オオカミが来たぞー

ってやつ。
私はコロナウィルス流行によるもろもろの自粛要請の影響で収入がほとんど途絶えてしまっているので、政府や自治体の動向を超気にしている。
私の住んでいる自治体は、ここぞとばかりに独自性と実行力をアピールして、なんだかいろいろやってくれていて興味深いのだけど、政府の様子を見ていると、日ごろの行いの大切さみたいなのをつくづく実感するわ。

私、ぶっちゃけ政府がおこなうコロナ対策が、良いものなのか悪いものなのか、よくわからないのね。
現時点では、まったく十分ではないと思ってはいるんだけども。
だって私の収入は10万円の給付だけじゃ補えきれないくらい激減しているわけだし!

でも、今はこんな状況なんだけどさ、まだコロナウィルスの流行が終息したわけではないじゃん。
だから、もしかしたらこれから効果的な対策を打ち出してくれるかもしれないし、すでにある対策の効果も明らかになってくるかもしれないじゃん。
いや、何度も言うけど、十分ではないと思ってはいるんだよ。
そしてぶっちゃけ、私みたいに軽口を叩けるレベルじゃないくらい、まさに今、リアルタイムで困ってる人をぜんぜん拾えてない時点で、おおむねクソだと思ってるんだけどね。

そんなわけで、コロナ対策への個人的かつ勝手気ままな評価はまだできないかもしれないんだけど(と言いつつすでに文句を書いてきたけど)、
どうなるにせよ、信用することの難しさを感じている。

オオカミ少年ってあるじゃん。
オオカミが来たぞー!って嘘ぶっこきまくってるうちに、本当にオオカミが来たときに誰も信じてくれなかったってやつ。あれと同じ感じよ。
コロナ対策だけじゃなくて、今までのいろんな行いの積み重ねの結果として、コロナ対策も信用できなくなって
「これは本当に効果が期待できる制度なのか?」
「政府は今後、国民目線のコロナ対策を打ち出すつもりはあるのか?」
ってエブリタイム疑心暗鬼になっちゃう。そして心が疲弊する。こういう批判的な視点もめっちゃ大事だとは思うんだけどさ、永遠に期待ができない。

だから、コロナ対策がどうこう以前に、平時から適切に情報を開示したり、問題が生じたときにはきちんと説明したりなどなど、政府や政治家が国民と信頼関係を築こうとする姿勢を見せることは、とっても重要なんだなって改めて感じた。
まさか、政府のコロナ対策を見てて、日頃の行いの大切さを学ぶことになるとは思わなかったし、できれば学びたくなかったわ~~~。まじつら。

でも本当にすごいのはさ!
なんとなく信用できねぇなって感じてはいても、実は信用しているってことだよね!
自分でもなに言ってんのって感じだけど!

特に何もしなくても、自分の能力や努力次第で自分の今の状態を維持できると思ってる。私も心のどこかでそう思ってる。あ、もちろん、みんながみんなそう思ってるわけじゃないとは思います。
でもそれって、政府や国家の枠組みや民主主義のシステムを、無意識のうちに信用しているからなんだよね。きっと。
私が何もしなくても何も変わらないし、何も変わらないままでも、私も変わらずに生きていける。
どんな人が政治をしていたとしても、政府や国家の枠組みや民主主義のシステムはちょっとやそっとじゃ揺るがないだろうし。

って、ほんまかいなーーーーーーーーーーーーーー。
いつから政府とか国家とか民主主義ってやつは、人間から独立した生き物になったんだよ(?)。
やっぱりこれを機に、ルソーの「社会契約論」から学び直すしかないな。
学び直すも何もまともに読んだことないけど。

ラブ&ピース!!!!!イェーイ!!!!!

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