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番外編 第511並行世界におけるトラベラーの活動 後編

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 鳩美は悪夢を見ていた。顔なき者どもが彼女の何もかもを否定する恐ろしき夢を。
 顔なき者どもが刀を振り上げる。
 そして鳩美の全身に刃が突き刺さった。
 駆け巡る激痛。噴き出す鮮血。

「ああっ!」

「おっと、危ない」

 男は鳩美に見せていた悪夢を停止させた。
 
「まずいな。殺してしまったか?」

 スマートフォンを操作し、鳩美の部屋に仕込んだ隠しカメラの映像を呼び出す。
 鳩美は生きていた。様子を見る限り、自分が体験したものは単なる悪夢としか思っていないだろう。
 
「よしよし。テストはこんなもんでいいな。本番が楽しみだ」

 男はほくそ笑む。それはおぞましいほどに邪悪だった。

「さて、次はあいつのところに行くか」

 男が向かったのは刑務所だった。
 高い塀に囲まれ、警備の者たちが鋭く目を光らせている。
 男はさも当然のように敷地内へと入った。不思議なことに、誰も彼を止めようとしない。男の存在を知覚していなかった。

 途中、男は看守の詰め所で鍵を失敬する。誰も男の行動を止めるどころか、このような出来事が起きている事自体を認識していなかった。
 男は盗んだ鍵の独房へと向かう。
 その独房は赤木誠司が収監されている場所だった。

「よう」

 男は鍵を使って中に入る。

「お前! どうしてここに」

 誠司は男の顔を見て驚いた。
 
「久しぶりだな」
「なにが久しぶりだ。こんなところ、看守に見られたら」
「心配すんな。おれは魔法が使えるんだ」

 看守の一人が通り過ぎるが、彼は異常事態に気づいていなかった。
 
「な?」
「確かに、大丈夫みたいだが……いや、そもそも俺になんの用だ」
「お前にチャンスを与えようと思ってな」
「チャンス?」
「そう。今度こそ鳩美を殺すチャンスをだ」

 その瞬間、誠司の瞳にくすぶっていた憎悪の炎が蘇る。

「一年前、赤木流の跡継ぎになれなくて絶望していた俺の前にあんたは現れた」
「そうだな。そして、俺は誠司の背中を押してやった。だが、お前はしくじった」
「あれは、邪魔が入ったからだ」
「たしかにそのとおり。でも、お前にも原因があるんじゃないか?」

 男は誠司の耳元で邪悪にささやく
 
「お前は鳩美より弱かったんだよ」

 誠司は歯ぎしりしながら男をにらみつける。
 
「そこでだ。俺はお前のために、誰にも邪魔が入らない場所と、鳩美を殺せるだけの力をプレゼントしにきたんだ」
「プレゼント?」

 男はある機械を誠司に渡す。
 それはジェームス・スコットの自宅から盗まれた、遠隔非接触型サイバースペース機器だった。正確には、盗んだオリジナルを複製したものだ。今回の計画には遠隔非接触型が二つ必要なのだ。
 オリジナルの遠隔非接触型はこことは別の場所に設置してある。
 
「三日後の夜、こいつの電源を入れろ。そうすれば今度こそ鳩美を殺せる」
「今すぐじゃだめなのか」
「三日後だ。それより早くても遅くてもだめだ。鳩美を殺すタイミングはそこが一番良い」

 男が指定した日は、鳩美がオフ会に参加する前日の夜だった。
 
「あんたは一体何者なんだ? こんな事してなんの得になる」
「俺は悪事の味方だ。損得じゃ動かない」

 男は誠司のもとから立ち去っていった。

 ジェームスとの面会の後もトラベラーは第511並行世界の調査を続けた。
 同時に、赤木鳩美の身辺調査もあわせて行った。
 調査と言っても、故郷から持ち込んだ高性能AIにまかせてしまえばいい。ある程度情報化が進んだ文明を持つ並行世界ならこれで事足りる。

 無論、異なる並行世界からやってきたトラベラーが調査対象でない人間と不用意に接触することは出来ない。だが、こと赤木鳩美に対しては無関心ではいられなかった。
 やがてAIが鳩美の情報を集め終えた。
 
(やはり……)

 多くの並行世界において、鳩美は良くも悪くも平凡とは程遠い体験をする。それはこの第511並行世界でも同じだった。
 今から一年近く前、鳩美は育ての父親である赤木誠司に殺されかけたらしい。
 理由は嫉妬だった。赤木流剣術の後継者として指名されたのは誠司ではなく鳩美だった。それが彼の殺意を引き起こした。
 しかも誠司は、鳩美が実の親に捨てられた孤児だったことを暴露した。

 親と思っていたものに殺されかけ、実の親に捨てられた。この二つの衝撃で鳩美は全ての他人に怯えるようになってしまっているという。
 せめてものリハビリとしてプラネットソーサラーオンラインを始めたらしい。先日、接客業のアルバイトをしているのを目撃したので、効果はあるのだろう。
 トラベラーは自分も鳩美のために何かしてあげたかったが、直接の接触は出来ない。
 
(一応、黒井鋼治がすぐ近くにいるけれど)

 鳩美の身辺調査の結果、鋼治が彼女のすぐとなりに住んでいることは分かった。

(第511並行世界における赤木鳩美と黒井鋼治の関係がはっきりしていない。私の期待通りになるか分からないわね)

 もし、鳩美と鋼治が恋人同士だという確証があるのなら、ここまで心配しなかっただろう。
 トラベラーは第511並行世界の鳩美が幸福になるという保証が欲しかった。
 理性ではこれが自分の気分の問題に過ぎないことは分かっている。分別というものをきちんと付けるべきだった。
 
(いつまでも第511並行世界にはいられない。でも、せめて……)

 帰還する前に、トラベラーは夢見荘を訪れた。あくまで鳩美が住んでいる場所を眺めるだけだ。それで踏ん切りをつけて元の世界に戻るつもりだった。
 
(あれは?)

 鳩美の部屋の前で怪しい動きをする男がいた。
 泥棒のたぐいかもしれない。鳩美から害となるものを寄せ付けないため、トラベラーは男に近づく。
 
「今すぐ立ち去りなさい」
「……」
 
 男は無言で作業を止める。だが、立ち去る気配は一切なかった。
 ならば力ずくでもと、トラベラーが男に手をかけようとした瞬間、彼は素早く振り向いた。
 危険を察知したトラベラーは素早く後ろに下がる。
 直後、男とトラベラーの間で火が生じた!
 
「発火能力!?」

 間違いない。男はフォースエナジーによる能力を使ったのだ。
 
「邪魔をしないでほしいな。これから誠司が鳩美を殺すのだから」
「鳩美を殺すですって!?」

 何故とトラベラーは問わなかった。問いただすのは、この男を無力化してからだ。
 トラベラーの手に片刃の剣が出現する。亜空間に格納していたものを呼び寄せたそれは、故郷の技術で作られた武器だ。
 
「おっと、こいつはまずいな」

 男の姿がかすみのように消えていく。先程の発火能力以外の力も持っているようだ。
 だがトラベラーには無意味だ。
 トラベラーはなにもない虚空を切る。だが、確かな手応えがあり、血が宙を待った。
 
「くそ、どうして場所が分かった!?」

 負傷したためか、能力が解除されて男が再び現れる

「これは私の認識を防御する機能も持っている」

 トラベラーは自分が身につけている眼鏡型の認識阻害装置を指差す。
 認識を無差別に阻害しては使い物いならない。そのため、装着者の認識だけは防御するように作られている。
 
「だったら、正攻法で行くしか無いな」

 男は手のひらから電撃を放つ。
 だがトラベラーは剣を使ってその電撃を男に跳ね返した。
 自らの能力の直撃を受けた男はその場に倒れた。
 
「なぜ赤木鳩美を狙った」

 男はまだ息がある。トラベラーは剣の切っ先を向けながら問いただした。
 
「なぜ? なぜって、そりゃ俺が敵役だからさ。悪事をするために生まれてきた」
「そんな抽象的なことは聞いていない。なんの利益をがあって、彼女を狙っているのかと聞いているのよ」
「利益は求めてない。俺は誰かの願いを叶えるための存在だ。無数の人々の心にやどる、邪悪でありたいという願いとフォースエナジーが結合して生まれたのが俺だ。今回だって赤木誠司の願いを叶えるためにやったことだ」

 トラベラーは気がつく。

「まさか、一年前の事件の原因は……」
「おいおい、早とちりすんなよ。その事件で俺は誠司を洗脳していない。ほんのちょっと、そそのかしただけ。あの男にちゃんと良心があれば、そもそも起きなかった事件だ」
「何を言う! お前さえいなければ彼女は傷つかなかった!」

 まるで他人事のような素振りを見せる敵役にトラベラーは怒りを顕にする。
 だが、敵役はいっさい悪びれなかった。
 
「俺がいなくても事件は起きた。普通、誰かに言われただけで娘を殺すか? 誠司はいつか鳩美を殺そうとする男だったんだよ。俺はその”いつか”を確定させただけだ」

 トラベラーは敵役の言葉を肯定も否定もしなかった。誠司の人間性などこの際、どうでもよい。問いただすべきことは他にある。
 
「それで、今回は何をするつもりだったの?」
「ジェームス・スコットから盗んだ遠隔非接触型を使って、誠司と鳩美を同じサイバースペースへ送り込む。そのサイバースペースは俺の特別性でね。そこで死ねば強烈なショックを脳が受けて現実でも死ぬ」
「でもしくじった。偶然だけど、私がお前を見つけて阻止した」

 深手を負いながらも、敵役は悪戯をした子供のようにケラケラと笑った。

「俺が姿を見せたのは囮だよ。万が一にでも邪魔する奴が現れたら、そいつを引きつけるためのな」

 そして敵役は勝ち誇るように言った。
 
「すでに鳩美をサイバースペースへ送ってる。もう死んでるんじゃないか?」

 その言葉にトラベラーは動揺してしまった。それは敵が反撃するのに十分なものであった。
 敵役が懐からナイフを取り出してトラベラーに投擲する。
 とっさに避けようとしたが、ナイフが認識阻害装置に当たってしまった。
 
「ああっ!」

 トラベラーの素顔があらわになると、敵役は驚きと納得が混ざった感情を浮かべる。
 
「ああ。そうか。そうだったのか。お前なら鳩美を助けるはずだ。絶対に」

 トラベラーは剣を振るい、敵役に致命傷を与えた。
 フォースエナジーが生み出した邪悪な超自然存在は、死ぬと夜の闇へ溶け込むかのように消滅した。
 あるいは死んだと見せかけた偽装かもしれないが、今は悠長に確かめる時間はない。

 トラベラーは鳩美の元へと急ぐ。
 彼女の部屋は古めかしい外見とは裏腹に、セキュリティは最新で、玄関ドアは指紋認証式で施錠されていた。
 
「良かった。これなら!」

 トラベラーがドアノブに手をかけると同時に解錠される。指紋認証システムは故障していない。”正常に動作しているからこそ、解錠した”。
 トラベラーが部屋に踏み込むと、苦悶の表情を浮かべる鳩美がベッドの上で横たわっている。
 
(決して使いたくなかったけど、今は緊急事態よ)

 トラベラーが取り出したのは、他人の意識に侵入するマインドハックツールだ。任務で他人が持つ機密情報を盗む際に使うものだが、トラベラーとしては倫理観に反するので、支給されても決して使ってこなかったものだ。
 だが、今はそれが鳩美の命を救うために使われる。
 トラベラーはマインドハックツールで自分と鳩美の意識を接続する。
 
(これで、彼女がいるサイバースペースに行ける!)

 自分の意識が別の場所へ移動する感覚の最中、トラベラーは鳩美の記憶を垣間見た。
 プラネットソーサラーオンラインで出会ったスティールフィストに恋心をいだいているが、鳩美は現実とゲーム内でのギャップで一歩踏み出す勇気を持てないでいた。
 だが、周囲の支えもあって、ようやく次の一歩を踏み出そうとしていた。
 
(なおのこと、こんなところで死なせるわけにはいかない)

 サイバースペースで認識阻害装置は使えない。そこでトラベラーは鳩美の記憶を元に、自分の姿を彼女がゲーム内で使っているピジョンブラッドへ変身させた。
 やがてトラベラーは鳩美と誠司がいるサイバースペースにたどり着く。色を失った灰色の世界だった。

 そこでは鬼が今まさに鳩美を殺そうとしているところだった。
 鬼は誠司だ。あの姿は敵役が与えた力だろう。
 トラベラーはとっさに炎を発生させて誠司を攻撃する
 
「ああああ!」

 鬼が悲鳴を上げる。
 
「鳩美!」

 トラベラーはブルーセーバーを鳩美に投げ渡す。それは鳩美がゲーム内で使っているものとは違う。
 殺傷力はなく、攻撃した相手をサイバースペースからログアウトさせるように作り変えてある。

 鳩美は、ここでの死が現実の死につながると知らない。悪党が相手とはいえ、彼女に人殺しをさせるわけにはいかない。
 同時にトラベラーは鳩美自身の手で誠司を倒すべきだと考えた。そのためにブルーセーバーから殺傷力を取り除いたのだ。

「あなたは鬼と成り果てた男などには負けはしない。なぜなら私は、ピジョンブラッドはあなたなのよ!」

 トラベラーは鳩美に勇気づけるため、あたかもピジョンブラッドそのものが彼女を助けるかのように振る舞う。
 鳩美がブルーセーバーを起動し、灰色の世界に青い輝きが生まれる。
 わざわざ鳩美に武器を与えて戦わせるのは、心の傷を乗り越えさせるためだ。
 
 父親によって与えられた心の傷を真に乗り越えるためには、自らの手で父親を打倒する必要がある。
 そして、鳩美は見事に邪悪な鬼と成り果てた父親を打倒した。
 
「お前、よくも! 捨て子が恩を仇で返しやがって」
「私を拾ってくれたのはお母さんです。人の心を捨てたあなたに恩も義理も有りません。消えてください。もう私の夢に出てこないで」

 鬼となった誠司が消滅する。彼の意識は現実の独房へと戻っただろう。
 
「頑張ったわね」

 トラベラーがピジョンブラッドの姿で優しい笑みを浮かべる。

「ありがとう。あなたのお陰で助かりました」
「忘れないでね、私は、ピジョンブラッドは偽物のあなたではないということを」
「はい。あなたは紛れもなく私自身です」

 トラベラーが安堵する。もう鳩美は現実とゲーム内でのギャップに苦しまないだろう。
 
「これからの人生、あなたには幾度となく他人の敵意や悪意に遭遇するでしょう。もしかすると赤木誠司以上の悪人に襲われるかもしれない。でも、あなたにはそれらに立ち向かう術がある」
「そのとおりです。赤木流だけじゃない。私には家族や仲間がついている。心を通わせた人達がいれば、この世にどれほど酷い人達がいたとしても、私はもう怯えたりしません」

 トラベラーの励ましに、鳩美は自身に満ちた顔で答えたあと、付け加えるように言った。

「もっとも、今の振る舞い方が染み付いてしまったので、昔のようには戻れないかもしれませんが」
「それでいいのよ」

 トラベラーは肯定する。

「変わらないことを良しとする場合もあれば、昔とは違うことを良しとする場合もある。そこに良心さえあれば、どっちでも良いのよ」

 そう。それで良いのだ。
 過去と現在の違いだけではない。全ての並行世界に存在する赤木鳩美は同じようでいて、しかしそれぞれ違っていた。それは何ら悪いことではない。
 暖かな陽の光が現れた。灰色だった荒野に色が戻り始める。

「さあもう目覚めるときよ。そして、あなたにとって最愛の人に会いに行きなさい」

 トラベラーは鳩美の記憶を垣間見た時、スティールフィストの正体が鋼治であると確信していた。彼のことはよく知っている。姿形が変わってもすぐに分かった。
 鳩美の記憶を通してではあるが、鳩美と鋼治は間違いなく愛し合っている。
 ならば鳩美は必ず幸福になる。それは不確かな未来を願ってのことではない。これまで体験した実例によるものだ。
 トラベラーは鳩美をこのサイバースペースからログアウトさせた。

 鳩美と助けた後、彼女の部屋に仕掛けられた監視カメラと盗聴器を人知れず処分したトラベラーは、第511並行世界でやるべきことをすべて終えた。
 しかし最後にもう少しだけトラベラーは第511並行世界にとどまった。
 今、トラベラーの前では鳩美と鋼治が、お互いがピジョンブラッドとスティールフィストであることに気がついた。

 二人が抱き合うのを見届けたトラベラーは、もう第511並行世界での心残りがなくなった。
 トラベラーは密かに鳩美と鋼治から立ち去ると、こことは別の並行世界を調査している夫に連絡をとった。
 
「やあ、そちらの調子はどうだ?」
「今終わったところよ。これから帰還するつもり」

 久々に聞く夫の声はトラベラーの疲れを癒やした。
 
「そうそう。また調査先で赤木鳩美と黒井鋼治を見かけたわ」
「奇遇だな。こっちもだ。他の人も俺たちみたいに、調査先の並行世界に存在する自分を目撃することが、よくあるみたいだ。縁みたいなのがあるんだろうな」
「ええ。そうね」

 トラベラーは認識阻害装置を外す。彼女の顔は多少の年齢差はあれど、鳩美と全く同じであった。
 
「今の案件が終わったら、休暇がもらえる。しばらく鳩美とゆっくり過ごせそうだ」
「私もよ。鋼治さんと一緒にいられるのを楽しみにしているわ」

 トラベラーとその夫。様々な並行世界を渡り歩く二人は、最初の世界《あなたがいる場所》から初めて分岐した並行世界。すなわち第2並行世界における赤木鳩美と黒井鋼治であった。

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