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SOLEADO



 暖かい陽射しが、だだっ広い空間を輝かせている。街から離れた、静かな昼過ぎ。
 それは、思っていたよりずっと綺麗で、それが却って申し訳無さを強調した。
 添えられている白い花は、まだしゃんと咲いている。
 サカイは、自分が買ってきた花が墓前向きでない事に、今更気付いて苦笑した。服装だって、普段と何ら変わりない。こういう場合はやはり、喪服を着て来るものなのだろうか。ドラマでは、喪服を着ていたような気がするが、TVドラマなんてもう何年も見ていない。
 いや、昔からそうだ。こう言う事には酷く疎い。二年前の葬式も、自分一人では何も出来なかった。
 眼前の墓石も手入れされている。自分が二年間も放置していた事を責めるかのように、磨かれて。
 ジュンはー、妻は、二年もここに来なかった自分を責めるだろうか。
 墓前に、持って来た花を添えるサカイ。今更、何を祈るでもなく、墓の手入れをするにも、これだけ綺麗だと、自分にはどうする事も出来ない。
 人気の少ないこの霊園に、ぼんやりと佇むサカイ。不意に、人の気配を感じて振り向く。
 ――ああ、そうか。そういう事だったんだな。
 サカイの視線の先に、妻の墓石が二年前と同じである理由が、立ち止まる。女だ。
 サカイ以外に身寄りのないジュン。あてつけのように磨かれていた墓石が、恨みがましくサカイを見ているように、その女ー、ナオコも、睨みつけるようにサカイを見ていた。
 会釈するサカイ。会釈で答えるナオコ。だが、ナオコは視線を反らさずにサカイを見据えていた。
 サカイがこんな所に来ると思っていなかったナオコにとっては、会わない方が、憎み続けられたのだろう。
 もともと嫌われていた事を思い出し、サカイが、苦笑する。
 「御無沙汰してます、サカイさん」
 つっけんどんに言い放つナオコは、あきらかに動揺していた。普段なら、無視するか、あるいは皮肉のひとつでも言えるのに、突然の出来事にどうしていいのか、わからなくなっているのだ。ここで出会うなんて思ってもみなかったのだ。
 「ありがとう。ナオコちゃんが、ジュンの墓を綺麗にしてくれてたんだね」
 サカイが、微笑した。
 「サカイさんがジュンの事を忘れているみたいだから、私がっ・・・! いえ、サカイさんのためにやった訳じゃありません。ジュンのためです。それと、ナオコちゃんなんて呼ばれる筋合いはありません」
 予想ほど強くないとは言え、当然の反発に、苦笑するサカイ。
 「すまない、ノグチさん。ジュンも喜んでると思うよ」
 「ええ。ジュンも、サカイさんに忘れられてないってわかって、喜んでると思いますよ」

 言い合いをしている内に、段々と調子が戻ってきたらしいナオコは、冷たく言い放つ。
 「そうだね。この二年、ジュンのことを思い出さない日はなかった。忙しい仕事にかまけてれば、少しは忘れられるかとも思ったけど」
 忙しい、と言う言葉に反応したらしく、サカイを睨みつけるナオコ。
 「ますます御盛栄のようで何よりです。自分の嫁の死に際にさえ立ち会えないくらいに」
 ジュンは、息を引き取る瞬間までサカイを待ち続けていた。それを看取ったのは他でもないナオコなのだ。
 「墓前での口論は良くないな。少し、歩かないか」
 相変わらず静かなサカイに対し、余計に苛立ちを感じるが、道徳的にも社会的にも、霊園での口論は誉められた行為ではない。
 「大人ですね」
 ナオコはそう言って、サカイの後に続いた。
 黙っているか罵倒するか。黙っているにはバス停までの距離は長すぎた。墓地を出た途端に悪態が口を衝いた。
 「何で、ジュンのお墓参りにさえ来てあげなかったんですか?」
 「君は、毎日のように墓参りする事で、自分を納得させたかった。僕は、少しでも距離をおく事で、自分を納得させたかった。それだけだよ」
 「大人ですね。いつもいつも、そうやってカッコつけて」

 吐き捨てるように言う。横並びに歩いている所為か、罵倒の言葉がすり抜けてしまっているような気さえした。
 「カッコを付けてる訳じゃない。本当にそうなら、ジュンの死に目に間に合ってるはずだ」
 ナオコが言葉を詰まらせる。
 「いや、そもそも死なせずに済んだかも知れない」
 「思い上がりですよ。そんなの」

 その通りだった。ジュンの死は何をしたからと言って、おそらく避けらるものではなかっただろう。
 「そうだね。でも君も、僕にジュンを渡さなければ良かったと思っている。そうすれば死なせずに済んだかも知れない、ってね」
 図星をつかれて、黙るナオコ。
 「責任を回避する訳じゃないけど、君の責任でも僕の責任でもないんだ。強いて言うならば、ジュンの痛みをやわらげてあげられたのは、僕じゃない」
 ナオコは、心の中で否定した。ナオコしか居なかっただけなのだ。サカイさえ傍に居たら、もっとジュンの痛みをやわらげられたはずだ。
 「僕にとって、ジュンの本当の英雄は僕なんかじゃなく君だよ」
 身寄りがなく、施設で育ったジュンにとって、サカイと出会った事は本当の幸運だった。
 境遇としては幸運だったとは言えないジュンにとってのヒーロー。
 「でも私はサカイさんと違って、何処まで行ってもヒーローにはなれないんです。女だから」
 同じ施設で育ったナオコは、ジュンにとって無二の親友だった。ただ不運な事に、ナオコにとっては恋愛対象だったという事だ。
 ジュンはその事実を知らないままに息を引き取ったが、サカイは、ジュンと結婚する前から知っていた。
 ジュンを奪われたくない一心で、ナオコがサカイに告白したのだ。自分が、同性愛者である事を。
 いや、同性愛者だというのは正しくないかも知れない。ナオコは、ジュン以外の女も、男も、好きになった事がなかったから。
 それ故に、ジュン自身に打ち明ける事もなかった。
 実りのない言い争いを続けている内に、バス停へと辿りつく。
 「これ以上、一緒に居たくありませんから、私の次のバスに乗って下さい」
 横並びから対面に立ったナオコが、言い捨てる。先を譲るつもりはない。
 「そうするよ」
 とは言ったものの、まだ、バスが来るまでの時間には遠い。
 気まずい沈黙が流れ、時間の流れが、また滞る。ながいながい沈黙。それを破ったのは、サカイだった。
 「せっかく、ナオコちゃんに会えたから言っておくよ」
 ナオコは、自分に対する呼称に引っ掛かったが、あえて黙っていた。
 「僕は、君に嫉妬していた」
 サカイが告げて、苦笑いする。
 「ジュンの事を、この世の誰よりもよく知っていて、ジュンの事を理解して、どうして欲しいのか、どうすればいいのか、誰よりも知ってる君が疎ましかった」
 それは、ナオコも同じだった。
 今まで一緒に過ごして来た時間も、今まで分かち合っていた全ても、ジュン自身も、ぽっと出の、得体の知れない男に奪われたのだ。
 疎ましいどころか、憎くさえある。
 遠くに、バスが見えた。それは、酷くゆっくり走っているはずなのに、どんどんとその姿を大きくしていく。
 「多分、それはナオコちゃんも同じだと思う」
 心を読んだとでも言いたげなサカイを睨む。それでも、サカイはやはり苦笑いをしたまま、言葉を繋いだ。
 バスの近付く音がする。
 「僕は、男である事を君に勝ち誇っていて、君は、分かち合った時間を僕に勝ち誇って」
 その言葉に正しく、二人とも負けている部分を認めたくなかった。そしてそれはジュンのためなどではなく、自分自身の為に。
 「僕らは、そんな幼稚な恋を卒業できない、子供みたいなままだったんだ」
 バスが、二人の前に停車した。
 ドアが開くと同時に、ナオコは背を向けてバスに乗る。そして、もう一度振り返って、サカイに告げた。
 「せっかくだから、サカイさんに言っておくわ」
 サカイは、涼しげな顔をしている。
 「私は、あなたの事が大っ嫌いだった」
 「知ってたよ」

 バスのドアが開いたまま、閉まらない。
 サカイも乗ると思っているのか、会話している事に気を利かせているのか。
 それでも、動かない二人に、ようやくドアが閉まる。
 バスが、音とともに遠くなって、やがて、見えなくなった。
 空を見上げる。晴れた空が遠い。
 サカイは、バスの去った方向へ、ゆっくりと歩き出す。休暇届のかわりに、辞表を出して来た。
 次に何かしようと思うまで、時間はたっぷりある。
 まずは、街まで歩こう。
 もう少し早く、色んな事に気付けていたら、この景色は違って見えただろうか。
 陽射しは暖かく、街までの道は、随分と遠くまで続いている。



小説の「しょ」 3つの言葉で短編小説
第8回 「卒業」 「英雄」 「結婚」投稿作品
※ この短編は50年以上前に書いたもので、全て無料ですが、¥100の投げ銭も出来ます。この先には特に何も書かれてません。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。