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【ねこごと2】ゲームカスタマイズから思うこと

ある日、しまだくんはNintendo Switch Liteの外見を変えると意気込み勇んでやってきました。
道具一式をそろえて、心を整えて。

ちまたでは
いろいろな方がカスタマイズをしているんですね。
はんだごてとか
基盤とか
何だか中学の技術の授業を思い出します。

私は内心不安でした。壊れたらどうするんや?…と。

お昼から進めて、細かい部品をはずしたり、取り付けたり

私だったら
にゃーー!!!!!ってなりそうなほどのめちゃくちゃ小さな部品を扱っていくんです。


夕方になり、ひととおり完成したところで
試しに電源をいれようとすると…
前の記事にもありましたが
つかない。
何度試しても、つかない。

だんだん元気を失くすしまだくん。

自分の大切なものが壊れたり、無くなったりすることってやっぱり悲しいですよね。それが、ちょっと距離を置かなければと思っているものでも、故障で離れることはたぶん難しく
自分の意思で距離を置こう!と決めない限り
(決めてもやっぱり難しいのですが)
気持ちはぽっかりしてしまうんだなと。

結局
Switchは直り、安堵。
そして、ゲームへの愛情は増してしまった島田くん。

今回の件で
ちょっと思ったのですが
スマホやゲームへ依存してしまうのは、たぶんその構造的にも手放しにくくなるようにつくられらているのかもしれないけれど、
それに付随して、思い出や愛着、人の気配みたいなものもその奥で感じるから手放せなくなるのかなぁ。

これは私のかなりの主観です。

スマホで言うと、遠くの友人との連絡や、SNSで繋がること、思い出の写真、個人の大切なものがたくさん詰まっているわけで。
リアルに会えるわけではないけれど、ちょっと肌感みたいなものを感じている気がしてしまったのです。なぜか。
だから、さみしい、つまらない、ひま、ぽっかりの感情を埋めるために、いわゆる人工肌感を求めてしまうのでしょうか(仮説)。


そんなこんなで
しまだくんが愛情を増した(増してしまった・・・)ゲーム機を
私に貸してくれたわけですが…
やはり、面白い。
昔楽しんでいたゲームをしたのですが、めちゃくちゃ面白いわけです。

こりゃ、困ったぜ。人間ってやつは。

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