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Turnout「映画が開く、タゴール・ソングの100年」(6) "道しるべ"を探して①平和と文化の関係性

[画像]インドで撮影された書架。映画『タゴール・ソングス』は、文学者として有名なタゴールが残した歌に焦点を当て、象牙の塔に閉じこめられることもあったタゴールの魅力を見事に描き出した。
(2012年1月、スタッフがインド西北部で撮影)

 映画を通じてタゴール、ベンガル地方と南アジアに思いを馳せるTurnout『映画が開く、タゴール・ソングの100年』も始まって1か月余りが経ちました。今回はひと月の投稿の締めくくりとして、文化の日にちなみ、道しるべがメインテーマとする平和と文化の関係性を考える論考としました。

◆平和に不可欠な文化という要素

 文化は、その多様なあり様のためにいくつもの定義が混在することが知られています。狭義には音楽、舞踊、演劇、さらには文学など個々の芸術を指しますが、広義には人間の生き方そのものを表現したものと捉えることができます。
 国際連合教育科学文化機関(以下、ユネスコ)は、その広さを踏まえ文化を次のように定義しています。

文化とは、特定の社会または社会集団に特有の、精神的、物質的、知的、感情的特徴をあわせたものであり、また、文化とは、芸術・文学だけではなく、生活様式、共生の方法、価値観、伝統及び信仰も含むものである(……)
([出典]文部科学省『文化的多様性に関する世界宣言』https://www.mext.go.jp/unesco/009/1386517.htm(accecced 2020,November 3rd)

 平和とは抽象的な概念であるゆえ、社会の個別具体的な領域でその状況に合わせて実現していくことが求められます。道しるべは様々なレベル、領域で平和の実現に向かうプロセスを支えることが重要な役目の一つと考えています。平和という言葉からは、戦争との対比から安全保障政策を連想することも多くありますが、文化も不可欠な要素です。

 今回そうしたことを深く考える貴重な機会をいただいた本作を通じて、文化が平和に果たす役割について考えます。本作を通じて考えさせられたのは、特に文化が平和に生きる上での糧となることです。

「信じられる言葉」タゴール・ソング

 Turnout第1回でご紹介した通り、映画『タゴール・ソングス』は歌と人が紡ぐ1篇の群像劇です。100年経っても口ずさまれるタゴール・ソングを通じて、歌が人々の生活に溶け込み、時に叱咤激励し、時に寄り添い、ベンガルの人々の心の支えとなっている様子が描かれます。
 
 タゴール・ソングとベンガルの人々のあり方について、佐々木監督は人々の心に寄り添う「お守り」のような存在であると語っています。

「ベンガルの人たちにとってタゴールの歌は楽しいときも悲しいときも、人生のあらゆる局面でそこに在る。耐えられないようなことがあっても励ましてくれるお守りのようなもの」
([出典]西日本新聞「『タゴール・ソングス』ベンガルの人が抱きしめる『信じられる言葉』」https://www.nishinippon.co.jp/item/n/610007/(accessed 2020,November 3rd))

 また、心の拠り所となる力を「信じられる言葉」とも表現しています。

「日本ではまじめなことを言葉にする人がどこか損をしていたり、政治の言葉も何を信じていいのか分からないようなものであったり、言葉の価値や重みが見失われている。ベンガルの人たちにはタゴールの『信じられる言葉』がある。『持っているだけで困難に立ち向かっていける歌』がある、ということが、人々の言葉を通じて伝わってくる作品になったと思う
([出典]西日本新聞「『タゴール・ソングス』ベンガルの人が抱きしめる『信じられる言葉』」https://www.nishinippon.co.jp/item/n/610007/(accessed 2020,November 3rd)※強調は道しるべスタッフによる)

 映画の登場人物は、人生のどこかで歌の力を助けに道を切り開いていきます。
 バングラデシュのラッパーであるニザームはTシャツにプリントされたタゴールを誇らしげに「オレの中にタゴールがいる」と指さし、鍛えたビートでバングラデシュの未来を歌に込めます。3名の主人物もそれぞれ歌を手掛かりに人生を歩んでいきます。
 映画を見終えた人がベンガルの人々をうらやむ理由の一つは、こうした誰もが心を委ねられる歌があることです。

コロナ禍の今こそ、感情の波と付き合う方法を

 2020年、世界を今もなお新型コロナウィルスが席巻しています。
 日本でもロックダウン寸前の自粛を強いられた時期には、心がすさむ社会状況でした。そうした時期に公開が始まった『タゴール・ソングス』は、そうした状況だからこそ心を委ねられる歌の存在を優しく語り掛ける映画でした。
 コロナ禍は目に見えない脅威として、そして先が見えない不安として人々の心に波となって押し寄せてきます。文化的な活動はそうした波に対して防波堤を築いてくれます。ここでは、そうした文化の役割をコロナ禍を乗り切る知恵として紹介されたヨガを例としてご紹介いたします。

 自身もピラティスのインストラクター資格を持つライターの寺岡早織は、コロナ禍の最中に催されたオンラインでのヨガの講習に関連してヨガがコロナ禍にあって感情をコントロールする有効な方法になることを解説しています。

 不安にさいなまれる時期に感情をコントロールする上で登場するのが、仏教の教えにある「第一の矢・第二の矢」という概念です。この世の苦しみを指す二つの概念のうち、ヨガで対処するのは第二の矢がもたらす苦しみです。

「第一の矢」
生きていく上で避けることのできない苦しみや困難をもたらす出来事。
[例]
自然災害、離婚、家族間のトラブル、病気、死
コロナ禍でウィルスに感染してしまうことによる苦しみや、失業など付随する不自由
[特徴]
鋭い痛みを覚えるが、通常短い時間しか続かない

「第二の矢」

「第一の矢」に射られたことに対する感情的な反応。「第一の矢」が原因となるすべての苦しみ。
[例]
感染、失業の不安など「第一の矢」に付随するすべての不安
[特徴]
長く続く苦しみとなり、ひどい時には一生涯苦しみ続ける可能性もある
([出典]yoga JOURNAL ONLINE 寺岡早織「困難を乗り越えるのにヨガはどう役立つのか」https://yogajournal.jp/6281(accessed 2020,November 3rd))

 「第一の矢」はこの世を生きていく上で避けられませんが、「第二の矢」の感情は人間が自らの内で生み出すものです。
 ヨガの教えで「サンスカーラ」とも呼ばれる「第二の矢」の原因は、私たちの潜在意識がもたらす条件反射のパターンや自分の考えの癖とされています。さらにその奥底に隠れている自分自身の過去の経験や、前世から引き継がれているものが真因であるケースもあります。
 ヨガでは感情の根底にあるマインドを整えることで、感情を落ち着かせることができると考えます。感染者数に一喜一憂しがちな今だからこそ、ヨガは不安に揺さぶられる自分の感情を正常値に戻してくれます。

 ここでいうヨガは瞑想や呼吸法はもちろん、より幅広い心を落ち着かせるアクションも含まれます。

ここでいう「ヨガ」というのは広い意味のヨガのことです。「アーサナの練習」「瞑想」「呼吸法」「マントラの練習」「チャンティング」これら全ては私たちの感情を落ち着かせてくれます。もしくは他にもアートやクッキング、サーフィンや自然散策など、自分の心を落ち着かせてくれることがあるならば、これも広い意味で「ヨガ」と言えます
([出典]yoga JOURNAL ONLINE 寺岡早織「困難を乗り越えるのにヨガはどう役立つのか」https://yogajournal.jp/6281(accessed 2020,November 3rd))

 映画館でタゴールとともに生きるベンガルの人々に心が緩やかにほどけていく感覚を感じたのなら、あなたは「第二の矢」への盾を手にしたことになるのです。

ガンジス川河畔の修行者像

[画像]ガンジス河沿いの聖地・ハリドワールの川辺の修行僧と神々の石像。ヨガは悟りに至る方法であると同時に、人々の精神の支えでもあった。
(2012年1月、道しるべスタッフ撮影)

紛争現場に留まらない文化の効用

 武力紛争の現場では、紛争が終了すると紛争勃発前の平和な社会へ復興する取り組みが始まります。平和構築と呼ばれるこの取り組みにおいて、文化活動が建設的な役割を果たすことが注目されています。
 そうした文化の役割は、銃弾が飛び交っていない平和な後方の地でも同様に、むしろ重要さを帯びているようにすら感じられます。

 『紛争と文化外交―平和構築を支える文化の力』を執筆した福島安紀子は、文化が政治、経済などほかの領域とともに平和を実現する役割を担っていると説明しています。
 この過程で言及される文化の人間的役割は、まさに『タゴール・ソングス』や先のヨガの役割に相通ずるものがあります。

■文化が果たす人間的役割
①人間に自尊心をもたらす役割
例)1960年代に黒人活動家が唱えた"Black is beautiful"のスローガン

②選択の基盤を与える役割
思想が溢れる社会で自分の位置を定め、判断・選択する基盤となる

③不正行為に抵抗して戦う武器としての役割
例)ラテンアメリカのインディオによる抵抗運動、ガンディーの非暴力運動

④人間の根本的な問題に意識を与える役割
他の3つの役割を総括
哲学、宗教と並び、人生や死、自由、愛、自然といった人間の根本的な問題に指針と意味をもたらす
([出典]福島安紀子『紛争と文化外交』慶應義塾大学出版会 2012年 P.18)

 他にも著作の中では「文化的参加」という概念が、すさんだ社会の復興に役立つ過程が説明されます。

■文化的参加の平和構築への貢献
「文化的参加」
社会参加の一種。
文化的存在としての人間の精神的・情緒的側面に注目した、表現・創造活動への参加。
[効果]
祭りや踊り、演劇などの文化活動に参加
 ↓
人の心に躍動感が生まれ、自らを表現しともに感動し、共感が広がる
 ⇓
文化的活動にコミュニケーションの力を与え、多様な価値との葛藤をも経験しながら、人間のエネルギーを活性化
([出典]福島安紀子『紛争と文化外交』慶應義塾大学出版会 2012年 P.19)

インドの舞踊(ラージャスターンの夜)②

 [画像]インド西部ラージャスターン州の演舞場でのダンスシーン。自らも壇上に上がって踊ったり、合いの手を入れたり、やがて演舞場が一体となって盛り上がりを見せる。(2012年1月、道しるべスタッフ撮影)

 こうした活動に参加することが心と心の一体感を感じることが心の空白を埋め、人間関係を広げ、身も心も解放されるプロセスを促進します。これが、文化の力とされる作用です。目に見えないゆえに実態をつかみにくいものの、文化的活動は平和構築の現場や災害後の復興でも水道などともとに重要なインフラの役割を担っているのです。

 現代音楽の源泉であるインド映画でインド人がオーバーリアクションで興じるように、インド音楽は掛け合いを大切にしてきました。演奏家同士がタブラの拍子に合わせてほかの楽器をペーシングしたり、演奏家がパフォーマンスを決めた時は自ら合いの手を入れて、演奏に積極的に参加していきます。映画『タゴール・ソングス』で、思い思いにタゴール・ソングを歌い上げる登場人物たちはこうしたセオリーを肌で知っているようです。

 歌はもちろんそれ自体で社会問題などを解決することはできないかもしれません。しかし、人の心を支え、時に言葉を越えて人の心をつなぎ、次のステップへ歩み出す手がかりとなってくれます。
 映画『タゴール・ソングス』は、そうした文化の力を示す"道しるべ"の一つであると、私たちは考えています。

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