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現世界グルメ「シチュー」



 シチュー。魅惑の料理のひとつである。だが、問題はもう始まっているのだ。
 そう。シチューと聞いた瞬間に、ブラウン・シチューとホワイト・シチューのどちらを思い浮かべたか、である。
 無論、ブイヤベースやほうれん草のシチューなど、それ以外のシチューを思い浮かべた人もいるだろうが、それはまず間違いなく少数派なので、申し訳ないが割愛させていただく。
 ロールキャベツなら、トマトの赤とクリームの白と出汁の三択になるだろう。だが、シチューは二択である。
 トマトが多いなどの理由で赤いシチューもあるが、これは所詮ブラウンシチューの眷属に過ぎない。それこそほうれん草のグリーンシチューなどでさえ、ホワイトシチューの派生であったりする。
 いや、ほうれん草のカレーのように、出汁をベースとしてグリーンにする場合や、タイカレーのようにココナッツミルクをベースとするケースもあるが、こうなって来るとこれはカレーにカテゴライズされる事が多く、シチューとは呼ばれない。
 シチューとは茶色(赤)系か、白(ミルク)系に二分されるのである。
 あなたがどちらを想像したかはわからないが、筆者がシチューと言われて想像するのは、「ホワイト・シチュー」の方だ。
 ちなみにどちらのシチューも好きなので、ホワイトシチューが食べたいから「白」を推している訳ではない。
 ブラウン・シチューは、ブラウン・シチューと言うより、ビーフシチューであるとか、ハッシュドビーフ、ビーフストロガノフ、ドミグラスソースなどの状況に応じた名称が存在しているからである。
 いや、ビーフシチューが必ず赤い訳ではない。ジョージア料理のシュクメルリのように、ミルク系の白いビーフシチューは存在しているのだ。だが、これも一般的とは言えないだろう。
 基本形として、ミルク系は鶏肉。ブラウン系は牛肉。これは世界的な流れとして「基本」なのである。
 ではそもそもシチューとは何か。
 スペルはstew、正確に言うと料理名と言うよりは、調理法に近い。
 焼くとか煮る、揚げるのような調理法の一段階上と言える「弱火でゆっくりと煮る」の意味を持つ。
 料理名と言うのは案外単純で「調理法が名前になっている」「材料が名前になっている」「調理器具がが名前になっている」「生まれた国や地方、町の名前(誤解であるケースを含む)」「発案者の名前(これも誤解である場合を含む)」「見た目で名付けられた」など、割と「そのまんま」なものが大半を占める。時代が古いほど前者、新しく複雑な料理ほど、後ろになりやすい。シチューは中でも原初の料理とされる為、調理法が名前だ。
 したがって、シチューはかなり広義の料理となる。つまり、多くの料理がスープの眷属となる訳だ。
 しかし、料理をカテゴライズする上で、明確にシチューと分けられる料理がある。
 それがスープとソースだ。
 調理法としては弱火でコトコト煮た汁物と、何ひとつ変わらない。では一体何が違うか。
 ソースは言うまでもなく、料理そのものと言うより、料理に添えられる調味料に近い。
 塩や胡椒という原初的でプレーンな調味料ではなく、酢醤油や柚子胡椒のように、複合的になった調味料。ソースはその中でも最も複雑なものだと言える。即ち、使われ方が違うのだ。
 では、スープはどうか。
 これも実は簡単で明確な差がある。
 副菜か、汁物かの差だ。
 西洋料理のコースで言えば、前菜・スープ・メインの「スープ」で供されればスープなのである。
 日本料理で言えば、おでんや肉じゃがが副菜として供され、味噌汁や吸い物が汁物として供される、と言えばわかりやすいだろう。
 つまり、粕汁や豚汁という料理は、供され方で副菜にも汁物にも変化し得るのだ。
 近しいところでは西洋料理の「チャウダー」がある。
 これまでは触れて来なかったが、主に「シチュー」は「とろみ」つまり粘性を売りにしたものが多い。逆にスープは粘性の低いものが多い傾向にある。また、透明度の高い方がスープで、低い方がシチューというような傾向もある。しかし、これらには例外が相当多いため、明言を避けてきたが、チャウダーはその中間地点にある。
 つまり、色が濃く粘性の高い方がシチュー、中間がチャウダー、透明でサラってしているのがスープという、実にぼんやりした傾向は存在しているようだ。
 さて。話を少し戻すが、この際のブラウン・シチュー系には状況に適した呼び名がある。しかし、ホワイト・シチュー系にはあまり多くの呼び名がない。
 ホワイトシチュー、クリームシチュー、ホワイトソース、クリームソース、少しマイナーになるが、ベシャメルソース。メジャーどころではこの辺りだろう。そして、後ろの3つはソースとして使用される。(この3つのソースも正確には別物なのだが、料理人以外にその話をしても通じないので割愛させてもらう)
 すなわち、調理法としてのシチューではなく、料理単体を示す場合、最もメジャーな「シチュー」とは、自動的にホワイト・シチューが選出されるのだ。
 これが「シチュー」と言えば「ホワイト・シチュー」を連想する理由である。
 このホワイトシチューだが、実のところ、ナポリタンスパゲティやカレーライスと同じく、西洋料理とは言いがたい「日本製の洋食」の一種に分類すべき料理なのだ。
 そう。西洋料理を馴染ませようとした時代、当時の日本では揃えられなかった数々の材料を代用品で済ませた結果、似て非なるものが作られた。そして、日本の食卓に調和すべくアレンジされたため、更に別の料理になってしまったのである。
 ホワイトシチューは、比較的西洋料理の原型を強く残している料理だ。しかし、かつては牛乳が一般的でなかったため、脱脂粉乳等を使用していた歴史がある。
 それでもミルキーでバタリーな風味が、貧しかった日本で受けたのだろう。
 しかし、材料も調理法も技術も簡単ではないホワイトシチューは、そのままでは家庭料理の中で一角を築く事は出来なかったのである。
 そこでカレーと同じく、大手食品会社が「ルゥ」を発売した。(発売当初は粉末製品)
 これにより、誰もが簡単にホワイトシチューを作れるようになり、食べられるようになった。食品メーカーの努力により、日本におけるホワイトシチューは不動の位置を獲得したのである。
 そうして生まれた日本食に合うホワイトシチュー。
 しかし、ここで大きな問題が生まれた。
 ホワイトシチューが、ご飯に合うか合わないか論争である。
 歴史から見て、日本人が日本人のために作り上げたホワイトシチューが、ご飯に合わない訳があろうか。
 だが、全国で行われたアンケートの結果、ホワイトシチューは「ご飯にかけない」派が、過半数に達していたのである。その比率、約6:4。
 ここで誤解なきように言っておくが、誰がどんな食べ方をしても、それを咎める気はない。無理やり食わされる訳でもなし、無理やり食わされるとしても、筆者は食べ物の好き嫌いが極端に少ないからで平気なのである。
 ただ、飲食業に四半世紀以上関わってきた人間としての矜持がないとは言えない。
 その上で言う。誰に反発されても言う。
 ホワイトシチューには、

 パンの方が合う。

 その方が美味い。別に、ご飯が絶望的に合わないとは思わないが、せっかくだったらパンで食べた方が美味くないか? いいや、美味い。美味いに決まってる。
 ブラウンシチューなら米でもパンでも甲乙付けがたい旨さはあるが、ホワイトシチューならば、焼きたてのパンと合わせた方が美味いではないか。
 副次案として米の選択がある事は否定しない。だが、パスタと絡めようと、うどんにぶっ掛けようと、何ならすいとんに掛けようと美味いホワイトシチューだ。わざわざ米に掛ける事を選ぶ理由はあるだろうか。いや、ない。それが本音である。
 そう。米と合わせて、他に勝る点が見当たらないのだ。
 ホワイトシチューは美味い。しかし、ホワイトシチューはその圧倒的な旨味があるからこそ、引っかかりのないプレーン過ぎる米では魅力が活かされないのである。
 ホワイトシチューに見合うだけの必要要素は、歯応えと、味の締まり、そして、香ばしさなのだ。
 考えてみて欲しい。ホワイトシチューを掛けたパスタ、と言うと(実際には色々違うが)いわゆるクリームパスタとして受け容れられるだろう。だが、今想像したパスタは何だ? フェットチーネ(平麺)か? スパゲッティ(中太麺)か? それともマカロニか? ラザニアか?
 そこで、カッペリーニ(極細麺)を想像する者は少ないだろう。
 やってみればわかる。くどいのだ。ソースが絡まり過ぎることによって、濃いホワイトソースがなお濃くなる。
 シチューのぶっかけうどんと、シチューのぶっかけそうめんで比較してもいい。絡み過ぎると駄目なのだ。
 歯応えもそうである。しっかり硬く炊いた米ならまだしも、柔らかい米だと味が単調になるのだ。だとすると、焼きたてパンのサクサクとした歯応えがあるだけで、全体に締まりが出る。
 味の締まりという点では、塩気も大事だ。
 パン、パスタ、うどんにはそもそも塩分が含まれている。しかし、米にはそれがない。だから、シチューの濃厚さを受け入れるだけの締まりが足りていないのだ。
 その点、更には香ばしさを加えられるパンが最強のパートナーだと言えるだろう。
 無論、米の側にシチューに合うための加工をすれば、米が合わないなんて事は言わない。
 塩っけの足りなさをチーズで補い、香ばしさを補強するためにパン粉をまぶし、とすると、それはドリアという別の料理になるのである。
 米と合わせるならブラウンシチューでいいし、米を合わせるならドリアがあるじゃないか。ホワイトシチューに合わせるならパンがある。
 だいたい、アレだ。

 白と白で
 見栄えしない。

 ホワイトシチュー・オン・ザ・ライスが悪いと言ってるんじゃない。ただ、キミは一番じゃないし、残念だけど二番でも三番でもない。ただそれだけの事なんだ。
 だが、ここでただ「合わない」とか「一番じゃない」なんて言うことは簡単だ。
 料理に携わる人間として、米に合うホワイトシチュー、ホワイトシチューに合う米とは何なのかを考えてみた。
 まず、米のパラパラ感や歯応えを重視し、日本米ではなく、インディカ米を使う方向で行こう。
 米自体に味も欲しい。スパイスを加えて、炊くだけじゃなく、焼き飯状にするのもいい。香ばしさも歯応えも増す。
 シチューの方は、米に合うように具を挽肉にして、味全体がもったりしないように辛味を加えて、、、って、

 それキーマカレーだわ。

 うん。色々考えたけど、ホワイトシチューと米を合わせる工夫をすれば、なんか別の料理に仕上がるのよね。

 ※ この記事はすべて無料で読めますが、ホワイトシチュー・オン・ザ・ライス肯定派も否定派も投げ銭(¥100)をお願いします。
 なお、この先にはもう少しだけシチューの話が書かれています。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。