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理想の老い方

まだ若くて好奇心に溢れていた頃、友達とパリやローマを旅行した。
フランス、イタリアと書かないのはどちらも一都市滞在型のフリーツアーで、基本的には拠点を移さずに都市の狭い範囲しか見ていないからだ。

ファッションやアートに興味津々の若者にとってはどちらも魅力的な都市だろう。実際にパックツアーではなかなか行けないようなところへも行ったし美術館巡りにも時間を割いた。それでもまだ見たい場所がたくさんあって何日滞在しても時間が足りないと思いながら帰国した。

そこで一番印象に残ったもの。

それはお年寄りと呼ばれる年代の颯爽とした姿であった。

パリでは若い女性が質素な装いをしているのに対して、年配の女性は上品な宝飾品と良い生地、良い仕立ての服をお洒落に着こなして都会に華やかさを添えていた。

ローマでバールに入ると、若いイケメンは店の奥で忙しそうに働き結構なお歳の男性がお客さんで賑わうフロアをお盆片手に悠然と闊歩していた。お店1番の花がお爺さんなのだ。
「エスプレッソはベリーベリーストロングだよ。大丈夫?」などと言いつつ私達外国人をもてなしてくれた。

日本ではどうだろう?と思った。

若い人ばかりが表へ出て年寄りは奥へ引っ込んではいないだろうか?
自分のことなんていつも後回しのお母さんがブランド品で飾りたてる若い人の波にのまれていないだろうか?

あれから20年以上が経ち私もいよいよ老いについて考えるようになった。日本は高齢化が進み以前なら隠居していた年齢でも働き手として当てにされ、そのせいか昔に比べると全体的に驚くほど若々しい。

それでも若い人に比べたら体型は崩れるし髪は薄くなるし肌の肌理も粗くなる。
仕方のないことだ。

だからこそ、
良いものを着たい。
本物のジュエリーを身につけて、
本当に美味しいものを食べて、

長く働いてきたんだから、
もっと自分のためにお金使おう。
芸術や文化に触れて過ごすのも良い。
無理をして若い人の音楽を聴く必要もないが、無理して演歌を聴く必要もない。

孫や子供に付き合ってばかりじゃ退屈だ。
歳の分だけ積み重ねた感性というものがあるのだから。

日中カラオケ行ってジジババ合コンみたいなのも良いのかも知れないが、生涯現役とは言ってもそこは生臭い現役じゃなくて。

美しいものを美しいと感じたり、
儚く健気なものに心を寄せたり、
可愛いさやカッコ良さに痺れつつ、
古い物も新しい物も柔軟に受け止めて、
最近の若者はーとか、
もう年だからーとか言わず、
心の新鮮さを無くさないでいたい。

堂々と歳を重ねて、
そういう年寄りに私はなりたい。