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マザーテレサさんのこと。

これまで様々な場面でマザーテレサさんのことを見たり聞いたりして、その名言を引用したりすることがあったので、メモを残しておこうと改めて調べてみました。

http://www.e-gci.org/Teresa/Mother.html
こちらのページにたどり着いたので一部抜粋。

【愛について】 
* お互いに心から深く愛しあっている人たちは、世界で一番幸せ者です。私達が接するとても貧しい人たちを見ているとそれがわかります。子供を愛し、家庭を愛しています。持っているものは少なく、場合によって無一物ですが、幸せな人たちです。

*「愛は家庭から始まります。まず家庭の中で不幸な人を救いなさい。両者が愛し合い、母親が家庭の中心となりなさい。平和とうるおいの家庭が築けたら、隣人を愛しなさい。自分が、自分の家庭が、愛に満たされなければ隣人を愛せません」  (1981年4月、初来日の際)

* 自分の家族、隣近所の人達から始まった愛は、やがて全ての人に向けられていくようになるのです

* 一緒に住んでいたり、または血のつながった親族といった人たちにほほえみかけることは、あまり親しくない人々に対してほほえみかけるよりむずかしい時があるものです。「愛は近きより」ということを忘れないようにしましょう。

*「人間にとって最も大切なのは、人間としての尊厳を持つことです。パンがなくて飢えるより、心や愛の飢えのほうが重病です。豊かな日本にも貧しい人はいると思いますが、それに気づいていない人もいるでしょう」(1981年4月、初来日の際)  

* 油を足し続けなければ、ランプを灯してはおけない。

* 愛は、一年中が旬で、誰でも手が届くところになっている果物である。

* この世界は食べ物に対する飢餓よりも、愛や感謝に対する飢餓の方が大きいのです。この世で最大の不幸は、 戦争や貧困などではありません。人から見放され、「自分は誰からも必要とされていない」と感じる事なのです。

* 世界で一番恐ろしい病気は、 孤独です。

* どんな人にあっても、まずその人のなかにある、美しいものを見るようにしています。この人のなかで、いちばん素晴らしいものはなんだろう?
そこから始めようとしております。そうしますと、かならず美しいところが見つかって、そうすると私はその人を、 愛することができるようになって、それが愛のはじまりとなります。

* 平和は、 笑顔からはじまります。導いてくれる人を待っていてはいけません。あなたが人々を導いていくのです。あなたに出会った人がみな、 最高の気分になれるように、親切と慈しみを込めて人に接しなさい。あなたの愛が表情や眼差し、 微笑み、言葉にあらわれるようにするのです。

* 行く先々で愛を振りまきなさい。先ずは自分の家から始め、子供達に、伴侶に、そして隣人に愛を与えなさい。あなたに会いに来る人を幸せな気分にして帰しなさい。神の優しさをあなたが身を持って示しなさい。あなたの表情に、眼差しに、笑顔に、心を込めた挨拶にも神の優しさを宿すことによって

* 銃や砲弾が世界を支配していてはいけないのです。世界を支配していいのは、愛なのです。

* 人生は愛すること、そして、愛されることの喜びそのものです。愛は「与えること」で、一番良く表現されうるのです。そして、いま学びにあるあなた方は、この「与えること」が痛むまで「与えること」を学ぶのです。何故ならば、これこそが本当の愛の証だからです。 
(上智社会福祉専門学校・創立25周年記念誌へのメッセージより)

*私たちは、この世で大きいことはできません。小さなことを大きな愛をもって行うだけです。大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです。

* どれだけ与えるかでなく、どれだけ愛を込めるかです。

* 優しい言葉は、たとえ短く簡単な言葉でも、いつまでも、いつまでも心にこだまします。
【貧困について】
* あなたが触れているのは、病に悩む神様そのものなのです。「貧しい人たちは、私たちが彼らに与えるよりはるかに多くを、私たちに与えてく れます。彼らは、食べ物なしで日ごとに生きている強い人々。彼らは決して他人をののしったり、不平を言うことはありません。私たちは、彼らを哀れみ同情を与える必要はありません。むしろ、私たちが彼らから習うべきことがたくさんあります」(1977年、インタビューに回答)

*「私は受賞者に値しませんが、貧しい人々に代わって、この名誉ある賞をいただきます。私は、社会に望まれず、愛されず、顧みられていないと感じているすべての人々。社会の負担となって、皆から避けられている人々。おなかをすかせている人々。 障害者。盲人。ホームレスなど。こうした人々の名において、ノーベル賞を受けることを、ありがたく思っています」
(1979年12月、オスロのノーベル平和賞授賞式で)

* もし貧しい人々が飢え死にするとしたら、それは、神がその人たちを愛していないからではなく、 あなたが、そしてわたしが、与えなかったからです。神の愛の手の道具となって、パンを、服をその人に差し出さなかったからです。キリストが、飢えた人、寂しい人、家のない子、住まいを捜し求める人などのいたましい姿に身をやつして、もう一度来られたのに、わたしたちがキリストだと気が付かなかったからなのです。

* 「私はすべての人の中に神を見つけることができます。ハンセン病患者のけがを洗う時、私は神を看病していると感じます。美しい経験ではないですか」(1974年、インタビューで)

* 最も悲惨なことは、飢餓でも病気でもない。自分が誰からも見捨てられていると感じることです。 貧しい人々が一番求めているのは、哀れみではなく、愛なのです。

* 神は、飢えている人、病める人、裸の人、家のない人の中におられます。飢えといっても、パンがないためだけでなく、愛、思いやり、誰かの“あなた”でありたいことへの飢えなのです。また裸といっても服がないだけでのことではなく、見ず知らずという理由だけで、優しい心遣いを示してもらえない意味での裸であり、『家がないというのは、石で造った家だけでなく、自分を招き、受け入れてくれる人を持たないゆえの家なしなのです。

* ある人が尋ねました。「いったいいつ、貧しい人々の貧困はやむのですか?」私は、あなたと私が分かちはじめたそのときに、と答えました。より少なく持てば、その分、より多く与えられるのです。より多く持とうとすれば、より少なく与えることしかできません。

* 貧しい人々の中で最も貧しい人々をキリストご自身の姿として助けてゆく。私たちは、教会の維持を受けませんし、政府からの補助も受けません。また、月給もありません。神の愛の宣教者は、貧しい者の中の最も貧しい者です。誰一人、私でさえも、自分の物は何も持ちません。

* 飽くことなく与え続けて下さい。しかし、残り物を与えないで下さい。痛みを感じるまでに、自分が傷つくほどに与えつくして下さい。

* 残り物を与えるのは、貧しい人々が持っている尊厳に敬愛を払っている行為ではありません。貧しい人々を私たちの主人と見てする行為ではなく、彼らを 見下げた行為としか言いようがありません。
【奉仕】
*何もしなくてもいい。そこに苦しんでいる人がいることを知るだけでいいのです。

* 問題なのは、富んでいる人や裕福な人が、多くの場合、貧しい人のいることをまるで知らないことです。ですから、その人たちを許せるのです。知る気になれば喜んで愛するようになり、愛は奉仕を生むからです。貧しい
人のために心が動かないのは、貧しい人を知らないからです。

* (世界平和のために何をしたらいいのかと聞かれて)帰って家族を大切にしてあげて下さい。

* 100人に食べ物を与えることができなくても、1人なら出来るでしょ?

* あなたがちょっとほほえむだけでいいのです。新聞を読んであげると喜ぶ目の不自由な人も、買い物をしてあげると、重い病気の母親もいるでしょう。小さいことでいいのです。そこから、愛は始まるのです。

* 健康な人やお金持ちは、どんなうそでも言えます。飢えた人、貧しい人は、にぎりあった手、見つめあう視線に、ほんとうに言いたいことをこめるのです。

* 神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。

* 私は、不親切で冷淡でありながら奇跡を行うよりは、むしろ親切と慈しみのうちに間違うほうを選びたいと思います。

* 私は福祉活動をしているのではありません。私にとって大切なのは、群衆としての人々ではなく、個々の魂なのです。

* 私は、あなたの世話をし、出来ればもう一人世話をするだけです。

* わたしたち一人一人が、 自分の玄関の前を掃除するだけで、世界はきれいになるでしょう。
【心の姿勢・信仰】
* 神がお与えになるものは何でも受け取り、またあなたから取り去られるものは、何でも差しあげ、かもの恵みが確かにあなたのうちに働くようになさい。まことの聖性とは、神のみ心のままを、心の微笑みをもって生きることです。

* 大切なことは、たくさんのことをし遂げることでも、何もかもをすることでもありません。大切なことは、いつでも何に対しても喜んでする気持ちがあるかどうかなのです。

* 私たちは皆、神の手の内に握られている鉛筆です。

* 祈ることを愛しなさい。日中たびたび祈りの必要を感ずるようでありなさい。そして、実際に祷るよう努めなさい。祈りは心を広くし、神ご自身という贈り物を受け入れることが出来るようにしてくれます。願い求めなさい。そうすれば、あなたの心は大きくなって、神を自分のものとしてお受けし、神から離れることがなくなる程になるでしょう!“あなたの心の中の最良のものを”

* 人は不合理、非論理、利己的です。 気にすることなく、人を愛しなさい。あなたが善を行うと、 利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。気にすることなく、善を行いなさい。

* 目的を達しようとするとき、 邪魔立てする人に出会うでしょう。
 気にすることなく、やり遂げなさい。

* 善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
 気にすることなく善を行い続けなさい。

* あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
 気にすることなく正直で誠実であり続けないさい。

* 助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
 気にすることなく助け続けなさい。

* あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。
 けり返されるかもしれません。

* 気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。
 気にすることなく、最良のものを与え続けなさい…。

* あなたは、あなたであればいい。

* 信仰が足りないのは、自己中心と、自分に得になることだけを求めることが多すぎるからです。信仰が本物なら、それは仕えずにはいられない愛があるはずです。愛と信仰は、ひとつになっているもの、互いに補いあって完成しあうものです。

* 信仰を失うことより、いのちをなくすことを私は選びたい。

* キリストがあなたを愛しておられる愛には限りがありません。そしてあなたが教会に抱いて折られる、わずかな疑問は限りあるものですね。有限なものを無限なるものによって克服してください。

* 今日、教会の表面で起こっていることは、やがて過ぎ去ることです。キリストはお叱りなさらず、ただ『信仰の薄い者よ、何故恐れたのか』とおっしゃっただけです。私達もキリストが愛されたように愛することができるならと思います。――それも今、このときに。

* 思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

* 今、この瞬間を幸せでいましょう。それで十分です。その瞬間、瞬間が、 私たちの 求めているものすべてであって、他には何もいらないのです。
【緊迫する世界情勢のなかで】
* 「どうか平和への道を選んでください。短い間には、戦争の勝者と敗者がいるかもしれません。でも、決して、苦しみ、痛みは消えず、武器が引き起こす生活の損失を正当化できるものではありません」
(1991年1月、ブッシュ・米、フセイン・イラク両大統領への手紙で)

* 難民かキャンプの苦しみは大きい。キャンプ全体がひとつの大きなゴルゴダの丘のよう。キリストが再び十字架につけられている。助けがいる。しかし、許しがないところに、平和は、来ない。ベルファストでもベトナムでも同じことが言える。
【マザー・テレサの傑作アイデア】
* 1964年 にボンベイに来たローマ法王パウロ六世は、アメリカ人の富豪から贈られた純白のリンカーン・コンチネンタルをマザー・テレサにプレゼントした。マザーはこの車を賞品に宝くじを行い、車の価格の五倍に当たる50万ルピーの資金を得て、ハンセン病者のための大きなセンターを建てそこを平和の街と名づけた。

* 街頭に捨てられたココナツの殻を水にひたしてから棒でたたくと繊維になることに着目したマザーは、ココナツの繊維からマットやたわし、枕のなかに入れるパンヤを作った。さらに、その製品を売って失業対策や、収入化を図った。(ed. by J.Owaki)

マザー・テレサの生涯  
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1910年、8月26日、(明治43年 )スコピア(現マケドニア)のアルバニア商人の家庭3人の兄弟の末子に生まれる。本名;Agnes Gonxha Bojaxhiu、(アグネス・ゴンジャ・ボジャクシュ)、両親はアルバニア系の熱心なカトリック教徒。

1928年(昭和 3年 )アイルランドのロレッタ修道会に入会し、カトリックの修道女として同年、インド・ダージリンの修練院に派遣される。

1931年(昭和 6年) ロレッタ修道会修道女として初誓願を立てる。修道名はシスター・テレサ。カルカッタにあるロレッタ修道会経営のセントメリー高等学校に赴任。歴史と地理を教え、その後、校長を務める。

1946年(昭和21年) 黙想のためダージリンへ向かう汽車の車中で“あまりにも明白な神の召命”を受け、修道会を出て貧しい人々の中に入ることを決意する。(『病める人、市に行く人を助けよ、神の手となり、愛をもって貧しい者の中の最も貧しい者を救え!、餓えた者、裸の人、家のない人に神の愛を行動でしましなさい!』)

1948年(昭和23年) イギリスの植民地から独立したインドで、貧困救済の活動に入るため、派遣伝道師としての身分の除籍をローマ法王に申請。(修道女のまま修道院外で働く許可)スラム街にまず最初に「青空教室(文字を教える)」を開設。(薬を買って粗末なサリーをまとい貧民街に立ったとき、所持金わずか5ルピー(約150円)。「富の中から分かち合うのではなく、ないものを分かち合うのです。」持ち物と言えば、サリーと草履

1949年3月9日、ミッションスクールの教え子、ベンガル少女、最初の弟子となる。“アグネス”の名を与える。

1950年(昭和25年) インドに帰化。 12人のシスターと共に、”貧しい中の最も貧しい人に仕える 修道会”「神の愛の宣教者会」(Mission of Charity)設立、総長に就任して「マザー・テレサ」と呼ばれるようになる。

1952年(昭和27年) 路上で死にそうになっている人を連れてきて、最期をみとるための施設「死を待つ人々の家」(Home for Sick and Dying Destitutes)を開設。(地元住民の強い反対と施設撤去を求める誓願。ヒンズー教徒の国ですから、キリスト教のシスターは良く思われません。また、どうせ死ぬ人のためにそんなに苦労しても、あまり意味がないのではないかという批判もあった。しかし、マザーは、最期の一瞬だけでも人間らしく扱われることの大切さを痛感。)ある日、コレラで死にそうなヒンズー教徒の僧を引き取り、死をみとったことをきっかけに、住民の彼女を見る目が変わる。
「恵まれない人々にとって必要なのは多くの場合、金や物ではない。世の中で誰かに必要とされているという意識なのです。見捨てられて死を待つだけの人々に対し、自分のことを気にかけてくれた人間もいたと実感させることこそが、愛を教えることなのです。」

1955年(昭和30年) 孤児のための施設「聖なる子供の家」を開設する。
1957年(昭和32年) ハンセン病の巡回診療を開始する。
1965年(昭和40年) インド国外での最初の修道院をベネズエラに開設する。
1968年(昭和43年)西ベンガル州にハンセン病患者のコミューン「平和の村」を開設する。
1975年(昭和50年) 学校・病院・作業所持つ複合センター「プレム・ダム」を開設する。
1979年(昭和54年) ノーベル平和賞受賞、「わたしは受賞に値しないが、世界の最も貧しい人々に代わって賞を受けました。受賞後も、朝4時に起床、シスター達と一緒に、路上生活者やごみ捨て場に捨てられた幼児を施設に連れてくるといった生活をほとんど変えずに行い続けた。
1981年(昭和56年) この年と翌年に二年連続して来日し、各地で講演を行う。
1984年(昭和59年) 三度目の来日。
1997年(平成 9年 3月病気のため総長を引退。新総長にシスター・ニルマラが選ばれた。
1997年(平成 9年 9月5日(日本時間9月6日午後6時)「もう息が出来ないわ」の言葉を残し永眠。9月13日インドで国葬が行われた。マザー・テレサの精神は、現在,126カ国、537修道院、600の施設で受け継がれ、4000人のシスターが奉仕している。

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