された。
 「はちだいめやまうちうえすぎたつとらそうりゅう、なんて舌ァ噛みそうな大仰な名前、箔をつける以外にゃ不便なだけだろ? 屋号だよ、屋号。死んだら戒名は短くして貰いたいね」
 自分の流派が怪しげだなんて、師範の言うべきことではない。本来なら。だが、瀬川老の言葉に訝しげな雰囲気は微塵も感じられない。もし彼がペテン師なら、僕は見事に騙されている、と言うことなのだろう。
 そもそも上杉謙信に源流があると言うこと事態が怪しく、家系図も胡散臭いし、八代目なんて言うのも不審な点がある。せいぜい明治、よくて江戸末期ではないかと瀬川老は語る。
 だが、武術に必要なのは「強さ」が本質。だから出自なんてどうでもいい。
 「しかしよ、おまんま食うにゃ、多少のはったりも仕方ないだろ。江戸末期か明治なら、仕官先をなくした侍なんて山ほどいただろうからな。でまかせひとつで腕がホンモノなら、別に責められるほどの事はないだろ?」
 瀬川老が言うには、江戸でのお抱えをなくした浪人が、この群馬で「上杉謙信」の名を騙ったのが始まりではないかと言うものだ。
 だが、名は偽物でも腕前は本物だったようである。実際の源流は陸奥会津藩の殿中武術辺ではないかと推測しており、すなわち大東流合気柔術に近しい技術体系であると見ているが、大東流合気柔術が陸奥会津藩とは無関係とする説もあり、だとすると年代が合わない。いずれにせよ真偽の程は定かではない。
 ただ、大東流合気柔術の実質の創始者である武田惣角が、あれほどの技術体系を誰から学んだのか、という謎がある。武田惣角がたった一人であの合気柔術を作り上げたのでなければ、それを伝えた人物がいる。
 「俺は、その人物か、その人物に伝えられた武術こそが、この上杉流古武術だと睨んでる。いや、信じなくていい。その方が浪漫があっていいだろ?」
 瀬川老は楽しそうに語った。
 「実際のところはわからんが、少なくとも、自称・七代目上杉辰虎昇龍は本物だったし、先代が言うには六代目上杉辰虎蒼龍も本物だったらしい」
 ちなみに五代目は輝龍。四代目は甲龍らしい。確かに浪漫ある名前だ。悪く言えば胡散臭い。
 「俺は柔道も剣道もやってたが、どっちの先生よりも先代の方が強かった。ほとんど魔法みたいなモンだよ。気が付いたら投げ飛ばされてる。ずうっと修行して、だんだんその魔法の仕掛けがわかってきて、それでも先代は強かった。ある意味じゃ、今でも先代の方が強かったと思ってる。だが、結果としちゃ、俺の方が強くなった。なんでかわかるか?」
 僕も柔道をやらされていたし、それなりに強かったとは思うが、師範クラスの強さはちょっと異常で、何かの次元が違っているとしか思えなかった。瀬川老は、その次元の差を埋められたのだろうか。僕は素直にわからないと答える。
 「先代は馬鹿みたいに強かったが、先代ほど強い相手はそうそういなかった」
 「つまり、常に先代と戦ってきたから勝てるようになったと?」

 インタビューしているのは僕の筈なのに、どうにも質問を誘導されている気がしてならない。会話が立て板に水なのはありがたい話だが。
 「いや、それで対抗できるようにはなったが、それじゃまるで勝てなかった。そこで考えたのさ。先代クラスの強さを持った人間はそうそういない。投げられるのは仕方ないってな」
 「投げられるのは、仕方ない?」

 瀬川老の話し方にはクセがある。どうにも話の節々に、わざと「不可解な部分」を混ぜて来るのだ。会話している限り、非常に論理的でわかりやすい話し方をする。だが、質問に質問で返したり、理解できないキーワードを織り交ぜて来る。
 「あんた、喧嘩する時に無傷で勝てると思うかい?」
 ほら来た。
 「いえ。ある程度のことは覚悟するんじゃないですか?」
 喧嘩は子供の頃にしかした事がないけれど、柔道をやらされていたから、それぐらいはわかる。自分が投げる間合いに入るって事は、同時に相手に投げられる間合いでもある。制空圏に差はあれど、自分だけが一方的に仕掛けられるなんて都合のいい話はない。
 「ウチの流派は、その一撃で殺す。だから、ある程度の怪我なんてものはない。技を食らったら死ぬんだよ」
 瀬川老が楽しげに唇を歪めた。下調べしてきた限り、上杉流は柔術に近い投げ技と関節技を得意としている筈だ。殺す為の技が豊富なイメージはない。実際に投げる、と言っている。だが、上杉流には剣術もある。投げた後に小太刀でとどめを刺す、という事だろうか。
 「じゃあ、勝てないじゃないですか」
 「そりゃ、あと五年、先代の動きやら癖を読み切って戦えば、多分勝てた。先代もいい歳だったからな。十年、いや七年あれば確実に勝てた。しかし、俺はそんなに辛抱強くなかったんだよ。さっさと勝ちたかった。だから、先代にどれだけ投げられようとも、先代より速く投げる事にしたんだ。合理的だろ」
 「は、はあ」

 このインタビューにしても、確かに話は早い。欲しい情報は簡単に引き出せている。
 だが違う。たまたまある程度合致しているだけで、瀬川老は僕が欲しい情報を話していると言うより、自分が話したいことをコンパクトに伝えているだけなのだ。
 「それに俺は思ったんだよ。達人にはなりたいし、先代にも勝ちたいが、古武術を始めたのは強くなりたかったからだ。一部の馬鹿みたいに強い達人と戦う事は滅多にない。達人相手に勝つ事が武術の本質だとは、俺には思えなかったね」
 その言葉は意外だった。武術を学ぶことの本質は「一番強くなりたい」が根底にあるものだと思っていた。無論それが叶わないと知ったり、技の精錬に魅せられたり、技術体系の継承に尽力したり、武を持って戦わない道を選ぶ。そういうものだと思っていたのだ。
 「だから、恐ろしく強い0.01%の達人相手に勝つよりも、凡人から腕っこきまでの99.9%の相手に勝てる道を選んだ。それが現代武術さ」
 確かに、いざという危険がその身に迫った時、その相手が武の達人である可能性は低い。正直なところ、0.01%以下だろう。
 「俺が行き着いた結論は、相手に反応する前に技をかける。しかし、スピードには限界がある。だったら、相手の反応を遅らせればいい。これが意外にね、効くんだ。誰にでも」
 確かに、物理的な速度には限界があるだろう。それに、速度を追い求めれば老いには勝てなくなる。ならば自分が速くなるより、相手を遅らせる。合理的な考えではある。
 「奇襲、フェイント、騙し討ち。何でもいい。右を打つと見せて左を打つ。基本だ。その究極は手品だよ。先代は強かったから、そうやってペテンにかけなきゃ勝てなかった」
 瀬川老のいうペテンが何かはわからないが、余程の達人でもない限り、突然背後から斬り掛かるとか、熟睡している所を刺すとか、極端な話、食事に毒を盛れば僕にでも勝てる。
 「そりゃ先代も大したモンだ。1回目は勝てるが、2度と同じ技は通じない。まあ、久々に掛けたり、混ぜたり、合わせたりすると掛かってくれるけどな。正攻法なら勝てないままだけど、武術なら何をやってもかまやしない。そうやって八代目の名前を貰った」
 からからと笑う瀬川老が、どんなえげつない手を使って先代に勝ったと言うのだろう。
 「それで山内上杉流を襲名して、俺は思ったんだよ。このままでいいのかってな」
 先代への勝ち方の問題だろうか、次なる後継者の問題だろうか。しかし、瀬川老の口から漏れたのは、全く別の憂いであった。
 「俺は剣道も嚙ったし、山内上杉流には剣も槍も薙刀もある。だが、そいつをどこで使う? 道場以外の何処で使う?」
 「真剣なんか持ってたら処罰対象ですからね」

 帯刀どころか所持も禁止されている。決闘私闘も御法度だ。喧嘩や暴力は否定される。それが現代なのだから仕方ない。
 「それだけじゃない。街中で暴漢に出くわしたとして、その時に木刀を持ってるか? 竹光でさえ持ってねえ。そんな技術を武術と呼んでいいのか?」
 「実戦で使えてこその武術、ですか」
 武器を持てば強いのは当然だ。だが普通、武器なんて携行している筈はない。剣道の達人は剣を持たずとも強いと言うが、剣道の達人では空手の達人には勝てないだろう。そして、空手の達人でも、武器を持ったちんぴらには勝てないかも知れないのだ。
 「山内上杉流の技術は伝えるさ。埋もれるには惜しい技術体系だからな。俺の代で終わらせていいモンじゃない」
 使えるか使えないかではなく、次の世代に残していかなければならない。伝統や文化とはそう言うものだろう。しかも一昔前までは門外不出の、秘伝の、なんて言っていた閉鎖的な技術は少なくない。
 「だがよ。鎧を着たまま泳げる技術が、実際の所なんの役に立つ? 槍術や棒術を使って来る奴がいないのに、それに対抗する技を身に付けて何になる?」
 「確かに、ナイフや拳銃を持ち出される方が、まだ現実的ですよね。スタンガンとか」

 少なくとも、日々のニュースで槍を持った男に襲われたって話は聞かない。
 「まあ、鉄砲を持ち出されたら、俺でもあんまり勝てる気はしないけどよ。達人相手に技で殺し合う技術を極めるより、ヤクザに囲まれる可能性の方が高いだろ?」
 それも相当に低い確率だし、しれっと銃には「あんまり勝てる気はしない」と言っている辺りが瀬川老らしい所だ。
 「その時の為の技術であるべきだと?」
 「俺は今でも技を磨き続けてる。求道って奴だな。この間、世界空手選手権の優勝者をユーチューブってヤツで見たよ。優勝した宇佐美ってえのか。若いのに凄い練度だ」

 伊佐美陸選手。空手に明るくない僕でも、それがどれ程凄いのかがわかる演舞だった。途轍もなく速く、そして無駄がない。全ての打撃に腰が入っている。時の会場がスタンディングオベーションで沸いたのもわかる。
 「ありゃ凄い。だが、やってる事ァ大した事じゃねえ。ただの正拳突きだ。ただの前蹴りだ。求道ってのはそういう事だ。ひとつの動作を完璧にして、完璧の更に上を目指す。無駄をなくし、一挙手一投足を完成させる。それは素晴らしい事だ。俺も求める所だ」
 伊佐美選手が行った型は、北谷屋良公相君(チャタンヤラクーシャンクー)というもので、特別な型でもなんでもない。要するに、普通に過ごしてきた日本人なら、ほぼ誰にでも「君が代」は歌えるが、いかに上手に歌えるかは別の話だ。伊佐美のそれは感動に値した。それほどの精錬度だったのだ。
 「だが、効率が悪過ぎる。正拳突きひとつを完成させるのに、いったい何年を費やすつもりだ?」
 伊佐美の世界大会優勝時で28歳。瀬川老が若いのに凄い練度と褒めた理由がわかる。普通なら、達人の域に達する頃には、肉体的な衰えが来ていて当然なのだ。
 「だから、そうじゃなくても99.9%の相手に勝てる技術を求めた。そいつは本来の山内上杉流じゃない。いわば瀬川流だ」
 「それが現代武術であると」

 0.01%の難敵には勝てない代わりに、残りの99.9%には勝てる技。それが瀬川老の言う現代武術。
 「そうだ。あんた、石のような拳と、石のどっちが強いと思う?」
 「そりゃ、その石ですかね」

 取材で空手の達人にもあった事はある。見せてもらった拳は野球用グローブのような大きさとぶ厚さ。その硬さは確かに鈍器とでも言うべき硬さだ。拳は常に携行している武器だし、自在に操れる。対人の武器としては、石そのものよりも、完全な硬質ではない拳の方が効果的だと言えるだろう。
 だが、その域に達するよりも、だ。
 「正解だ。石のような拳を完成させるまでに何年も修行するのは効率が悪い。相手の骨を砕ける拳を磨き上げなくても、石を掴んでブン殴る方が手っ取り早い」
 「それが瀬川流ですか?」

 現代武術の正体が石を掴んでブン殴る事なら、聞いて呆れるだろう。だが、瀬川老の話には引き込まれる何かがある。例え、それがそのまま石だったとしても、習えば強くなる気にさせられるのだ。そして、その正体は石なんかじゃない。
 「理念としちゃそうだな。だけどあんた、街中に手頃な石は落ちてるかい?」
 そうだ。そこら辺にある石や、そこら辺にある棒切れ、なんて表現はするけれど、現実には転がっちゃいない。自分の部屋の中にあるものでさえ、適切な武器を探す事は困難だろう。
 「あんまり落ちてない、とは思います」
 「だから、確実に使える武器を使う。地べただよ」

 瀬川老はあっさりと答えた。だが、正直この答えには落胆を隠せない。
 「投げ技ですか」
 柔道がもし、アスファルトの路上に相手を叩きつけたら? そんな事は柔道をやってれば中学生でも知ってる。確かにそれは強力な武器となるだろう。だが、それは武器として数えるにはあまりにも危険すぎる。瀬川老が言った「一撃で殺す」とはこの事か。
 「基本はそうだな。どんな状況でも俺らの足元には必ず地面がある。こいつを使わない手はない。使えるなら地面でも壁でも石でも砂でも武器にする」
 確かに、相手に武器をぶつけるんじゃなく、相手を武器にぶつける方が効率的かも知れない。柔道でも、相手を綺麗に投げ飛ばせるぐらいに技が決まれば、相手の「落とし所」はコントロール出来る。
 「さっきも言ったが、相手がこう来たらこう返して、更に返されたらこう返す、なんてのは手の内が知れてる相手だけだ。相手がどう出て来るかわからないんじゃ、後手に回る。だから、ほら、じゃんけんだ」
 瀬川老が突然、じゃんけんを仕掛けてきた。「最初はグー」なんて前振りもない。
 僕は慌ててグーを出す。どちらかと言うと後出し気味だった。だが、瀬川老の拳は開かれていた。
 「こうやって相手の選択肢を減らす。突然仕掛けりゃ慌てて乗る。こっちが先に質問すりゃあんたが答える。さっきも手品の話をしたろ? 相手を殴りに行かなくても、相手の視線を誘導したり、行動を制限する方法はあるって事さ」
 先程からずっと感じていた瀬川老の朗々とした話口に乗せられている感覚はこれなのだ。
 「それが現代武術」
 欲しい情報自体はするすると入ってくる。だが、それさえも本当なのか嘘なのか。いや、おそらく全ては本当だろう。だが、それは手の内でも何でもない。「君が代」の歌詞とメロディは何度か聴けば覚えられる。しかし、それを上手に歌い上げられる訳ではない。磨き上げられただけの単なる正拳突き。磨き上げられたただの大外刈り。本当に恐るべきは山内上杉流などではない。そして、その技術体系でもない。恐ろしいのは、この瀬川という老人なのだ。
 「行住座臥これ全て武道だ。見たところ、あんた、柔道やってたろ?」
 「え、ええ」

 この老人は、取材のアポイントを取った時から、僕が敵かも知れないと想定していたのだ。僕が柔道経験者であることも見抜いていた。瀬川老はその言葉に正しく、一瞬たりとも武を忘れることはない。
 「話だけじゃつまらんだろ? 少し、勉強していきなさい」
 瀬川老が、とても悪い笑みを浮かべた。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。