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創作民話「の山」について

30年ほど前に、宮崎県史編纂室に勤務していた頃、故山口保明先生から聞いたことをなかなか思い出せずにいました。それが宮崎の方言を使った民話で、マイナスな宮崎弁をプラスの標準語に変えるというものでした。昨年、20年ぶりに宮崎に帰り、検索などをして、この話を探していましたが、なかなか出典にたどり着けませんでした。物語自体は、断片的に紹介されているのですが、出典は明示されていません。以下に目に付くサイトを紹介してみます。

の山(のさん
宮崎市の漢方薬局のブログで「今日は、宮崎の代表的な方言『のさん』のおもしろい詩を紹介させていただきます。」(中略)「その“のさん”を題材にしたおもしろい詩が、こちら↓です。」と、詩として、この民話を紹介しています。
のさん(山)
よだき(木)
しかしかむね(根)
しょのみ(実)→人間味
ねたみ(実)→あわれみ
ひがみ(実)→つよみ
てにゃおか(丘)
でいじゃ(蛇)
ぼくじゃ(蛇)

の山(さん)
「事務所の掲示板に貼っているお話しです☆」として、紹介されています。
①と同様

「の山」 「よだ木」
「平成14年10月26日のUスーパーのチラシに掲載されていた文章で、作者は高校の先生だという事ですが、定かではありません。対局室に貼っていたものを、先代が書き写してT五段に差し上げたものだとか」とあり、筆書きされた画像が添付されています。
①②と同様

方言
「先日、延岡の方言で書かれた文章(日向の病院に飾られていたそうです)を紹介されました。」と冒頭で説明されています。
①②③と同様

『の山(のさん)』について
・延岡市の城山ふとん店のサイトで、「ちょっとした延岡小話」として紹介しています。
①②③④と同様

FMのべおか「おはなしの部屋」(上)

このサイトでは、延岡弁の紹介としてこの話が活用されています。

■延岡案内(ことばあそび)
【延岡弁】
延岡にゃ「のさん」ちゅう山があっとじゃわ。そん山にゃね「よだき」ちゅう木がはえちょっとよ。そん木にゃわら「たまろか」ちゅう花が咲(せ)えちょっとじゃわ。わっどみゃ知っちょるか。
そん山かり「なんじゃろかい」ちゅう海が見ゆっとよ。そん海にゃね「てにゃわん」「かかりあわん」ちゅう湾が並(なろ)じょって潮が引きゃあ「のみかた」ちゅう州(がた)ができち「しょのむ」ちゅう飲み方をすっとよ。「しゃっちこっち」「ばちかぶり」が酒ん肴(さかな)よ。
そっかい西向きゃあ「なんでや」「やんや、やんや」ちゅう陸地(おか)が見ゆっとじゃわ。そこにゃね「しもた」「ひんだれた」ちゅう田んぼやら「ほんでん」「なんぼなんでん」ちゅう水田があっとよ。
秋にゃね「じゃろかいね」ちゅう稲が獲(と)るっとじゃわ。畑にゃ「やっけな」「しんきな」「へのよな」ちゅう野菜(やせ)がいくらでんとるっとぞ。
そりかり、庭ん隅(くろ)にゃ「もじらん」「しっちょらん」「どしゅむこしゅむならん」ちゅう蘭(らん)が咲(せ)えちょ、えれいいにおいがしちょったげな。わっだ知っちょるか、よ。

特に方言に対する批判的な意見は入っておらず、方言紹介としての民話のようです。以上のサイトには、出典は明記されていません。

そこで方言関係の本を調べてみましたが、当時の宮崎大学、早野慎吾さんの本には紹介されていないようです。

『残さんね宮崎弁』宮崎日日新聞社、2010年

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『みやざき文庫75 宮崎ことばの散歩道』鉱脈社、2011年

そこでもう少し古い本、宮崎国際大学の松永修一さん監修の本をあたりました。その「のさん」の項目(138頁)にありました。

『ボキャブラBOOK やっちょんな宮崎』鉱脈社、2000年

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あそらくこの本に出てくる宮崎県立延岡工業高校の横山先生の講義が出所と思われますが、フルネームが解りません。
※結局、この横山先生の名は不明のまま。どなたかご教示お願いいたします。

ところが、先日、資料を整理していたら、思いがけず『のさん山の奇跡』というコピーを閉じたファイルが出て来ました。

図書館で調べてみるとこの本が出て来ます。
のさん山の奇跡 あおきやすし/著 -- 青木文画店 -- 199601

手元のコピーには、青木康(やすし)『のさん山の奇跡』、発行所有限会社青木文画店、平成8年(1996)1月1日とあります。12頁ですので、図書館のものと同じと考えられます。あらすじはおおよそ次のようです。

日向国に「のさん山」という岩山がいたるところにあり、草木一本生えていませんでした。奇妙なことにいっぽんだけ奇妙な気がそそり立っており、それを「よだき(木)」と呼んで恐れていました。その山守の赤天狗の歌が聞こえてきました。ある日、一人の男がこの山にやってきます。この男は、並外れた力持ちで「やる気」という心をしっかりと持っている根性の据わった辛抱強い人間で、赤天狗と飲まず食わずで百昼夜も続きました。男は弱った赤天狗の鼻を「やる木(気)」という棒で打ち付け、赤天狗は動かなくなりました。そのうえ「よだ木」を抜いてしまいました。

ストーリーは「の山」に似ていますが、出てくる方言が少し違います。
のさん(山)
ひんだれた(田)
いっちゃが(蛾)
たまろか(蚊)
よだき(木)
登場人物は赤天狗
やるき(木)という棒
「男が[辛抱]を重ね、「よだき(木)」を撥ねのけた「やる気」という[心棒]はやがて日向の国の[神棒]となりました。」という結末です。年代からするとこの作品を元にして、横山先生が方言を増やし、ストーリーを短くまとめた印象です。

この著書の巻頭には、宮崎県立図書館佐野芳弘が「推薦のことば」を寄せています。

作者は昭和62年から3年間、県立南部高等技術専門校の校長として勤務していました。その間、彼が常に気にかけていたことは、生徒達の日常の訓育は勿論、技能者として育成してくれる優れた経営者の元へ生徒達を送り出すこと、ではなかったかと思います。(中略)
「庭なんぞいりもっさん、おまさの心に一本の”やる気”を植えたもんせ」(庭などはいりません、あなたのこ心に一本の”やる気”を植えてご覧なさい)
 この事業主は、砂利道の砂塵が舞うなか、頬を伝う感涙を止めることができなかったと述懐したそうです。
 ある時、彼と私は酒を酌み交わしながら、続に語られている”よだき”の民話を話し合ううちに物語はみるみる膨らんでいき、いわゆる「青木流」”のさん山の奇跡”の粗筋ができたのであります。
 ”やる気”の根性を何とかして生徒達の心に根付かせたいという彼の一念が、大人が読んでも愉快な創作民話”のさん山の奇跡”を完結させたと思うのです。 

最後に、「新ひむか(日向)づくり運動『何でも挑戦、みんなが参加』のこれはもう立派な副読本といえるでしょう。」とあり、この『のさん山の奇跡』の創作の目的ははっきりしています。

平成8年という時代は、宮崎県においてどのような状況だったのでしょうか?バブルがはじけた後とはいえ、経済中心の世の中でした。宮崎県人の県民性は時代にそぐわないと考えられ、宮崎県民のマイナスな県民を表す方言を否定される時代でした。

もともと宮崎の人々は、その県民性を肯定的に考えていましたが、教育委員会にとっては、教育上マイナスと判断されていたことを意味する創作民話です。

しかしながら、時代が変わって、物事の見方が大きく変わる時代になりました。昨年から宮崎に移住する人が増えているようで、私もその一人です。心をすり減らしてまで、仕事をするよりも、てげてげで、たまに「よだきい」といいながらもやりがいのある仕事を続けられる方が幸せということに気づき始めたのだと思います。

これから宮崎県人の県民性を前向きに考えていきたいと思います。

宮崎県の方言についての参考文献は、宮崎民俗学会のホームページに紹介しておきました。
https://mz1.mzfolklore.net/%e6%96%b9%e8%a8%80/


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