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『〈現実〉とは何か』 (筑摩選書) 西郷 甲矢人 (著), 田口 茂 (著) 現象学と数学の最先端の対話から、現実と主体の関係、「自由」についての深い洞察に到達する。数学門外漢でも、なんとか読めました。

『〈現実〉とは何か』 (筑摩選書) 2019/12/13
西郷 甲矢人 (著), 田口 茂 (著)


Amazon内容紹介

「数学(圏論)と哲学(現象学)の対話から〈現実〉の核心が明らかにされる! 実体的な現実観を脱し、自由そのものである思考へ。学問の変革を促す画期的試論。」


ここから僕の感想意見


読書師匠のしむちょんの読書領域のひとつに、現象学から認知科学のあたりから現代思想という領域があって、たいていの場合、僕は読んでも良く分からないのである。


 この本は、現象学の専門家と数学者が、お互い専門の中に共通する視点から、〈現実〉といっても、なんというか、存在論的というよりは、認識論というよりは、倫理学的というか、人間の自由とか行為とかと現実の関係性についての考察を深めていくという本なのですね。で、存在論でも認識論でもなく倫理学的な問いというのと数学とは、ものすごく無縁な感じがしますよね、普通。自由意志とか人間の行為と現実の関係とか、そういうことの深い問題が、数学の最先端のありようとどう関係しているということを解いていく。量子論の二重スリット(光が粒子であると同時に波動であるということ)から語り起こして、ここは、なんとなく知らないこともない話なのだが、そこから「不定元」とか「非基準的選択」とか「関手と自然変換」とか「自然変換」とかいう、聞いたことも考えたこともない数学的考え方を解説しながら、最終的に〈自由〉から現実を捉え直す、最終章に至る。数学全く門外漢の私にとっては、数学部分の記述は一種のたとえ話としてしか理解できず、たとえ話と哲学的思考がいったりきたりする読み物としては、まあ理解できる。同じ考え方を繰り返し語りながら少しずつ進んでいくので、読んでいる限りについては、分かるような気がしてくる。読み終わって、何かが分かったかというと、あまり自信はない。


 ただ、読みながら、なぜか、将棋の天才、藤井聡太の頭の中というか、将棋というものの見え方が、他の棋士とどう違うのかについて、もしかするとこのことは関係あるのかもなあ、というようなことを考えていた。この本の重要なメッセージとして「問いが無ければ答えは無い」
もうすこし詳しく引用すると

「このように考えるならば、真理とは単に発見されるのか、それとも創り出される〈創造される〉ものなのかという問いに対しては「どちらでもありどちらでもない」と答えることができる。いわば、「その真理は元からあった、つねに成り立っていた」ということが創造される。真理そのものが勝手に創造さけるものではない。真理は厳然と変えられないものとして露わになるのだが、その「厳然と変えられないものとして露わになる」という事態が成立することは、何らかの創造的な非基準的選択によって可能になる。「発見する」というときには「誰でも発見しえた」ということを含意し、「創造された」というときには「一度限りの主体的な活動によって」ということを含意していると思われるが、この二つは対立することではなくて、われわれが非基準的選択と呼ぶ一つの出来事にもとづいて、はじめて語りうることなのである。」


 おそらく、この本を単なる人文系の哲学の内部で考えれば、このような立場というのは今までもあったことだと思うのだけれど、AIとか、脳と自意識とか、そういうことの研究をする人にとっては、意味が大きいのだろうなあと思います。


 人間にとって、具体的なある問いが発せられる具体的な状況において、選ぶ前にはどれも選びうるが、選んだ後にはもうそうでしかありえない選択が現実を更新していき、そのことが他者と私の間で交換可能な普遍性をもつということが、後戻りできない形で明らかになりつつ進んでいく。そのような現実と主体の間の関係というもの、何か、藤井聡太竜王が、将棋の手を創造しつつ発見していく。何か、そういうことを考えながら、「渡辺名人vs藤井竜王」の王将戦をテレビに映しながら、この本を読んでいたのでありました。


 ときどき、こういう、頭を根源的にもみほぐすような本は、読まないといかん。しむちょん、教えてくれて、ありがとう。この本は、とりあえず、読めました。


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