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『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え 』 ジェスミン ウォード (著), 石川 由美子 (訳) 人種差別の色濃く残るアメリカ南部で生きる家族の物語だが、差別自体だけでなく、「ケア=世話をすること」ということと、愛することと、その愛する存在の生と死を、緻密に多角的に描いた傑作。

『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え 』 2020/3/25
Jesmyn Ward (原著), ジェスミン ウォード (著), 石川 由美子 (翻訳)

Amazon内容紹介

「全米図書賞受賞作!
アメリカ南部で困難を生き抜く家族の絆の物語であり、臓腑に響く力強いロードノヴェルでありながら、生者ならぬものが跳梁するマジックリアリズム的手法がちりばめられた、壮大で美しく澄みわたる叙事詩。現代アメリカ文学を代表する、傑作長篇小説。
「胸が締めつけられる。ジェスミン・ウォードの最新作は、いまなお葬り去ることのできないアメリカの悪夢の心臓部を深くえぐる」――マーガレット・アトウッド
「トニ・モリスンの『ビラヴド』を想起させる痛烈でタイムリーな小説。しかもこの作品自体がすでにアメリカ文学のクラシックの域に達している」――「ニューヨーク・タイムズ」書評家が選ぶトップ・ブックス2017
「まさしくフォークナーの領域だ。ウォードの最新作は現実世界の複雑な状況を背負った人びとにより肉づけされ、ぞっとするほど魅力的に仕上がっている」――「タイムズ」

ここから僕の感想

 前作『骨を引き上げろ』に続いて、読んだ。ちょっと、言葉を失うような傑作。上に紹介したAmazon内容紹介やそこでの書評の通りでした。

 前作の感想noteで

「最近だと「黒人」と言っちゃだめで、アフリカ系アメリカ人とか書かなきゃいけないのかとか、いろいろ考えてしまうが、ここでは黒人と書いておく。なぜかというとそれは、主人公の暮らすコミュニティが白人と分け隔てられていることはどうしたって「肌の色」が大きな要素で、「肌の色」ということについても、話者である主人公少女エシュは、父、母、兄二人、弟、兄の仲間友人たちそれぞれの肌の色についても、その微妙な色合いについて、細かに繊細に描写する。」

と僕は書いたのだが、今作でその理由がはっきりする。

 もともと黒人奴隷制から黒人差別が合法的にあったころの南部諸州の法律では、黒人の血が1%でも入っている人は、全員、黒人として扱われるという法律があった。前に読んだ『地図になかった世界』エドワード P ジョーンズ (著)というのは、黒人奴隷制の終わる南北戦争の直前の、南部だけれど北部との境目あたりでの、自由になった黒人が農園主になって黒人奴隷を持つ、という「黒人と白人の間にも、一筋縄ではいかないいろいろな立場の人がいた」、という小説なのだが、その中に「外見は白人にしか見えない、けれど黒人の血が入っているので黒人」というご婦人が出てきたなあ、と思いだす。農園主の白人が黒人奴隷を愛人にして、すごく大切にする、というそういう人も出てきたな。もちろん暴力的に、所有物のように黒人奴隷女性を性的に扱った白人農園主などもたくさんいたわけで、アメリかでは、「黒人」として扱われる人のうちのかなりに、系譜をたどるとどこかで白人がいるのである。

 この小説の主人公家族、何人かの話者が入れ替わりながら話は進むのだが、13歳の少年ジョジョから見た関係で人種を説明していく。母方の父祖、リヴァーはほぼネイティブアメリカン。黒人の血も入っているのかもしれないが、肌の色は「赤い」と表現され、自然の様々な物や動物を神として捉える文化的背景もネイティブアメリカンのようである。顔立ちや立つ姿の描写も、誇り高いネイティブアメリカンの末裔、という雰囲気が漂っている。その妻、ジョジョの祖母はアフリカ系。ブードゥー的な巫女的資質を受け継いでいる。この二人の娘、レオニが、ジョジョの母。黒人とネイティブアメリカンの混血ということである。レオニには兄ギヴンがいた。高校のアメフトのスター選手だったのだが、白人に撃ち殺された。その撃ち殺した白人のいとこ、マイケルというのが、レオニの夫、ジョジョの父である。純粋な白人。マイケルの父、ジョジョの父方祖父のビッグ・ジョセフは白人で元・保安官。ひどい人種差別主義者だ。妻、ジョジョの祖母マギーも白人。つまりマイケルは100%白人。白人のマイケルと、黒人とネイティブアメリカンが濃い黒人の混血の母レオニの間に生まれたのが、主人公のジョジョ。彼は自分の肌の色を「中間色」という。肌の色は中間色だが、全体にネイティブアメリカンの祖父の遺伝が強く出ているように描写される。ジョジョには妹、ケイラがいる。父マイケルと母レオニの子供、それはジョジョと一緒なのだが、目の色は緑、髪の色はブロンド、白人の父の遺伝が濃く出ている。しかし肌は茶色い。

 前作の主人公の性的な相手で、片思いをするが相手は性的な関係だけだと思っているマーニーというのがいた。黒人コミュニティ、兄たち黒人のバスケ仲間だから黒人だろうと思いつつ、肌の色が描写されるとき「黄金」「金色」などと表現されていた。これは、何らかの心理的に恋をしているからそういう風に描写されているのか、それとも本当に黒よりも光り輝く薄い茶色なのか、よく分からずに読んでいたのだが、彼も、「中間色」の肌の持ち主なのだろうと納得する。

 前作が、ほぼ黒人のコミュニティの中の話だったのに対し、本作は、白人と黒人、そのさまざまな中間やネイティブアメリカンも含む家族と友人とコミュニティを描く。しかも、祖父リヴァーが少年時代に入れられた、農場刑務所「バーチランド」での悲惨な体験。その刑務所に、今、白人の夫、ジョジョの父マイケルが入っている。その出所を、妻レオニ、息子ジョジョ、妹ケイラ、母の友人、白人のミスティの四人で出迎えに行く。過去の、黒人差別のきつく残っていた時代の祖父の体験と、現代の家族、そして生きているモノだけではなく、その間にひどい差別の中で殺された死者たちの物語。それらが絡み合って、物語は展開する。

 人種差別問題だけがテーマかというと、そんなことはない。母レオニは、子どもをうまく愛せない。ジョジョのこともケイラのことも愛したり世話をしたりということができない。3歳のケイラは、13歳の兄ジョジョにいつもへばりつくようになついており、母親には全くなつかない。そのことがさらにレオニの、ジョジョとケイラを愛せない理由になっていく。マイケルも刑務所に入っている。なので、ジョジョとケイラは母方祖父母(ネイティブアメリカンと黒人の方)のことを「父さん、母さん」と呼んで暮らしている。家族の、親子の間の愛の問題。愛の問題は、気持ちだけではなく、ものすごく具体的な「ケア」、世話をすることとしてまず表れる。誰かを慈しみケアをすること。ケアはうまくできないけれど本当は愛したいと思うこと。そういうことの関係が、細かく丁寧に描かれていく。そういう強い気持ちは、死んだ存在との間にまで広がる。抽象的な話ではない、ものすごく具体的で生々しい、しかも性愛も一部にはあるが、それよりも「ケア」と紐づいた家族の愛の問題が、描かれている。

 そうだなあ、前作と続けて考えても、「ケア=世話をすること」ということと、愛することと、その愛する存在の生と死、ということを描いているのだよな。そのいろいろな形、関係性。前作のハリケーンの話も、この小説のいろいろな人種の間の、人種差別に関わる問題も、それを真正面から描いてもいるのだが、この作者の独自性と言うのは、世話をするということと愛するということとその生死というものを掴みだし、描き切る、その点にあると思うのでした。






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