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日野巌「気分転換と趣味」

これまで日野巌の年譜を作成するために資料を収集してきた。

新たに広島県で刊行された熊平源蔵編『抜萃のつゞり その25』(熊平製作所, 1965)に日野巌が寄稿していることが分かった。

取り寄せて目を通してみると大変貴重な寄稿であった。日野にとって妖怪研究は気分転換であったとのこと。他分野を研究することの効果やそれを実現している著名人を紹介している。その中には澤田四郎作の名前も登場する。

 高校時代は、いまも昔も同じょうに、精神的に最も緊張しており、みずから意識して頭脳を酷使(?)しやすい時期である。進学する人たちにとっても、また、実社会に進出する人たちにとっても、この時期はゆるがせにできない大切な時期である。
 あまりに将来ということを意識しすぎると、頭脳を極端に酷使しすぎて、そのためにからだをこわし、脳神経をいためて、かえって社会の敗者にもなってしまう。こんな悲しい事例を私もいくつか知っている。
 どんなりっばな機械でも、年中無休のフル運転をしていては、こわれてしまう 。テレビでも十時間ぐらいが限度で、そこで一時間ぐらい休ませないと、機械がもたないということである。精巧無比の人間のからだでも、同様であって、睡眠時間を切りつめて、机にかじりついていても、能率はあがらない。ときにはからだをこわしてしまうことにもなる。
 一定時間、一生懸命に勉強したら、そこでちょっと休養が必要になってくる。からだのためには、軽い体操がよいであろう。頭脳のためには、気分転換がよいであろう。
 気分転換といっても、なにもバカ遊びをせよというわけではない。いままでやっていたことと、全く違ったことなら、よいのである。だから、学問的のことでもよいのであって、数学に悩んでいた頭脳を気分転換するために、ファープルの昆虫記を読んでもよいし、また、ワーズワ ースの詩集を読んでもよいのである。
 私の古い友人たちのうちには、この気分転換法のおかげ(?)で専門外の専門家になった人がたくさんある。また、専門家とはいえないけれども、趣味家になった人が相当たくさんいる。
 私は高校時代を、岡山の旧制六高で送ったが、このような人たちをたくさん知っている。銀行家の岡野直七郎さんは著名な歌人であるし、小児科医の沢田四郎作博士は民俗学者としても名高くなっている。武田製薬の桑田智博士は哲学に、大蔵大臣になった栗栖赳夫博士は歴史に興味をもっていた。京大教授の動物学者宮地伝三郎博士は高校時代にはむしろ植物学に興味をもっていた。
 自分のことを申しては気がひけるが、私は高校時代には動物よう(妖)怪に興味をもっており、気分転換にその文献を読み、メモをとっていたが、それが高校三年間にいつしかまとまり、一冊の本になった。私の処女作「動物妖怪譚(ようかいたん)」がそれであり、これが高校生時代の著作ということになった。私にとっては専門外の著作であったのである。
 気分転換の読書を初めから意図して、無理押しすることは、もとより邪道である。しかし、それが一生がいを通じての趣味となることもあり、終生通じての気分転換の動力源になることもあり、この意味からはよいことと思う。けれども、気分転換の読書が、勉学の重荷となるような人にはすすめがたいことである 。
 専門外に趣味をもつことは、たしかによいことである。どれだけ慰められ、どれだけ励まされるかわからない。それが、高校時代の気分転換の読書から生まれるとするなら、はなはだ結楷なことである。
 法制局長官であった佐藤達夫さんは、植物愛好家であるし、英文学者の市川三喜先生はこん虫学には詳しく、歌人の土屋文明先生は植物には非常に詳しいお方である。東大教授の植物学者倉田悟君は方言にかんする著書もある。これらの方々の趣味は、古く高校時代につちかわれたもののようである 。
 高校時代における気分転換のための読害を、将来の進路につながるものとして、あまりに堅く考えてはいけない。あくまで、頭脳休養のための気分転換と考えておくべきである。もし、それが将来を通じて、その人の趣味となるなら、予想しなかったもうけものと考えてよいのである。こういう軽い気持ちで気分転換の読書をするなら、いよいよ気分転換の役にもたち、楽しいものとなるように思うのである 。
 勉強に疲れた頭脳を、趣味の読書で気分転換することは大切なことであり、また、楽しいことであるから、高校生諸君に、ぜひおすすめしたいと思う。(宇部短大教授・宇部ロータリー会員・中国新聞)

日野が67歳、宇部短大教授時代に学生に寄せた文章であるが、現在で言えばいわば在野のすすめみたいなものであろう。

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