ようやく日記らしいものを書く

深夜3時に暑さで目が覚めた。布団を引っ剥がし、もう一度寝入ろうとしても、なかなか眠ることができない。生理痛で食欲が出ず、夕飯をスキップしてしまったせいか、妙に空腹感もある。腹が減っては睡眠はできぬ。時間など、所詮は人間が作られるよりも後から作られたものでしかない。だから、深夜3時にシリアルを袋ごと手掴みでむさぼり食った。私は忘れていた。たしかに、時間の概念は人間が作られた後に作られたものかもしれないけど、人間の体内時計的なものは、おそらく人間、いや人間を含む生物のほとんどに、もともと備わっているのだということを。そしてなにより、私は腸が弱く、寝起きすぐに食事をすると下痢になるということを。案の定、今日は下痢の日だった。

Zoomは便利だなぁ。と感じる一方、今後は生活がますます電気とインターネットに依存していくのだと思うと、なんだか意味もなく身震いする。インターネットが一般に普及されてからというもの、社会や生活、そして価値観のターニングポイントから次のターニングポイントまでの間隔が、どんどん短くなっているような気がする。次から次へとやってくる変化に素早く対応できる能力が、今後はいっそう求められることになるんだろうな。対応できないでいると、努力が足りないとか、変化に追いつくことのできなかった自己責任だとか、そういう論調が、ますます加速していくんだろうか。だとしたらキモすぎ~~~。

ていうか、Zoomに表示される自分の顔を長時間眺め続けることが、すでにつらい。音声だけにするとか、ちょっとあやしいけど特定の人の顔だけを表示するとか、やりようはいくらでもあるんだろうけど、他の人の反応が見たいとなると、やはり自分を含む全員分の顔を表示させることになってしまう。ここ最近、私は自分のことを、野性的な美人だと思っていた。なぜなら、コロナの影響で引きこもりがちな日々なので、自分の顔を見るのは自宅の鏡でしかなく、鏡で見る自分の顔は実際よりも美しく見えるらしいし、他者からの評価にさらされる機会もなかったから。だから、野性的な美人だと思っていたのだけど、Zoomに表示されていたのは美人ではなく、ただの野生的な顔面だった。がっかりした。でも、いま思えば、野生というのはとても美しいもののはずだから、美人ではなく野生だけだったとしても、その時点で十分私は美しいということになる。これで今日も情緒安定だ。

下痢だった今日の夕飯は、卵粥。お粥を作るのだけは日に日にうまくなっていく。鶏肉と顆粒の昆布だしで、だし的なものをとったけど、素材の良いおいしい昆布やしいたけでだしをとりたいとも思う。お粥は消化にいいので、また深夜にお腹が空かないか心配。

素敵なnoteを見つけた。自分の心の内を、恥ずかしいことも含めて開示して文章にしている人は魅力的だわ。

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