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楢木範行年譜22 鹿児島民俗研究会の活動について

楢木範行の資料を整理しているが、鹿児島民俗研究会の刊行物について、意外に図書館に所蔵されていないようである。

現在、私の手元にあるのは成城大学の柳田文庫で複写した『はやと』と『はやひと』である。
昭和12年4月15日『はやと』第1号、鹿児島民俗研究会
昭和12年6月15日『はやと』第2号、鹿児島民俗研究会
昭和12年8月20日『はやと』第3号、鹿児島民俗研究会
昭和12年10月20日『はやと』第4号、鹿児島民俗研究会
昭和13年2月20日『はやと』第6号、鹿児島民俗研究会
昭和13年4月20日『はやひと』第2巻第1号、鹿児島民俗研究会
楢木範行の調査のために複写したもので、『はやひと』については該当部分しか手元にない。『はやと』第5号は、柳田が入手した段階で欠号していたようである。

第6巻には、次ぎのようにあることから第5巻は刊行されている。

第五号では多少広告料も這入つたし、そんなわけで前記の収入残額が出たわけです。

『はやと』の創刊号である第1号は、昭和12年4月15日発行で、巻頭に柳田国男による「鹿児島県と民俗研究」という文章が寄せられている。

 鹿児島県は日本に於ける民俗研究の為に、極めて重要な地域であって、我々は深い興味と関心とを抱いてゐる。明治以前此地方が外部との交通に乏しく、外来者が少く、また最も封建的であつて、日本文化内に極めて独自性の強い一文化文化圏を形成してゐた。此所とかなり似た状況にあつたのは土佐であるが、薩隅は中央部を去る事遠く、警戒的には更に強く、然も領主は古く且つ統一結合力に優つて居り、文化の独立性が甚だしかつたのである。
 封建時代に於ては、一般に城下町と其周囲の村落とが相互依存して生活の一単位であり、今日の都会と周囲農村との関係よりも遙かに独立性の強い社会を作つてゐた。そしてその典型ともいふべきものを、鹿児島と薩藩領内との関係に見ることが出来る。領内全土は政治上は勿論文化上にも此一点に従属して居た。鶴岡と其周囲の村々との関係も、かなりこれに似た条件にあつたが、それでも三山登山者は此城下を経ずして往来する場合が多かつた。
 かくの如く独立性封鎖性の為に、辺鄙の土地でありながら、此領内には農以外の各種の生業が早くから発達し、各種の小規模の工芸があり、それが領内の需要を満たすために、独立の交易を生んで、その間いろいろ(記号)の民間伝承を今に残して居る。そして其等の生産物が多く薩摩から大隅に向つて動いて居り、人々の移動も亦此方向に流れて居たことも見逃してはならない。
 我々は薩隅を一単位として民俗研究をする可能と必要を認めるものである。此地は謂はゞ日本の一縮図であり、日本民俗学の一つの実験台である。全日本を一単位とした民間伝承の綜合が次第に進み、その体系が樹立されつゝある今日、此方法を此一地域に適用してまた一つの体系に纏めあげる可能性が充分にあると言へやう。またかゝる努力と協働とは、一方日本民俗学を成長せしむる為に大きな役割を果たすことになる。薩隅の同志者達は極めて恵まれた地位を占め、且つ其使命は重大であると言はなければならない。
 なほ此地に関する古き文書は相当残されてゐる。然し例へば「薩藩旧伝集」や「倭文麻環」等にしても、主人公は士族であつて、常民の生活を語ることが乏しい。他国人の手になる「薩摩風土記」「西遊記」「西遊雑記」「笈埃随筆」等にしても、夫々の著の接触したる人間が文字を知る人間が多かつた為に、常民の生活を反映するころが乏しい。今日旧来の民間伝承の多くが急速に消え失せつゝある時、鹿児島県の民俗研究の一日も早く進捗することを望むのは、独り我々のみではない。
 有形文化の一つたる民具の蒐集も一手段として考へられるが、眼に見えぬ、形を後に残さぬ無形の文化の観察、採集、記述の重要性は一層大切である。此地に残る多くの不文の記録が、今日を逸しては、外より行く調査者には勿論、郷土の研究者達にも久遠に知る由の無くなる時が近いのである。

編集代表は、野間吉夫で、編輯雑記には次のようにある。

三月初号を出すことになつてゐたこの会報が、私の沖永良部島採のために、きょうまでのびのび(記号)になつてしまつた。又帰つて来ると、県の方へ調査復命書を提出したり、さては沖エ島■民具展会の準備やらで、それではくつても、私の身辺には今度大きな変動があつて、過ぐる二週間はまことにめぐるましひひとゝきであつた。といふわけで、貴重な玉稿を投恵下すつた諸先輩に対しては冷汗を禁ずることが出来ない。殊に柳田先生に対しては申訳ないと思つてゐる然しそれは次号で、名誉快復をさしていたくつもり。最後に今回使用したカツトに就て、前者は昨年末同志楢木氏と共同採集折喜入村瀬々串のむらの辻々で見かけたポツト(棒)で、後のものは会員築地氏の報告に見えてゐる木牛。共に私の採集手帳から。(野間生)

発行は、地元の書店、金海堂である。

<小規>
一 会名 鹿児島民俗研究会
二 組織的採集及び研究の為に会員相互の連絡を図ること
三 会報「はやと」当分の間隔月に発行 会員には無料配布すること
四 本会会員の推薦による者
五 会費 (イ)普通会員拾五銭
     (ロ)維持会員五拾銭
六 会合 毎月一回例会を開く
七 最初の世話人 左の通り 
  永井龍一(市)楢木範行(市)野間吉夫(市)築地謙吉(鹿吉田村本名)西郷晋二(薩上東郷村山田)

 この第六号が第一巻の最終号で次号から第二巻となることが「編輯雑記」に記されている。

之を以て第一巻の終刊とし、次号第二巻第一号より、前に述べたやうに筆硯を新たにして、諸兄に見えるつもりである。

不明分の号について、武田旦編『民俗学関係雑誌文献総覧』(国書刊行会、昭和53年)に目次が掲載されていたので、第2巻第3号まで刊行されていたことが判明した。

今後、楢木範行関係資料として、『はやと』『はやひと』について詳細を紹介していくこととする。

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