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『アナロジア AIの次に来るもの』 ジョージ・ダイソン(著)服部桂(監修)橋本大也(翻訳) 著者の個人史・家族史語りがそのまま「オッペンハイマー」や「三体」からIT革命につながるびっくり本でした。でもアナログの話は??でした。

『アナロジア AIの次に来るもの』 2023/5/20

ジョージ・ダイソン (著), George Dyson (著), 服部 桂 (監修), 橋本 大也 (翻訳)

Amazon内容紹介

『チューリングの大聖堂』著者、待望の新作!
世界は連続体(アナログ)である。この事実に、震えよ!
0と1(デジタル)によらない計算は人類に何をもたらすか? ポストAI時代の予言書
* * * * * * * * * *
0と1(デジタル)で世界のすべてを記述することは本当に可能なのか? デジタルの限界が露わになる時、「アナログ」の秘めたる力が回帰する――。
カヤックビルダーとしても著名な科学史家が博覧強記を揮い、ライプニッツからポストAIまで自然・人間・機械のもつれあう運命を描く。

Amazon内容紹介

★フィナンシャル・タイムズ紙 年間ベストブック!
「卓越した視点に仰天した。われわれのまだ気づいていない次世代の情報宇宙観の顕現に立ち合える」
――服部 桂(ジャーナリスト、監訳者解説より)
「これほど変わった面白い本は読んだことがない。すべての段落に驚きがある」
――ケヴィン・ケリー(『WIRED』創刊編集長)
「霧のかかったような日常生活に風穴を開けてくれる。優れたダイソン家ならではの閃きだ」
――ジャロン・ラニアー(VRの父)

Amazon内容紹介/本の帯

ここから僕の感想

 僕にデヴィッド・グレーバーを教えてくれた広告業界きっての教養人、月村さんがFacebook投稿で紹介していた本。「かなり変わった本だけれど、原さんがどう読むか感想を聞きたい」というような形で薦められた本である。月村さんは僕より一回りくらい若いと思う。

 本当に変わった内容である。大きく言うとノンフィクションで、科学史的随想、とでもいうような内容である。いくつかの、相当に関係なさそうなテーマの9つの章からなる。関係なさそうだが、もちろんつながってはいる。その扱われるテーマを思いつくまま書くと(登場順ではない。あえて言うなら、僕の印象に残った、驚いた、面白かった順である。)
①筆者の個人史・家族史と、
②コンピュータの発展史の過去から未来に向けた大きな話と、
③北米原住民の歴史、
③の1 ひとつはアラスカ側、アリューシャン列島からアラスカから、カナダバンクーバーにかけての原住民の文化や生態系と、それを西洋のロシアとイギリスの探検家・征服者がどうかかわったのか、どう滅ぼしちゃったかの歴史である。ベーリング海峡の名前になったベーリングさんとか、そういう人たちの歴史の話である。
③の2 もうひとつは、アパッチを最後の抵抗者とする北アメリカ全体のネイティブアメリカン(昔風に言えばインディアン)が白人、アメリカに征服されていく歴史。アパッチの最後の抵抗者、ジェロニモの話がたくさん出てくる。

 なのだが、①の個人史、科学史というのが、これが著者ジョージ・ダイソンの父・母・姉、というのがびっくりするほど大変な凄い人たちなので、家族史を振り返るだけで、もうコンピュータの誕生と原爆水爆開発と宇宙開発と情報産業の発達と未来について、その中心で起きてきたことを振り返るような話になってしまうのである。映画「オッペンハイマー」とネットフリックス「三体」に登場する人物や科学技術要素や発展の歴史が、もうまるごと家族史として語れてしまうというとんでもないお父さんお母さんお姉さんなのである。お父さんは数学から原始物理学「場の量子論」にアプローチするという学者で、戦後、ロスアラモスのマンハッタン計画から分かれて設立されオッペンハイマーが所長となりアインシュタインも在籍した研究所に招聘された。後に核爆弾を太陽系を探査するロケットの推進力として活用するプロジェクトの中心となる。核兵器と宇宙開発に関わる最高の頭脳の1人だったのである。(お父さん一人の個人史で、オッペンハイマーから三体までカバーしちゃっていることは、分かる人にはわかりますよね。)
 お母さんは「群論」という数学の研究者である。
 お姉さんは、IT業界黎明期から、その分野の投資アナリストとして伝説的成功を収めた投資家にしてIT業界の権威である。

 なので、もう家族史を語ると20世紀の巨大技術とITの歴史が語られてしまうのであるな。

 そういう偉大なお父さんとお母さんとお姉さんがいたら、本人はたいていぐれてドロップアウトするわけだが、ジョージ・ダイソンさんも当然、そうなる。16歳で家出してアメリカを放浪してアラスカからカナダのバンクーバーの入り江にツリーハウスを自力で作って、自力で作ったカヤックでそこら北の海を漕ぎまわる。自然と原住民文化や歴史を自己流で研究する。

 のだが、天才物理学者数学者の血は争えない、アリューシャン列島の原住民がかつて作った、失われてしまった「バイダルカ」というカヤック、海獣の骨で枠組みを作り、皮が貼られたカヤックの、特殊な構造、波の抵抗を打ち消し、信じられないような速度と安定性を持っていたカヤックのことを研究するために、流体力学やらなんやらを自力独学で学習して解析して再現しようとしたりするのである。そんなこんなをしているうちに、科学史についての本を書いて、科学史家になっているのが著者、ジョージ・ダイソンさんなわけだ。

 というわけで、この本も、1/3くらいはこういう、父、母、姉、自分の家族史・個人史なんだな。それだけでも面白い。

 のだけれど、本書のそもそものテーマというか、書き始められたときのはじめの目論見は、デジタルということの起源から、デジタルの進化発展が人智を超えたところまで突き進み始めた現在において、その未来と、反対概念である「アナログ」について考えるというものなんだな。「アナロジア」というタイトルは「アナロジー」のほうじゃなく、「アナログ」(語源は一種なんだろうな)についての本だよ。ということ。

 監訳者解説で服部桂氏はこう書いている、

そんな中で、アナログは「デジタルを使えない落ちこぼれ」ではなく。実は人間の知性の本質であり、「もうデジタル時代は終わり、次の社会はアナログが支配する」などと主張すると、昭和のアナログ人間が、不勉強を顧みずに社会を敵に回しているように聞こえるかもしれない。
 デジタルは万能なのか
本書『アナロジア AIの次に来るもの』はこうした一見時代錯誤のような提案を大胆にも正面から掲げた、まさにイコノクラスト(偶像破壊者)的な問題提起の書だ。

P340~341

 まずね、「デジタル」とは何か、についての科学史的記述のスケールがとんでもないのだな。本書の8章から

デジタル・コンピューティングはライプニッツに遡るが、彼はその基礎となる二進法の発見を中国人の功績であると認めていた。ライプニッツは『中国自然神学論』の中で、ニコ・ド・レモンに「(『易経』の)六四卦は二進法を表しており、(中略)私はそれを数千年後に再発見したのだ」と書いている。(中略)
ライプニッツは1672年、ブレーズ・パスカルが作った機械式計算機にヒントを得て、車輪を使った機械式計算機を作った。そして、1679年に記述があるように、二進法を使って車輪なしで動作するデジタル計算機を発想した。
 (中略)二進法の文字列を左にひとつずらすとその数値は二倍になり、右にひとつずらすと二分の一になる。この演算は、それを実装する機械式ゲート、電気機械式ゲート、電子真空管、固体回路(ソリッドステート・トランジスター)とは論理的に独立しており、今もマイクロプロセッサーの内部にサブミクロンのサイズで組み込まれている。

p-265~266

 ねえ、このあたり、『三体』を読んだり見たりした人だと、ニヤリ、ですよね。

 そして、このライプニッツがピョートル大帝のブレーンのようなことをしており、ライプニッツの提言によって、ロシアのカムチャッカからアメリカ探検(当時はまだ陸地がつながっているのかいないのかもわかっていなかつた)、今でいうアラスカへの探検は始まったのである。そう、デジタルの歴史をたどる旅と、著者のバンクーバーでの、北米北西岸からアリューシャン原住民のカヤック研究や、バンクーバーでのツリーハウス生活の話が、つながった話してとして語られていく。本書はまずはこのロシアとアラスカ境目アメリカ探検の話からスタートするわけだ。

 じゃあ、アパッチ族とそれを征服する白人の話が「デジタルの歴史」とどう関係するか、というと、それはアリゾナ砂漠があまりに乾燥していて空気中に水蒸気がないために、光が減衰せずに直進するので、原住民は光と煙、反射する金属片で通信することができた。征服する白人側がその特性を利用して、より高度なヘリオグラフ、太陽光反射通信設備を作った。それは光デジタル通信網の祖先のようだ、ということで、アパッチ族の最後、ジェロニモの抵抗と、それを追い詰める白人の話というのと、デジタルの歴史が絡まって話は進むのだな。

 こんな具合で、デジタルコンピューティングやIT革命の歴史を思いもよらぬ歴史とからめて語ること、それがいつのまにやらダイソンの個人史、家族史とからまってくること、そういうなんとも『変わった」としかいいようのない本なのである。

 知らないことを知るのが楽しい、という意味では大変に楽しい読書であったわけだが、それでは「デジタルとアナログ」についての科学史的な多様な視点から、著者が何を言わんとしているか、そのことについてどう思ったか、という話になると。

 デジタルの進化した究極の先端でおきていることがアナログ的になっている、ますますなっていくというのが本書最終章で著者が言いたいことのようである。
①AIがどういう形で作動しているかが、人間が理解できなくなっている。アウトプットされるものが人間の精度を超えたものになっているのは、囲碁将棋のAIから天気予報まで、人間を超えているわけだが、どういうプロセスでその予測が出てくるかは、人間が理解できなくなっている。
②コンピュータネットワークにつながった大量のコンピュータが並列処理を行うことで、単線的なデジタルコンピューティングではない並列処理的(働き方の様態的にはアナログ的ょになっている。
 とか、僕の理解度だと、まあなんか、そういうことみたいである。非中心的で分散的で自己増殖し人間によるプログラミングを超えた何かに、デジタルの進化が突き進んでいるのだろうことは、まあ、そうなんだろうと思う。

 それは、アナログと言っちゃっていいのかなあ。わからないなあ。

 ということで、家族史&先住民史&世界史的視野でのデジタルの歴史というものがいったりきたりする読み物としては大変面白かったけれど、「これからの世界」について、何が語られているかというと、分かるところまではそんなに新しくないし、分からない部分については僕に専門知識が欠けているなあ。という本でした。
 月村さん、そんな感じでした。




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