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物語の中の効果的な音楽

朝から寂しい曲を聴いてしまい、
意味もなく寂しい気持ちが移ってしまったので…

お裾分け(笑)

今朝うっかり聴いてしまったのは
ジョニ・ミッチェルの「ウッドストック」


「愛と平和と自由」ヒッピー全盛の1970年、ジョニ・ミッチェルが自身の参加できないWoodstockフェスに思いを馳せて作った曲だという。

この曲、そこは夢の楽園とでも言いたげな歌詞なのだが肝心の曲調はかなり寂しい。
そこへ行けない寂しさなのかもしれないが、ヒッピー文化の実態を後から学んだ世代からすると、何となくまやかしだった楽園の虚しさに繋がっているようにも思える。



この曲を聴くと思い出すドラマがある。

アメリカで製作された「Six Feet Under」という葬儀屋の家族の崩壊物語である。


2005年が最終回で今となってはレンタルで見るほかないのだが、「アメリカン・ビューティー」の脚本家であるアラン・ボールが制作総指揮ということで、日本ではCSで放送されたが当時それなりに話題にもなった。

そしてその主人公家族の母親ルースと、妹のサラがヒッピー世代という設定だった。

この妹はあまり本編に絡んでこないのだけれど、視聴者がルースを知るには重要なエピソードだったと思う。

若い頃からどっぷりとヒッピー文化に浸かり今も1人で気ままに生きる妹のサラと、家族のため生真面目に母親業に自分を費やした挙句、家族の愛が感じられず虚しさを覚える姉のルース。

第2シーズンの7話では、ふたりの姉妹の生き方を同じ曲を使ってうまく対比させている。


ルースにはクレアという年頃の娘がいるのだが、奔放なサラに憧れているクレアはルースの反対にも耳を貸さず週末を共に過ごそうとサラを訪ねる。
そしてその日はたまたま昔の仲間の芸術家たちとバカ騒ぎパーティの日だった。

楽しい一夜を過ごしたあとの気怠い朝。
クレアがキッチンに入るとサラが朝食の支度をしながら音楽を聴いている。
その時カセットデッキから流れてくるのがこのジョニ・ミッチェルの「ウッドストック」
当時の曲をかけるのは一番輝いていた時代の良い記憶に浸っているという演出だろう。

その後そのテープは楽しい時間の土産のようにクレアに渡され、クレアの帰宅後ギクシャクとした会話の後で1人になったルースがそれに目を止めカセットデッキにセットする。

かつては家族が集ったであろう居間に、裏寂しい「ウッドストック」が流れる。
そして消え入りそうな小さな声でルースが口ずさむ。

あぁ、そうか。
ルースもこの曲を知っていて、当時の若者文化に憧れだけかも知れないが、まったくの無縁では無かったのだな、と想像が広がる。

楽しかったり悲しかったり、何故か若い頃の思い出には音楽がつきまとう。
それも単なる記憶ではなく当時の感情そのものが再体験のようにフッと戻ってくるから不思議だ。

ルースとサラにとっての「ウッドストック」もそんな曲だったのかもしれない。
何十年か経っているのにまだ歌詞を覚えている。そんなことからも物語の中では語られないルースの若い頃の気持ちが想像できてしまう。

母親としてしか存在できない家庭の中で埋もれていた、ルースの本心。
サラの家とは対照的に、ここでは「ウッドストック」が羨望や虚しさの象徴として使われている。


実はこのドラマのこのシーンを観るまで、ジョニ・ミッチェルの名は知っていても「ウッドストック」は知らなかった。

それでも強く印象に残ったシーンだったので、ネットで調べてその後も繰り返し聴いた。

ドラマや映画の中で流れる音楽が印象に残るということは、その曲の使用が成功したということだ。

好き嫌いがあるドラマだと思うけれど、気が向いた方は是非観て欲しい。途中で観るのが辛くなったりもしたが、特に最終回が素晴らしいのだ。
最終回が素晴らしいドラマって意外と少ない。「Six Feet Under」もう一度時間をかけて見直したいドラマのひとつである。

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