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『はじめてのスピノザ』(國分功一郎著)の要点やおもろい内容を紹介

本noteでは、國分功一郎『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』(講談社現代新書、2020年)を解説します。

『はじめてのスピノザ』はどのような人におすすめ?

本書は、以下のような方におすすめです。

・スピノザって、汎神論の人でしょ?(それしか知らない…)
・最近人気らしいね、スピノザ(それしか知らない…)
・スピノザって、あのモジャ毛の人でしょ?(それしか知らない…)

つまり、「スピノザって名前だけは知ってるけど難しいらしいし避けてきちゃった」という方に特におすすめの本です。

『はじめてのスピノザ』が評価されている理由

『はじめてのスピノザ』は、以下のような点で評価されていると思います。

・言葉遣いが易しい
・「スピノザよくわからん」という人が「スピノザおもろ」になれる
・スピノザとか関係なく(?)、読み物としておもろい

ただ、正直つまづく人もいるかもなーとも思います。それはもう原理的な問題というか、そもそもスピノザが現代人と思考の前提が異なるので理解しにくいという背景があるからです。

とはいえ、國分さんの「これって疑問じゃない?実はね…」という探偵的な読ませる文章と、本文が180ページなのでわりと短いという点で、よき入門書と言えるはずです。「はずです」というか、そう断言できます。
(仮に自分が大学生の時に本書『はじめてのスピノザ』を読んでいたら、めちゃくちゃ周りに勧めていたと思います。)

前置きが長くなりました。いよいよ本書の要点とおもろな箇所を紹介していきます。

「神即自然」とは、要するに「あなたも僕もすべては神の中=普遍的な法則に貫かれている」ということ

スピノザの代表的な著作である『エチカ』における「神」概念は特殊です。

というのも、スピノザの『エチカ』においての「神」は、あのイエス様的な人格を持った"いかにもな神様"ではなく、現代で言う「自然法則」のような意味だからです。

國分さんによると、スピノザは「神は無限である=外部を持たない=すべては神の中にある」という思想です。

 神すなわち自然は外部をもたないのだから、他のいかなるものからも影響を受けません。つまり、自分の中の法則だけで動いている。自然の中にある万物は自然の法則に従い、そしてこの自然法則には外部、すなわち例外は存在しません。超自然的な奇跡などは存在しないということです。
 「神」という言葉を聞くと、宗教的なものを思い起こしてしまうことが多いと思います。ですが、スピノザの「神即自然」の考え方はむしろ自然科学的です。宇宙のような存在を神と呼んでいるのです。

引用:國分功一郎『はじめてのスピノザ』講談社現代新書、2020年、37頁

スピノザは「汎神論」とか「神即自然」の人ですよ~と高校の時教わり、よくわからず丸暗記をしていた方は多いと思います。(というかそもそも「スピノザ知らんわ!」という方も多いはず。)

スピノザは、「普段は経験できないし知覚できない超自然的な(=自然を超え出た)カミサマ」なんていなくて、あるのは"法則"だけだぜ」と現代からするとマトモなことを言ってたわけですね。

つまり「神即自然」とは、要するに「あなたも僕も周りのモノもすべては神(法則)の中=あなたも僕も周りのモノもずっと普遍的な法則に貫かれている」ということです。

「善悪」はどのように生じるか?

スピノザの考え方を知ると、みなさんの善悪の考え方もガラッと変わるはずです。

スピノザによると、それぞれのモノやコトはそれ自体でシンプルに単に「あるぜ~」と存在しているわけなので、初めから「善いモノ・コト」「悪いモノ・コト」があるのではありません

では、どうして「善悪」が生じるのでしょうか?

スピノザによると、「善悪」は「組み合わせがよいこと、あるいは悪いということ」によって生じます。

これだけではわかりにくいと思うので、マクドナルドのハンバーガーを例に考えてみましょう。

マックのハンバーガは、うまいです。ただ、「めちゃくちゃダイエット中」とか「がっつり風邪ひいてる」という人にとってはどうでしょうか?よくないですよね笑

自然界にはそれ自体として善いものや悪いものはないけれども、うまく組み合わさるものとうまく組み合わさらないものが存在する。それが善悪の起源だとスピノザは考えているわけです。

引用:國分功一郎『はじめてのスピノザ』講談社現代新書、2020年、47頁

さらにスピノザは、「私にとって”善いもの”とは、"活動能力を高めるもの"だ」と言っています。

私の「力」を増してくれるようなものが「善」で、その反対に私の「力」を減少させたり阻害したりするものを「悪」とスピノザは考えているわけです。

おもろくないですか?笑 私たちの既存の「善悪」のイメージと全然違います。

ここで重要なのは、スピノザは「善い/悪い」を個別・具体的に考えられるような尺度を提供しているということです。
初めから善いモノ・コト/悪いモノ・コトが決まっているのではありません。マックのハンバーガーを思い浮かべてほしいのですが、人や状況によってモノ(ハンバーガー)はよかったり悪かったりするのです。

スピノザは、新たな倫理(人はいかに生きるべきか)を問い直すための考え方を提示しています。

スピノザによると、行為の出発点となる自由意志は存在しない。それでも私たちは”能動的に”ふるまえる

スピノザにおける「自由」とは強制されていないことを指す

スピノザは、自由の概念についても私たちに示唆を与えてくれます。

「自由」と聞くと、「自分が自分の行動を決定できる状態」と考える方も多いのではないでしょうか。

スピノザの考える「自由」は全然違います。

思い出してください。スピノザによると、私たちは「神=(自然)法則」に従って生きているのです。

なので、「自分が自分の行動を決定している!」という発想は、「自分の行為には原因があるよね」というシンプルな考え方を理解できない"おバカな発想"かもしれません。

「じゃあ自由って何?泣」という声が聞こえてきます。

安心してください。スピノザは「”行為の出発点としての自由意志”的なやつはないけどもちゃんと自由はあるよ」と言っています。

スピノザによると自由とは強制されていないこと、つまりその人に与えられた心身の条件が無視され、何かを押しつけられていない状態のことです。

スピノザは、幼いころに虐待を受け今では家を飛び出し自らを戦争の労苦と暴君の命令に身を投じること選ぶ青年を例(いわば自暴自棄の例)を挙げ、これは自由ではないよねと言います。

國分さんは、銃口を突き付けられた状態で行なった行動は「誰が行ったのか?」という観点では行為を行った人に責任が帰せられかねないが、スピノザの「強制かどうか?」という観点ではその人に原因はないよね、要するにほとんど責任はないよねと考えることができるといった例を出しています。

能動的な行為か受動的な行為かは、1か0かではなく"度合い"で考えなければならない

私たちは環境や身体的な条件があるので、「100%私の力によって、この行為を決定しています!」と断言することはできません。

では私たちに自由がないかというと、そうではありません。

自由かどうかは、私たちが能動的にふるまったかという観点で捉えることができます。

スピノザによると能動とは「自らの力を表現すること」、つまり自分の力が何かに邪魔されずに発揮されていることを言います。その反対に何かに強制されたり阻害されたりすることで自分の力が表現できていない状態が受動です。

ここから分かるのは、行為における表現は決して純粋ではないということです。ですから、純粋に私の力だけが表現されるような行為を私が作り出すことはできません。つまり私は完全に能動的になることはできません。いつもいくばくかは受動であるのです。なぜなら私たちは周囲から何らかの影響や刺激を受け続けているからです。完全に能動であるのは、自らの外部を持たない神だけです。神は完全に能動です。

引用:國分功一郎『はじめてのスピノザ』講談社現代新書、2020年、111頁

私たちは神(絶対的な法則)ではない気まぐれな存在なので、他のモノ・コトの影響を受けまくって、その都度行為を決定しているのでした。

そのため100%能動というわけではないのですが、自分が「水を得た魚」みたいにスイスイ物事に取り組める状況のときは能動、一方で「全然集中できない!ストレス過多!」という環境は受動にあると言うことができるのではないでしょうか。

スピノザによると能動か(自由っぽいか)受動か(強制っぽいか)は、1か0かハッキリと断言できないので、「能動度合い70ポイント!」みたいに1~99の間のように度合いで考えるべきなのです。

まとめ:「スピノザおもろ」になりましたか?

本noteでは、國分功一郎『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』(講談社現代新書、2020年)』の要点とおもろなポイントを解説しました。

スピノザによると、すべてのモノやコトは神(普遍的な法則)の中に包み込まれていて、常にその法則に従っています。

そして、人が自由かどうか、つまり能動かどうか(強制されていないか)というのは、環境が自分の本性にマッチして力が発揮できているときは能動、逆に力が阻害されて本調子でないときは受動なのでした。

みなさんも、自分が「水を得た魚状態」、つまり「自由度が高まった状態」になる環境や条件とはどこかを考えてみてはいかがでしょうか?

参考図書

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