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赤間安吉「弾丸除け」

二七 弾丸除け
読者が凝った肩の按摩とは少し大袈裟だが、一つ俗話を挟んで置く。
戦場には内地の兵営に在る堅気の人士の想像のつかない、否憤慨して風紀問題でも持出し相な人情話がある。それは極めて無邪気に公開的に行はれ、些の秘密も罪科もない所に味があり、陣中の無聊を慰め懐郷病(ほうむしつく)を医する為の一手段に過ぎない。戦場必ずしも軍神に成つて進撃攻略を事とする時許りではない。只の人間に立ち戻つて空想に耽り徒然を偲ぶtきが、寧ろ却つ大部を占めて居る。其人間時代の凡俗な譚である。其話題や材料にも秀逸なのが沢山あることゝ信ずるが、寡聞なる分隊長は先づ第一に弾丸除けを挙げておく。次に慰問袋、郷里からの手紙・意中の人の写直・美人絵葉書など其順序と仮定しておいて、本問題の弾丸除けの話を後廻しにして慰問袋から片付けて行かう。
慰問袋と一と口に言ふがそれにも段々次第がある。先づ第一番に人気を牽くのは其寄贈の主の何々子だ、年齢(よはひ)当(まさ)に八十でも構はぬ、芳紀当に十八の花恥かしき君と陰判断して無性に嬉しがつて受取ものだ。それは当方の勝手で、他の容喙(ようかい)を許さない。自己決定で満足が出来ればそれでよいのだ。内容品には情を罩(こ)めた優しい手紙異性の余香あるハンカチや鏡や身垢の付いた手工品・絵画・写真など大歓迎で、要するに其情味を想像さるゝものがよいのだ。
次には郷里からの手紙。其れの通り一遍のものではく、何等かの情趣に絡んで居るものゝ意味だ。又慰問袋が縁の緒となつて、手紙の往復となり互に理解し合つて大に情意投合し目出度凱旋後には楽しい日を迎へたと云ふ因縁談の例もあるとのことだ。
 写真に絵葉書などは其人の見様により、趣味に依りて区々の情趣が湧く訳である。
 嗜好品としての酒・煙草・甘味品に慰安を求むるもあれば、同性を愛し動物を好み植物を玩(もてあそ)び、高尚な趣味になつては音楽や文芸其他に進むものもあるが、何と云ふても、青春燃ゆる元気溌剌たる壮者の集団丈けに情の遺り傷■(つちへん)は、濃艶なる笑嬌麗なる肉の間にあることは肯定せねがならぬ。
そこで本問題の弾除けである、それはいつたい何んだ。其正体は何か。斯う畳みかけて単刀直入的に詰問されるゝと一寸答に窮するサアそれは何と答へて宜いか。分隊長か苦しむ所だ。兵語にはないのだ、否ある一名陣中要務令で通ふで居るのだ。連隊本部の通訳に是が非常に凡能な人があつた。一日書記を訪問した際拝見した。鎧武者も居れば狩衣の公郷も居り前立勲章厳めしい正装の軍人まで、筆鮮(あざやか)に彩色花やかな春の絵衣、何故それが弾除けになる?それは神秘的で答への限りでない。では戦死者は誰れも所持しなかつたか生還者は皆持つてだかそれは軍事機密だ。弾丸除けには今一種ある。それは千結びと称するもので、何んでも構はぬから三四尺の布片に木綿糸の結目を千個千人の婦人に作つて貰ふのだ。それを腹巻などにして肌身に着けて置けば弾丸を除ると云ふのだ。分隊長の実姉が之を聞いていたく感心した。迷信と御笑ひでないよ先方は命懸なんだから。毎日人通の多い路傍に出張つて通行の婦人と見れば腰を屈め頭を下げて「一ツ御願で御座います出征軍人の為めの千結で御座いますから御手数でも一つ結んで頂きたいのですが・・・」「アヽ承知しました出征軍人さんの御為ならどんなことでも厭ひはしません。どうぞせめてもの御国の御役に立つこと是非一つ結ばして下さい。今彼方の辻でも結んで参りましたよ」彼女は武運長国家安泰と腹の中で祈りを捧げつゝ誠心籠めて一つ結んで通る。「もしあなたに千結でございますかどうぞ妾(わたし)にも一つ結ばして頂き度い」次の通行人は斯う向ふから進んで来る。「もし御母様其千結びは誰様のためでございます?」「はい○○ので御座います。」「それではすみませんが二三日妾に貸して頂きませんか彼の方のためなら出来る丈のおつとめせんでは妾はすみませんの・・・後生ですから妾の真実を尽さして下さいませ・・・」涙ぐましい親切に「それでは御言葉に甘いまして」と渡してやる。斯うして異性か同情の結晶である千結びは追送品として戦地に着く。母の御情の御守袋と共に・・・是では弾丸も除けませう。分隊長の今日あるは其御情の賜であつて千人の婦人の身代りからであると御恩を着ておきたい。実に戦場に立たなくも国を思ふ心に二つはないのである。
(赤間安吉『戦線に立つて』大正十三年)
著者の赤間は山形市在住であった。


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