ぼくらの夏休み
ばあちゃんが倒れた時、動揺を必死に抑えながら救急に連絡をした。看護師の兄と姉が冷静に動いてくれた。島には病院も無くて、フェリーの最終便も終わってしまっていた。佐世保の港までなんとか自分達で運ぶしか無かった。全員がどうすればいいのかわからなくなっていたが「港に向かえ!船はなんとかするけん!」母の震えた声でハッとした。
大急ぎでばあちゃんを車に乗せて港に着くと大きな声で僕らを呼ぶ船があった。「急いでばあちゃんば乗せろ!時間との勝負やろが!」10分前に電話を受けた島の漁師さんが家を飛び出して船を出せるようにしてくれていた。ありがとうと泣き崩れた母。ばあちゃんと母がこの島で育ったことを示す、形のない何かを見た。
結果として手術は無事に成功
脳に詰まっていた大きな血栓を取り除いたらしい。
1ヶ月は入院
ばあちゃんを島に一人にするとまた同じことが起こった時に誰も助けられない。だからばあちゃんを介護施設に入れよう、誰がお金を負担して誰が遺産を継ぐのか、生々しい話になっていった。
ばあちゃんがもうこの家には帰って来ない
ばあちゃんや母、5代に渡って続いたこの家に住む人が居なくなる。ずっと積み上げた歴史が終わる。物心つく前から僕が毎年の夏休みを過ごしたこの家が
火元を断ち、コンセントを一つずつ引き抜いて、水気を全て拭き取り、冷蔵庫の中にあった食材や調味料を全て捨てた。
ゴミ収集車なんて来ないこの島
家の前で集めたゴミをまとめて燃やす。
今までならゴミとして扱わなかった物ですら片っ端から燃やして処分する
ゴミじゃ無いんだよどれも
思い出も歴史も、みんながここで生きた形跡を燃やしていて、何も残らなくなってしまうんだと思うと耐えられなかった。
半年前にじいちゃんが亡くなってから加速度的に全てが終わりへと向かってく
翌朝、戸締りを済ませて家を出て、早朝6時40分のフェリーに乗り込んだ
最後に聞いた汽笛の音
島で育った同世代の友人との会話
僕が僕でありたいものが詰まった島
ばあちゃんやじいちゃん、母とその兄弟、他の島の人たちが守ってきたもの
どれも忘れずにいたい
心の底から大好きだと思えるもの
死んだら僕はここで眠りたい
ありがとうね
大好きなんだよ、本当に
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