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流れでJamiroquaiを聴いている

 アルテイシアさんのコラムを愛読する膝パーッカショニスト、わとりです。
 でもずっと、一つだけ分からないことがあって、今日とうとう検索かけました。

 それは「グレッチ」です。

 結果、「丸の内サディスティック」という椎名林檎さんの曲に由来していることを知りました。残念ながらベンジーもあまりよく知らないままいい歳を迎えております。流れでBJCもyoutube中です。

 グレッチで殴るってどういう状況なのかは依然謎です。


 ところで最近自分についてあれこれ切り取ったり掘ったりしているときに、「人を見る目がない」ということに行き当たることがままあるのですが、思い至ると同時にそれに対して誰かが「そんな××を選んだ自分が悪いでしょ」と言ってくることにじわっと心のマグマが震えます。
 2度の結婚をしてどちらも叩き壊した私ですが「そんな男選んだ自分のせい」と言われたことはもちろんあります。

 でも待ってくださいよ。
 寝てる隙に勝手に嫁の裸を写真に撮ったり、熱を出して寝込んでるところに「夕飯どうする(つくらない)の?」って聞きにくるほうは責めないのおかしくないですか。
 なんで非人道的なあっちの人間性は否定されず、「選んだ側が悪い」になるんでしょうね。
 これを言う人間をそれこそグレッチで殴ってもいいのではと思うこの頃です。

 それとも、社会の中では夫は妻の裸を許可なく写真に撮ってもいいし、妻の体調より夫の身の回りの世話が優先されてしかるべき、という不文律があるんでしょうか。
 あったとしても全力で抵抗します。

 離婚に至ったのは信頼関係を蔑ろにした行動のせいだし、そこに費やしたわとりの時間を返して欲しいとさえ思う。
 実際のところ、離婚してくれさえすればとにかくいい、もう関わらないで欲しいと思って慰謝料などは請求していないのですが、あの時もっと心に余裕と自分を信じる強さがあったならと悔やんでおりますところ。


 それにしても、人を見る目ってどこで培われるものなんでしょうね。
 おそらくまずは「自分を知る」ところから始まるんじゃないかって思うんですが…少なくともわとりは、自分の家庭環境が自分が認識していた「家族」とはまったく違う姿をしていたことを理解してから少しは「相手をよく見る」ことをするようになりました。
 家族の間にあった関係をベースに、人と似たような関係を構築してしまうことを自覚したんです。
 人の顔色を窺って相手の望み通りに行動しようとする自分がだいぶ大きく育っていたので、その自分に水をやるのを止めて枯らしている最中です。
 同時に「どの部分を信じていいのか分からない」ので結局ほとんどの人と距離をあけている状態ですけど搾取されるよりはマシだと思うしかないですな。

 とはいえ現在勤めている会社も絶賛やりがい搾取カンパニーだったりするんですけれども。

 


 

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