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泉毅一郎『延岡雑談』について

『延岡春秋』の資料を整理した流れで、泉毅一郎『延岡雑談』についても触れておく。

延岡市立図書館には、昭和6年(1931)に延岡新聞社から刊行されたものと、 昭和42年(1967)に白鳥社から刊行されたものがあるが、手元にあるのは、以前、成城大学の柳田文庫で文献調査した際に複写した初版である。

国会図書館でも閲覧できないようなので、下記にアップロードしておく。

この『延岡雑談』は、柳田国男により妖怪の事例として引用されていたことから興味を持ったが、怪異・妖怪伝承データベースで「延岡雑談」を検索すると2件出てくる。

『民間伝承』4巻6号によると大正10年とあるが、おそらく昭和6年の間違いであろう。2件とも「おさび」についてのみの事例報告であるが、『延岡雑談』には多くの怪異譚が記されており、民俗学的に重要な文献である。

「前書」には、次ぎのようにある。

▽故郷を出でて二十五年、思出は益々深きを加へて居ります。
▽古き記憶をたどり幾分新しき調査を加へて聞いたまゝ、見たまゝを書き綴りました。
▽今迄に書載してあるとは成る可く書かぬことに致しました。
                      甲種船長  泉毅一郎敬白

<目次>

前書
竹谷神社の逆竹
山里のうば
祝子村の蛇淵
若宮八幡神社
妙の地名と土持氏の子孫
延岡と真田幸村
佐久間新平
若先生のためし斬り
小野萬衛門欄干の外渡り
孫兵衛橋孫兵衛水道
八幡神社の石段
次男坊の発明家
神谷豪傑河童の夜襲に会ふ
愛吉少年河童を釣る
三ツ瀬の池、藪下の池
「をさ」火の奇怪
白井市兵衛
ドモ喰いの下男
ひよすぼ勘
延岡の大火
粟取り医者と黒がね岩
三好軍平と停学処分
鈴吉少年正成公の古智を学ぶ
出北の用水
澤村神社と澤村家
ドンク石
春日神社の龍切り
綱切神楽を見る
学校騒動
臼太鼓と長崎屋
鈴木先生と其生徒
長野義虎とヒリツピン事件
サンヤエ、ヨイトコセ
城山の鐘
内田先生と鈴木孫八
石上一介
元吉先生
金剛院貞裕

<申訳>

拙文随筆は漸く書き終わりました。拙文でありますが、私としては努力しました、航海中の片手間に書きましたので、書き始めから今日まで十ヶ月になります。船は波に従つてゆれる、機械の雑音は騒がしい、その船室で書いたものであります。それから文学は私の最も不得手の学課であつた事は、私の少年青年時代を知つて居らるゝ諸賢が御承知の通りでありまして、数学と理科の方は幾分好きな学課でありました。そうして只今の私の専門は天体や地物を測量して複雑な計算の後に、海上に於ける船の位置として経度緯度を求めることや、物理学応用の船の運転の仕事であります。
遁げ口上申訳右之通相違無之候也
と書いて終りと致します。

<奥付>

昭和6年9月12日発行
(非売品)
兵庫県明石郡林崎村船上(略)
 著者 泉毅一郎
宮崎県延岡町大字岡富(略)
 印刷者 佐藤和七郎
同県同町大字舟倉町(略)
 発行者 延岡新聞社

今後、この泉毅一郎について調べるとともに、文字起こしを行いたいと思います。

<追記>
『特別展 今昔、日本の妖怪 ~百鬼夜行からゲゲゲまで~』(宮崎県総合博物館、平成27年)には、『延岡雑談』は延岡新聞の連載をまとめたものと紹介されている。ちなみに宮崎県立図書館には所蔵は無い。


泉毅一郎は、高校時代に若山牧水と同級生で、上京後も交流があったことがご遺族のコメントから分かった。その後、宮崎県立図書館に問い合わせたところ『若山牧水全集 第13巻』(増進会出版社、平成5年)に昭和3年の日記に若山牧水から泉毅一郎に宛てた書簡が紹介されているとご教示いただいた。

四六
8月13日、沼津市道町より、兵庫県、泉毅一郎様(手紙)
きいちゃん、おもいがけなく御著書お送り下され、非常に嬉しくありました、久しぶりにお逢ひした様におもひました、相変らずの様にて、おなつかしくおもひます、小生も三つ瀬時代とたいして変らぬ気持で先づ愉快に暮らしてをゐます、たゞ、昨年あたりよりアルコール中毒の奴が表面に出て来て、行動甚だ不自由でありますが、今でも毎日一升づゝは飲んでをります、ところで一つおねがひがある、君の船に一度小生を乗せてくれませんか、船の都合のいゝ時でいゝのです、小生は浪人もの故、いつでもいゝのです、君の船に乗つて北の海を走るのをおもふと今から愉快です、(以下略、筆者が旧漢字を新漢字に変えた)

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