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『藻屑蟹』 赤松 利市 (著) 原発事故後、何が起きていたのかを、知りたい人だけでなく、知りたくない人も、ぜひ。お金が人間をどう壊すかについて書かれた傑作でした。

『藻屑蟹』 (徳間文庫) (日本語) 文庫 – 2019/3/8赤松 利市 (著)

Amazon内容紹介
「一号機が爆発した。原発事故の模様をテレビで見ていた木島雄介は、これから何かが変わると確信する。だが待っていたのは何も変わらない毎日と、除染作業員、原発避難民たちが街に住み始めたことによる苛立ちだった。六年後、雄介は友人の誘いで除染作業員となることを決心。しかしそこで動く大金を目にし、いつしか雄介は……。満場一致にて受賞に至った第一回大藪春彦新人賞受賞作。」

ここから僕の感想。

Amazon内容紹介通り、原発事故後の除染作業員、原発作業員、避難民、被災者遺族などをめぐる話です。なので、この小説を「原発事故」後、起きたことをテーマにした小説、と、まあ普通は論じるし、そう読むわけです。だから、そのことについて、あまり近づきたくない人、考えたくない人は、読まなかったりすると思うのですが、もったいない。

もちろん原発事故の結果、どういうことが起きたのかは知るべきだし、その意味で読まれるべきなのだが、それを通じて、すべての人に関係のある、えげつなく具体的かつ根源的なことが書かれています。

 それは、強烈に「お金が人間を壊す」こと。放射能が人を壊した以上に、お金が人を壊したこと。それとどう向き合うかの話なのですよ。そのことが、おそらく歴史上、かつて無いほどに露骨に凝縮して起きたのが、原発事故後の福島、東北だった。

 そのことに、あまりにリアルに迫ったために、賞の審査員も出版社も「物議を醸す恐れ」に一様に言及しつつ、「それでも、リスクを冒してでも世に出さなければならない」と語っています。そういう作品です。

 主人公の、現在、稼いでいる金額、友人が稼ぐ金額、欲しいと思う金額、頭の中を渦巻く札束が、何度も何度も何度も、念仏のように書かれていきます。それをめぐって人間関係が動いていく。人物も、どういうサイズのお金と連動している人物なのか。それによって、住むところ食べるもの飲む酒がどういうふうに変わるか。具体的な食べ物飲む酒の描写の積み重ね、そのリアルさ。

 仕事や行為、その価値や意義と、お金・金額の関係の歪みが、人間をどういう風に変えていくか。壊していくか。その究極の形として、人の命を金に換えること、それがどれほど強烈に決定的に人を壊していくか。

 では、壊されないものは何なのか。壊されないために、人はどう生きるのか。金ではない、仕事への誇りや人生の喜びというのはありうるのか。何なのか。

 こういう視点で見ても、単純な善悪に収まりきらない、複雑で魅力的な人物が次々に現れます。初めにこの作家の小説を読んだのは最新作『アウターライズ』だったのですが、そこでも同様。人はお金に壊されそうになるが、そのこととプライドや守りたいものの間を、人はそれぞれの方法で、なんとか折り合いをつけて生きようとする。

 大藪春彦新人賞というのは、エンターテイメント小説に与えられるもの、作者自身も自分は中間小説を書いている、ということをツイッターなどでも発信しているが、いやしかし、これを純文学と言わずに、何を純文学というのか、というほどに、人間の複雑なありようを描き出しています。

 そして最後に、「本、読書についての小説」でもある。私には、胸に迫るところがありました。印象的な一節、引用します。

 〈宿に戻って、最後の宴会になった。俺は、今までオヤジさんに読ませてもらった本の話をした。どれも、身に沁みた話だった。だが、まだ読んでいない本のほうが多かった。それがひどく残念に思えた。「俺が死んだら、全部やるよ」とオヤジさんは言ってくれた。違うのだ。本を読んだ感想を、オヤジさんに伝えて、共有できないことが残念なのだと、それは言わなかった。〉

 僕の読書人生の師匠しむちょんの顔が浮かんで、「しむちょん、俺より長生きしてくれないと困るなあ、」と思いました。

 追記。並行して読んでいる『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』デヴィッド・グレーバーが、意味や価値と報酬がアンバランスな仕事が、どれほど人間性を破壊するか、という、全く同じテーマを社会科学の本として書いていて、2冊同時に読むのは、偶然にしては出来過ぎ。無意識に僕の関心が、そこに向かっているのだろう。ブルシットで高収入な広告業界を引退し、一転、無職無収入に転じて金が無い状態になった、その落差に、苦しんでいるのかもしれない。1冊だけでも強烈なのに、2冊同時に、自分の境遇に突き刺さるので、激しく元気がなくなった。「なんで元気が無いの」と妻に聞かれて、「うーん」と説明するのが面倒でごまかしたが。この二冊を読んでいたせいである。

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