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楢木範行年譜3 学会雑誌関連 昭和4年~昭和13年 

楢木範行年譜2については下記を参照

昭和4年の投稿は、昭和3年に引き続き新聞への投稿である。『宮崎新聞』に続き、『鹿児島新聞』にいくつかの記事が掲載されている。この時期の記事は一部しか楢木家に遺されていないためにすべては把握できていないが、以下にその記事を紹介する。
昭和4年1月28日付「蛇と民俗(続)」
昭和4年7月1日付「田植と民俗ー五月処女を中心にー(三)」
昭和4年7月?日付「田植と民俗ー五月処女を中心にー(上)」
この時期の記事は、鹿児島県の事例紹介だけではなく、全国的な視野での事例分析を試みている。

全国的な民俗学関連の専門雑誌への投稿は『民俗芸術』からである。
『民俗芸術』は、昭和2年に小寺融吉が柳田国男・折口信夫・永田衡吉などと発足した民俗芸術の会により、昭和3年に地平社書房から創刊された雑誌である(註1)。創刊の翌年から執筆に参加していることから柳田や折口との交流からと考えられる。

(註1)鈴木正崇「「民俗藝術」の発見―小寺融吉の学問とその意義―」『明治聖徳記念学会紀要』〔復刊第 52 号〕平成 27 年 11 月

昭和4年5月3日『民俗芸術』には、「鹿児島神宮の馬祭り」と題して、鹿児島神宮の初午祭についての調査を報告している。短い報告ながら過去の数年間の鈴懸馬の参拝馬匹数を記録するなど過去のデータも記録している。枠内のコメントを誰が書いているかが不明であるが、小寺融吉や折口信夫の可能性があろう。

昭和4年6月1日『民俗芸術』には、「田ノ神掠奪その他」と題して、同年3月28日に宮崎県西諸県郡真幸野の調査報告を記した記事が記載されている。
内容としては「はらめ打ち」「西川北菅原神社の神楽」「菅原神社の牛越」「田ノ神掠奪」について書かれており、末尾に(1929.3.28)のメモがあり、昭和4年三月28日に脱稿したことが解る。

昭和4年10月『民俗芸術 2-10』の「古琴節・ションガ節・其の他」には、鹿児島県指宿郡頴娃村字脇浦の古琴節、及びションガ節の歌詞を紹介し、さらに福岡県京都郡黒田村の民謡や同郡白川村大字等覚寺での採集した「田打歌」「田植歌」を紹介している。鹿児島県、宮崎県にとどまらず、九州全体を見渡して調査を行っていたことが分かる。ちなみに母がこの年の七月頃に亡くなったことに触れている。

踊そのものを見て居れば、或見当が付くのであらうが、自分はまだ見てゐない。去る七月一日に国幣小社枚聞神社の御田植神事に奉納するから来いとの招待を受けてゐたのを、突然母の死に逢つて其の機会を逸して仕舞つた。

『民俗芸術』への投稿は、この3編であり、この後、『旅と伝説』や『民俗学』への投稿が増えてくる。

『旅と伝説』は、昭和3年1月に、鹿児島県奄美出身の萩原正徳によって創刊された雑誌である。

「柳田が「木思石語」の連載を始めるのは昭和三年八月号からで、それに寄り添うように中山太郎、早川孝太郎、折口信夫などの寄稿もなされていく」という。

楢木範行の投稿は以下の通りで、昭和11年、楢木が亡くなる前の年まで長い期間寄稿している。
昭和4年7月「丸岡生成伝記」
昭和5年3月「採訪録断片」
昭和6年3月「鹿児島の伝説処々」
昭和8年1月「宮崎県真幸村」
昭和8年7月「宮崎県真幸村」「鹿児島県宮之城町」「鹿児島県肝属郡高山地方」
昭和8年8月「椎葉紀行」
昭和9年7月「宮崎県真幸村島内」「鹿児島県宮之城町時吉」「鹿児島県高山町」
昭和11年5月「坊ノ津の鰹漁について」
昭和11年7月「老父は語る」

楢木が投稿したもう一つの雑誌は『民俗学』である。『民俗学』は、昭和4年7月の折口信夫等による民俗学会が発行した雑誌で、昭和8年12月の第5巻第12号で休刊している。

投稿記事は昭和4年から昭和8年まで続いている。
昭和4年10月「かまきりととんぼ」『民俗学 1-4』
昭和5年5月「薩摩の俗信」『民俗学 2-5』
昭和5年9月「特殊な薩摩語」『民俗学 2-9』
昭和6年3月「特殊な薩摩語(第二回)」『民俗学 3-3』
昭和7年6月「馬方節」『民俗学 5-7』
昭和8年7月「日向真幸村方言」『民俗学 5-7』

楢木は年に一度程度短めの記事を寄せているが、この雑誌には柳田国男は関わって居らず、折口信夫の関係からの執筆依頼であったのではないだろうか。

楢木範行は、昭和10年7月に柳田国男還暦記念講演会に参会している。その際の様子は、新聞記事に詳細が記載されている。

民間伝承の会は、民俗学研究者による初の全国規模の学会組織。昭和10年8月6日、日本民俗学講習会の最終日の茶話会で、会の設立と機関誌の発行が決まり、9月18日には機関誌『民間伝承』第一号が発行された。(『日本民俗大辞典』)
楢木範行が投稿するのは、第1巻第2号からである。
「会員通信ー闇夜のいはれ」『民間伝承1-2』昭和10月10月
「会員通信(大漁の囃詞ー鹿児島県坊ノ津)」『民間伝承1-8』昭和11月4月
「山神とヲコゼー肝属郡内之浦町大浦」『民間伝承2-2』昭和11月10月
「郷中バナシーニセザッショ」『民間伝承2-11』昭和12年7月
「ヤマト詞」『民間伝承2-12』昭和12年8月
「オヒカケドイ他」『民間伝承3-6』昭和13年2月
「ムラウツイ」『民間伝承3-6』昭和13年2月
現在、原本を確認していないため、次回の鹿児島調査で入手予定。

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