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Turnout「映画が開く、タゴール・ソングの100年」 (2)アジア初のノーベル賞作家“ラビンドラナート・タゴール”ってどんな人?

[画像]コルカタの象徴、ハウラー橋。正式名称はタゴールにちなみ"Rabindranath Tagore Setu"。映画『タゴール・ソングス』では、昼と夜と、その姿が美しく映し出される。

 映画『タゴール・ソングス』の世界にまつわる記事をお届けする、Turnout「映画が開く、タゴール・ソングの100年」。アジア初のノーベル賞作家として有名なタゴールは、文学者の枠に収まらない多様な顔を持つ人物です。Turnout本編は、彼の輪郭をなぞるところから始まります。

◆文学者 ラビンドラナート・タゴール

 1913年に詩集『ギタンジャリ』にて非西欧圏で初めてノーベル賞を受賞したラビンドラナート・タゴール。彼はインド・バングラデシュを代表する詩人であり、思想家であり、作曲家でもあります。彼の詩・小説・戯曲・歌はベンガル人(*西ベンガルのインド人やバングラデシュ人、主にベンガル語を母語とする人)の間で今も絶大な人気を誇り、多くの人々の人生に影響を与え続けています。

◆文学に留まらなかった、タゴールの思想と実践

 タゴールについて言及すべき点はそれだけではありません。西洋文明による近代化の最中、タゴールは文明化を排他的でバランスを欠いたものであると見なし、自然を破壊するものだと捉えました。科学や経済的な価値に重きを置くのではなく、自然や環境と共存し、人間としての完成を目指すことに価値を見出していました

 学問や思索だけでは飽き足りませんでした。タゴールは自らの理想を実現するべく、西ベンガルの教育改革(大学を設立)や農村部の改革(農業計画や教育・村制度の設立)にも取り組んでいます。自らの理想に沿った学校の設立に挑戦し、英語を使った西洋式の教育に囚われずベンガル語で自国の文化と世界について教育しました。文学や人文学とともに、科学の教育にも重点を置き、男女共学制度を導入しました。

Turnoutタゴールソングス_農村改革計画のモデル

[画像]タゴール農村部改革計画のモデル
(引用 Kumkum Chattopadhyay,2014)
彼が科学的見地に基づいて、体系だった農業を目指していたことが窺える。

 さらに注目すべきは、当時は非常に優先順位が低く、無いも同然だった女性の人権にスポットライトを当てた点です。フェミニストという言葉は彼の生きていた当時まだ生まれていなかったものの、インドの慣習に根強い女性蔑視を問題視しており、彼の文学作品にそうした描写を見出すこともできます。自身の学校が男女共学制度なのも、ジェンダーの平等を期待してのことでした。
 
 今を生きる現地人の声では、西ベンガルやバングラデシュ社会ではかなりの改善が見られるものの、社会進出にはまだまだ壁が存在しており、初婚を良しとする社会で再婚が難しいなど、今も問題は残っています。タゴールの聡明さが窺えます。

◆日本との縁

 タゴールはベンガルを越え、日本でも絆を育みました。彼は汎アジア主義(*アジアの諸民族が団結して、民族の独立を目指す思想および行動)の立場から、西洋文化を取り入れるのではなく、自国の伝統や文化の良さを継承する重要性を説いて、アジア各地で講演を行いました。特に1916年以来、5回にも渡り来日したタゴールは、日本訪問の際に明治時代の思想家・岡倉天心と親しくなり、子息の代まで交流が続くなど日本とも深い縁を築いています。その痕跡は今も日本でたどることができます。

[URL]茨城県天心記念五浦(いづら)美術館HPでの岡倉天心の紹介。タゴールをはじめとする、天心とインドのつながりが今に伝えられる。(※美術館は2021年4月23日まで休館)

◆ナショナリズムをめぐる葛藤

 タゴールは、自身のコンプレックスや大切な人との離別など、多くの葛藤をも創作のエネルギーとして生涯作品を世に送り出してきました。そんな彼を葛藤させた課題の一つが、ナショナリズムでした。

 1941年に80歳で亡くなったタゴールの思想は国家や民族に囚われないものだったゆえに、時代とのギャップに直面することとなりました。彼の死の6年後、彼の愛するベンガル地方は二つの国家に分割されることとなり、彼が一線を画していたナショナリズムに多くの民衆が翻弄されることとなりました。

 独立後インドの初代首相ジャワーハルラール・ネルーが、タゴールの死に際して言った言葉が、タゴールの民衆を思う痛切な気持ちを代弁しているように感じられます。

「おそらく、今亡くなったほうが、これから世界やインドで起こる悲劇を見ずに済んだかも知れない。それに彼はもう十分目撃したし、そのせいで彼はずっと悲しんでいた」
(出典:Rabindranath Tagore: A Biographical Essay P.12
 ※原点の英文翻訳は道しるべスタッフによる)

 インド・パキスタンの分離独立は、民族・宗教のイデオロギー闘争を引き起こし、多くの民衆が命を落とし、家や家族を失いました。路頭に迷う民衆の姿をもしタゴールが目にしていたら、誰よりも心を痛めたのではないでしょうか。

 ナショナリズムの奔流を超越していたタゴールの哲学はその歌と同じく、100年経った今もなお、アイデンティティをめぐる対立が渦巻く現代社会に一つの指針を与えてくれるように感じられます。

 これから、この記事だけでは伝えきれない映画『タゴール・ソングス』の題材であるタゴールの奥深い人物像と作品、彼が生きたベンガル地方、南アジア世界についてご案内してまいります。皆さまに新たな発見がありますように!

【参考文献】
・Bharati Ray(2010) “New Woman” in Rabindranath Tagore’s Short Stories: An Interrogation of “Laboratory,” University of Calcutta, India

・Kumkum Chattopadhyay(2014)Rural Reconstruction in India: Views of Rabindranath Tagore, Bethune College, Kolkata

・Mohammad A. Quayum(2014) Rabindranath Tagore Bio essay, International Islamic University, Malaysia

・丹羽京子『タゴール■人と思想119』清水書院(2011年)

【映画公式HP】
 10月3日(土)から、茨城県あまや座での公開が始まります!

【映画公式SNS】
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[Twitter]
https://twitter.com/tagore_songs?s=20



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