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Turnout「映画が開く、タゴール・ソングの100年」(18)南アジア紀行(⑤アジャンター編)

[画像]アジャンター石窟第一窟の彩色壁画。中央に描かれているのは蓮華を手にして瞑想する菩薩。(2020.02.15 道しるべサポーター撮影)

 アウランガバードから110キロほど進むと、デカン高原のゆるやかな起伏を超えた先にワーグラー川という小川があります。この川は馬の蹄の形をした崖に沿って、湾曲して流れていきます。
 
 1819年、狩猟に来たイギリス軍人はこの川の上の崖に石窟の入り口を見つけ、時を越えて古代の仏教壁画が残されていることを突き止めます。アジャンター石窟発見の瞬間でした―。

 映画『タゴール・ソングス』の世界にまつわる記事をお届けする、Turnout「映画が開く、タゴール・ソングの100年」。「南アジア紀行」ではベンガル地方を抱く南アジアの各スポットに、道しるべスタッフ、サポーターから寄せられた現地の画像とともに迫ってまいります。

 前回の記事では、石窟観光の拠点アウランガバードの知られざる歴史に迫ってまいりました。

 今度はアウランガバードを出発し、お目当ての石窟寺院の仏教壁画を訪ねる冒険へ出発しましょう!

アジャンター石窟 付近の猿

[画像]アジャンター石窟を対岸に望む展望台付近では、現地のお猿さんがお出迎え。眼下を流れるのがワーグラー川。(2020.02.15 道しるべサポーター撮影)

■デカン高原の岩山が伝える古代の美

 1000年以上の昔、この石窟には8キロ東方のアジャンター村から石窟に参詣していたとされています。
 現代の観光客はビジターセンターで石窟付近に向かうバスに乗り、起伏のある道のりを駆け抜けていきます。

 石窟は川が侵食して形成された切り立った崖の上に造られているため、近くでも自然の景色と同化して人口建造物があることを見落としてしまうかもしれません。
 最後の石窟が彫られてからイギリス軍人が19世紀に発見するまで、1000年あまり人目に触れることがなかったのもうなずけます。

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[画像]ワーグラー川下流。岩山の所々に穿たれた穴がアジャンター石窟。(2020.02.15 道しるべサポーター撮影)

 崖下の急な坂を上り、石段を登ると第1窟をはじめとする29もの石窟の入り口が連なっています。
 ガイドさんからここが偶然見つけられた場所なのだと聞けば、気分はインディージョーンズのような失われた遺跡を探し求める探検家です。

アジャンター石窟 外観

[画像]坂を上って見渡す、アジャンター石窟。北端を先頭として29の石窟が馬蹄状の断崖に掘られ、崖中央部の石窟の入り口は南東を向く配置となっている。(2020.02.15 道しるべサポーター撮影)

 アジャンター石窟が歴史的に貴重なのは、一切現存しない古代の木造寺院の様式を今に留めているからです。

 紀元7世紀ごろまで栄えた仏教の寺院はほとんどが木造のため、もはや現物を確認することができません。古代仏教のあり方は、中央インドのサーンチーのストゥーパ(仏塔)など石造りの建物から推し量るよりほかないのです。

 アジャンター石窟の天井の彫刻や建築様式は、当時広くインドに建てられた木造寺院のあり様を伝える貴重な資料なのです。

 この岩山は硬い玄武岩でできています。僧侶たちの力だけでは、緻密な彫刻や壁画を施した一大仏教センターを作ることはできませんでした。
 そこには仏陀の教えを奉る王侯貴族や商人たちの寄進があり、ヒンドゥー教興隆前の古代に仏教の全盛期があったことを物語っています

 急な坂道と石段は、昔の王侯貴族もそうだったのでしょうか、輿に乗って上がることもできます。男4人に担がれながら石段を上がり、仏の徳にあやかろうとした昔の寄進者たちの気分に浸るのも一興かもしれません(笑)。

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[画像]男4人が担ぐ輿に乗って石窟へと進む観光客。
(2020.02.15 道しるべサポーター撮影)

■仏教芸術の変遷を物語る石窟たち

 アジャンター石窟には異なる二つの時期に造られた石窟が同居しているため、石窟を巡ることで古代仏教の変遷を垣間見ることができます。そこから、インドに芽生えた芸術の発展をうかがい知ることができます。

 アジャンター石窟は一帯を支配した王朝が芸術振興に力を入れたことで、単なる僧院を超える美的価値をたたえる存在となりました。

【アジャンター石窟の時代区分】
《第1期》紀元前2世紀~紀元後2世紀
 サータヴァーハナ朝(※紀元前1世紀~紀元後3世紀に西南インドを支配)
[該当する代表的な石窟](⑧~⑬窟が該当)
 ⑧、⑨・⑩(ストゥーパ)、⑫、⑬、

《第2期》紀元後5世紀~7世紀
 ヴァーカータカ朝(※紀元後3世紀~6世紀にデカン高原を中心に支配)
[該当する代表的な石窟](⑧~⑬窟以外)
 ①(アジャンター最高の壁画)、②(彩色壁画)、
 ⑯・⑰(寄進の碑文)、⑲、㉑、㉒、㉖(涅槃像)、

※一部は未完成 例)⑭、㉔

([出典]
・辛島昇他監修『南アジアを知る事典』平凡社 2005年 P.14,15
・辛島昇監修『世界の歴史と文化 インド』新潮社 2000年 P.298-299
・神谷武夫著『インド建築案内』TOTO出版 2003年 P.362-368)

 ここからは鑑賞ポイントをもとに、アジャンター石窟の代表的な石窟を見てまいりましょう。

◆鑑賞ポイント① 石窟の形式と崇拝対象

 石窟は仏教の形態に合わせて、姿を変えてきました。アジャンター石窟でも、石窟の形から時代の変化を見分けることができます。石窟観光をより楽しむためのTipsをご紹介いたします。

[第1期の特徴]仏像がない!-チャイティヤ窟の見方

 仏教の初期の段階にある第1期では、仏陀を今のように人の姿で表現することはありませんでした。崇拝される仏陀は、仏陀が悟りを開いた菩提樹や法輪、手のイラストで象徴的に描かれていました。
(※第1期の石窟でも、第2期の頃に壁画が追加されている箇所があります。)

 実際に礼拝する際には、饅頭状の構造物に仏陀の骨(仏舎利)を収めたストゥーパという仏塔を崇拝していました。第9窟、第10窟を最奥部まで進むと、ストゥーパが荘厳に鎮座しています。

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[画像]アジャンター石窟第9窟のストゥーパ。初期の仏教の礼拝対象は素朴な構造物だった。(2020.02.15 道しるべサポーター撮影)

 こうした礼拝対象(チャイティヤ)を収める礼拝堂の構造を備えた石窟をチャイティヤ窟と呼びます。

 天井はアーチ状の構造を押し出したかまぼこ型のヴォールト状で、入り口は最奥部まで光をとるために馬蹄型のアーチの採光窓となっています(チャイティヤ窓)。

第9窟入り口

[画像]アジャンター石窟第9窟のチャイティヤ窓。第9窟、さらに後代に造られた第10窟では、古代に確立したチャイティヤ窟の形式を見て取れる。(2020.02.15 道しるべサポーター撮影)

[第二期の特徴]
 仏像の登場―変化するチャイティヤ窟とヴィハーラ窟

 時代が下ると仏陀を人物として直接表現し、仏像を崇拝することが盛んになっていきます。

 第19窟は第9窟と同じチャイティヤ窟でも、仏像の崇拝がポピュラーとなった第2期に造られています。このため最奥部のストゥーパの胴部に仏陀の像が彫り込まれており、時代の変化を感じることができます。

アジャンター第19窟内部

[画像]アジャンター石窟第19窟のチャイティヤ窓。第9窟と異なり仏陀の像が彫り込まれていることはもちろん、柱の装飾が緻密となっている。天井部の線状の張り出しには、木造寺院の構造が読み取れる。(2020.02.15 道しるべサポーター撮影)

 最奥部にストゥーパを収めたチャイティヤ窟のほかに、アジャンター石窟には僧侶が住まう僧坊の機能をもったヴィハーラ窟もあります。入り口が柱の並ぶベランダとなっていて、中は洞窟の天井をいただく中庭を僧室が囲む構造となっています。

 ヴィハーラ窟は第1期にも存在していましたが(第12窟)、仏像建立が盛んになり始めたのを境に石窟は荘厳さを増していきます。
 
 第12窟はシンプルな装飾で居住スペースとしての趣が強いしつらえである一方、アジャンター石窟で最高レベルの壁画を収める第1窟や最奥部に仏像を配置した第2窟は仏殿のような印象となっています。

 動物を模したレリーフが施されたり、仏陀の涅槃像が彫られるなど、形式が発展していきます。第26窟の7メートルもある涅槃像はカメラで全景を収めることが難しい威容で、圧巻です。

第26窟の涅槃像

[画像]アジャンター石窟第26窟の涅槃像。石窟に入って左の側廊に掘られている。(2020.02.15 道しるべサポーター撮影)

象の彫刻

[画像]アジャンター石窟外壁の象をかたどったレリーフ。(2020.02.15 道しるべサポーター撮影)

◆鑑賞ポイント② 今も華やかさを伝える壁画

 アジャンター石窟のもう一つの鑑賞ポイントは、当時の美を今に伝える壁画です。

 中でも保存状態がよく、アジャンター石窟最高レベルと称される壁画が収められているのが第1窟です。ヴィハーラ窟の中には、瞑想する菩薩や宮廷で会話する王と妃、遠くペルシアからの使節を迎える王などの絵が華麗に描かれています。

 細密に描かれた壁画たちは、古代の人々がどんな思いを込めていたのか、思わず見入ってしまう筆致です。

アジャンター石窟 壁画

[画像]アジャンター石窟第一窟の彩色壁画(本記事トップ画像の拡大)。中央の蓮華菩薩からは、仏陀のみならず誰もが菩薩から仏となれることをうたった大乗仏教の興隆が感じられる。(2020.02.15 道しるべサポーター撮影)

 ここでは壁画のタッチや質感から背後の技を感じられるよう、石窟壁画の描き方をご紹介いたします。

【アジャンター石窟壁画が出来上がるまで】
《技法》テンペラ画
 粗削りした岩面に泥土を塗る
  ↓
 その上に石灰で下地を整える
  ↓
 乾いてから膠(にかわ)や樹脂を接着剤として描く

[顔料]
 赤、黄、青、緑、白、*黒
  *黒のみ煤を原料とし、残る色は全て鉱物質由来
   青はラピスラズリを原料とし、遠くアフガニスタンの輸入と推測

[描法]
 赤い線で下絵を描く
  *かなりの速筆で何本もの線を引いて構図を決めている箇所もある
  ↓
 彩色を施す
  ↓
 輪郭線に沿って隈取をつける
  *ハイライト部分に明るい白を用いることで、
    肉体の丸みと微妙な凹凸を表現
([出典]辛島昇他監修『南アジアを知る事典』平凡社 2005年 P.14,15)

 歴代王朝の庇護の下、アジャンター石窟では祈りを託した芸術が発達しました。遠くシルクロードで交易された顔料も取り寄せて描かれた壁画は、時代を超えた人々の祈りと美への探求心を今に伝えているようです。

アジャンター石窟 壁画②

[画像]アジャンター石窟の仏陀の坐像を描いた壁画。一部壁面が剥落したものもあるが、当時の華麗な石窟の姿が偲ばれる。(2020.02.15 道しるべサポーター撮影)


彩色豊かな壁画

[画像]アジャンター石窟内の柱の装飾。単なる僧侶の居住空間から、仏への崇拝の念が感じられる美しさ。(2020.02.15 道しるべサポーター撮影)


 アジャンター石窟は古代仏教のあり様を伝えるその価値から、世界遺産に文化遺産として登録されました。インドにおける美の原点の一つを訪ねに、コロナ禍が落ち着いたら訪ねてはいかがでしょうか!

アジャンター石窟世界遺産登録の碑

[画像]アジャンター石窟が世界遺産であることを伝える記念碑。(2020.02.15 道しるべサポーター撮影)

 東京で再上映を無事終了した映画『タゴール・ソングス』ですが、こちらのシリーズは予定を延長してもう少しインド・ベンガル地方の魅力を伝えるべく連載を続けてまいります。次回の南アジア紀行では、アジャンターと並び称される壮大な石窟エローラーに迫ります!

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