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※『みやざき民俗』に掲載した草稿をアップします。 はじめに 宮崎県の観光を語る際には必…
本稿は、青山幹雄『宮崎の田の神像(みやざき21世紀文庫)』(1997、鉱脈社)再刊の際、…
『みやざき民俗』61号草稿 明治四十一年六月に柳田国男が椎葉村を訪れてから平成二十年で百年…
以下は、『宮崎県史 別編』草稿である。引用の際には原文を確認下さい。写真・表などは後に挿…
渡辺一弘 #鴨 、#越え、#投げ網、#突き網、#鷹狩り ※日本民具学会『民具研究』120号(1999年10…
戦前から戦後にかけて宮崎県の郷土出版文化に寄与した小倉栄嗣と文華堂について、下記の記事を…
宮崎県国富町の本庄剣柄稲荷神社は、代々宮永家が神主を務めており、この宮永家からは宮永真琴、宮永真弓らを輩出している。 真琴は、幕末の討幕運動に関わったが、維新後は、神社の神職を継ぎ、稲荷信仰の本拠としての名を高め、伝統行事の継承と充実に努めた。 真弓は、新聞記者から始まり、昭和37年に宮崎日日新聞社長となり、文筆家として活躍した。 この宮永家から出版された祈祷書などが刊行されていたことは知っていたが、20年以上前に確認した宮崎県立図書館所蔵の『新撰神道祈祷全書』『神傳秘法
30年ほど前に、宮崎県史編纂室に勤務していた頃、故山口保明先生から聞いたことをなかなか思い…
旧暦10月の初亥の日は、亥の子、あるいは亥の子行事が行われる日とされており、令和3年の初亥…
30年前に調査した宮崎市の折生迫、青島の愛宕神社、及び長友清市について記しておく。 この男…
ここでは地方史研究協議会編(2010)『南九州の地域形成と境界性―都城からの歴史像 (地方史研…
『日向郷土志資料』は、昭和6年1月に創刊され、柳田國男によって次のように紹介されている。 …
以前、宮崎市青島の愛宕神社を調べていた際に、湯ノ山の存在を知った。その際に断食堂があった…
以前、青島の愛宕神社について書いた際に湯の山との関係について触れた。 後ほど『郷土誌 青島』(昭和45年)に「湯の山温泉」(p67~70)の項目を見つけたので、その情報を整理しておく。 湯の山温泉 ・ここから湧き出る湯量は、日照りの時の方がかえって多くなるといわれている。 ・下流域では、通称「田辺」では、この水が洗濯に大変適しているとのことで、雨上がりの日などは洗濯する主婦たちでにぎわっていた。泉質が軟水のためと思われる。 この冷泉について『日向地誌』「折生迫村」に「