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小説について、あるいは、物語の言葉たちについて

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小説について。小説という言葉たちが放つその美しさと残酷さ。物語をなぜ人間が求めてやまないのか? その理由。小説でしか辿り着くことのできない場所の光と音についての文章。
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#文学

『オッペンハイマー/OPPENHEIMER』は〈映画〉ではない。///、、あるいは、〈饗宴〉、…

2024/05/17/19:03 //2024の春の記憶//..否定と肯定の『オッペンハイマー/OPPENHEIMER』//その…

21世紀の言葉のルネサンス/Renaissance生の形式としての、色彩としての言葉 /.失われ…

/2024/02/11/18:17//生の断片を保存する魔術として、そこに、それが//招喚される、〈そこにあ…

燃焼する垂直の言葉/音楽。螺旋形の階梯を、生成する白い光の言葉、あるいは、四方田…

/2023/8/24/19:17/ /書かれてはいけないこと、書いてはいけないこと/燃焼する螺旋形の階梯と…

深呼吸のための余白に。//遠い向こう側の場所に辿り着く準備として。///8つの名前の人…

/2023/6/21/19:02/ /8つの名前/ジャン=リュック・ゴダール、蓮實重彦、アンリ・マティス、安…

恥辱、それ以外の何ものでもない。川上未映子「黄色い家/SISTERS IN YELLOW」音楽の失…

/巨大な洪水のような言葉たちに飲み込まれる前、今の時刻を外すことなく、今の時刻の瞬間の時…

千葉雅也「エレクトリック/〈電子感覚〉の氾濫する電気仕掛けの宇宙/ 非存在と存在が…

/革命前夜、その光景について/ /あるいは、現在の時間の中で哲学を行うこと、哲学者であること…

目をあけてごらん、離陸するから/Open Your Eyes, We're About to Take Off//大崎清夏Sayaka Osaki/2022の終わり/残酷に、そして、優しく、時間は流れる/12番目の月の光の中で書かれる風景

2022が終わろうとしている。最後の月、12番目の月が始まり、それもまた終わろうとしている。誰が何を行おうとも時間は過ぎ去って行く。誰もそれを押し止めることはできない。時は流れる。残酷に、そして、優しく。光のようなきらめく歓びの時間も背後の風景の中に溶けて行き小さな瞬きとなってしまう。肉と骨を断ち切られるかのような激しい痛みからはいまもなお血が滴り落ちている。だがそれもまた12の月の終わりには風景のひとつとして取り込まれてしまうのかもしれない。流れ出る血をそのままにして。飲み

「われら闇より天を見る(We Begin at the End)」/13歳/聖なる無法者にして守護者の…

涙よ、邪魔をするな、涙よ、止まれ、涙よ、わたしが小説を前に進めることをさまたげないでおく…

怪物に食べられてしまわないようにわたしは音楽/MUSICを抱いて眠る。/あいみょん 4th …

「瞳へ落ちるよレコード」Falling into your eyes Recordのための物語/わたしと怪物と音楽/M…

完璧な文章/「風の歌を聴け」村上春樹/あるいは、手作りの散文図鑑://引用の餛飩(ワ…

No.1:真ん中に一本の線が引かれたノートの右側と左側/ノートの上に昼と夜の時間が流れ、音楽/…

古川日出男「曼陀羅華X」自家製の雑草図鑑を盾として、あるいは、歌え!長編小説の形…

自家製の雑草図鑑を盾としてレインコート派の父子と犬が静かなる東京で、戦う/父と母と子の…

「春のこわいもの」幻視者・川上未映子〈迷路的なるもの〉の終末のヴィジョン

No.1: 川上未映子の短編小説集は、短編小説が集められたものという意味での短編小説集ではな…

「クララとお日さま」カズオ・イシグロ わたしたちは〈クララ〉を見つけ出し、救出し…

No1:それは悲しみではない。それは痛みだ。 それは悲しみではない。それは痛みだ。 カズオ…

村上春樹さんの言葉たちと、その小説、あるいは、記憶について

No1:非現実を内包する現実を描き出す村上春樹さんの小説、あるいは、フィクションではない、小説ではない小説 村上春樹さんの小説を、小説であるからという理由で、フィクションであると思ってはいけない。村上春樹さんのその小説という形式をしたフィクションの中には、幾つかの現実(事実)が組み込まれている。小説の題材として、テーマとして、そこに何かしらの現実(事実)が存在している、と言っているのではない。その小説の中には厳然として現実そのものが記述され存在している。 繰り返す、村上春