NHK「ウクライナ語で叫びたい」日本在住ウクライナ人ディレクターが、「ウクライナ語とロシア語」の併用と自己のアイデンティティ、そして愛国心についての葛藤を綴ったドキュメンタリー。本人、そして家族の、戦争前と開戦後の、意識変化、深く考えさせる。

NHK HPから。

「ウクライナ語で叫びたい」
「わたしの国が戦場になった」日本在住ウクライナ人ディレクターによるセルフドキュメント。ウクライナ人であり、ロシア語で育った自分。侵攻前後の葛藤の記録。」

ここから僕の感想


 侵攻前から、ウクライナでの「ウクライナ語とロシア語」併用していることの意味を自ら問い、家族や友人に取材、インタビューしたりして、おそらくは番組を作ろうとしていたノヴゥツカ・カテリーナさん。
 キーウ育ちのウクライナ人。NHKのディレクター。キーウで暮らす家族(父、母、妹)もロシア語で話して生活していたのだが、ある時期から、お父さんだけが全くロシア語を使うのをやめて、カタコトのウクライナ語しか話さなくなった。きっかけは2014年のクリミア戦争と東部ドンバスの戦争。お父さんはプーチンが「ロシア語を話す人を守る」ということを口実に戦争をしかけていることから、ロシア語を使うことはロシアの侵攻を招くのではと考えたのだ。
 一方、妹は「政治と言語は結びつけない、生まれた時から親から聞かされて話してきたロシア語。大好きな絵本もロシア語。」母は「使っている言葉と愛国心は別、家族の思い出とロシア語は結びついている。それを否定することはできない」と。
 カテリーナと妹が子ども時代に二人で歌を歌っているビデオ。懐かしい思い出。ロシア語の歌。それを否定することはできないとカテリーナも思う。このあたりは、戦争前のときの映像。


ウクライナ語の自分とロシア語の自分。両方とも自分。愛国心と言語。そのことに悩み、NHKの同僚に相談したりする。


 そうこうするうちにだんだん戦争への緊張が高まってくる。ウクライナの友達、大学の同級生何人かとも話す。ロシア語メインの友達二人と、ウクライナ語の地域の友人が一人。ロシア語話者友人は「職場でロシア語を使うことを批判されてとても嫌な思いをした」と語る。ウクライナ語話者友人は「ロシア語は普及してほしくない、生活に必要だとは思わないような国になるのがいい」という。


 家族の中にも、友人の中にも、ロシアのクリミア侵攻、2014年あたりから、「ロシア語とウクライナ語」問題で、意識の違い、分断が起きていることがわかる。


 開戦直前の2月 北海道在住のベラルーシ人女性にインタビューをしに行く。ベラルーシは言語については、ソ連時代「ロシア語・ベラルーシ語併用状況」だったのが、独立後、ウクライナとは逆に、ロシア語のみを優先使用公用語にしたので、現在はベラルーシ語を普通に喋れる人が少なくなっている。それだけにむしろ、ベラルーシ語と愛国心の結びつきが強くなっている。このベラルーシ人女性の夫は、国籍としては日本人だが民族的にはアイヌ。アイヌの独自の言語アイヌ語は「ネイティブな言葉」として喋れる人がほぼ失われている。夫は、ネイティブにはアイヌ語を話せない中で、自らも学び、その言葉の復興復活を目指しての活動をしている。夫婦の一人娘は日本語が初めに身に着けた言葉で、ベラルーシ語とアイヌ語を絵本などで学んでいる。この家族では言語はアイデンティティと強く結びついている。


 この取材の帰り、2月24日、家族から連絡があり、ロシアの侵攻が始まる。キーウ在住の家族から爆撃が起きていると。怒り、恐怖、混乱。激しい衝撃を受けるカテリーナさん。「言語については、正直、もう、どうでもよくなった」


 妹マーシャとビデオ通話する。このマーシャさん、「キエフから、キエフの様子を英語で世界に発信する女性」として、戦争開戦当初、何度がNHKのニュースに登場していた。そうか、妹さんだったんだ。


 結局、妹さんとお母さんはウクライナ西部に避難し、お父さんだけキーウに残った。
 
 東京渋谷でウクライナ人の親友と会う。会話が前はロシア語だったのに今はウクライナ語になっている。「ロシア語で文字を書くことさえ嫌だ。プーチンは(ウクライナに攻め入ることで)むしろウクライナ化(ウクライナ人の愛国意識を強めるという)を進めている」と友人は言う。


 ウクライナ、北部の激戦地、チェルニヒウから日本の石巻に避難してきた中年女性イリーナさんとその老母に取材にいく。息子はウクライナに残ったという。18歳以上で、兵士として国を守るために残ったのだ。チェルニヒウの悲惨な状況を生々しく語る。このイリーナさん「実は以前はロシア語でした。戦争中にふと気づきました。私たちを殺しに来た人の言葉を話したくない。私たちには自分の言語があるのに、なんで私はウクライナ語を使っていないの?これからはウクライナ語を使う。使って見せる。」

 カテリーナさん、妹、母とまた会話する。二人ともウクライナ語で話している。

 母は「今は過去と言語を結びつけない。読んだ本のストーリーは覚えているが、何語で書かれたかは忘れているような」
 妹は「私の世代は新しいウクライナを作れる気がする。ロシアの影響なしのウクライナ。私の子供にはウクライナ語を教えて、次世代は完全なウクライナ語になる。子どもに教えたいのは憎しみではなく、ウクライナへの愛情と誇り。それがなぜ大切なのかを教えたい。私はそれを十分に分かってこなかったから。」


 この番組からわかるのは、キーウとその近辺では、この侵攻前までは、「ロシア語ウクライナ語・言語併用」の実態が普通にあったこと。少なくとも2014年以前にはその併用については「ロシア語都会的、ウクライナ語、田舎の、素朴な」くらいの意識で併用状態に問題意識を持っていない人が大半だった。クリミア侵攻から、そのことに疑問を持つ人が一部生じていて、それでもまだ少数派だった。普通にロシア語で生活している人が多かった。(ロシア語話者が多い東部だけでなく、首都キーウでもそういう感じだった)。母、妹、カテリーナさん本人の戦争前状態。

 それが、この侵攻で、はっきりと「ウクライナ語使用への意志、ロシア語への拒否感、明確な愛国心」が、ウクライナの人の中に生まれた、と言うこと。プーチン、大失敗じゃんね。

補足
※番組初めの方でロシア語とウクライナ語の関係について、単語の六割くらいは、ほぼ同じ、すごく似ている。あとの4割は全然違う。
「こんにちは」はプリヴィットとプリヴェット(露)
そっくりだが
「ありがとう」はジャークユ(ウ)とスパシーバ(露)
全然違う。
東京弁と関西弁でも、単語レベルで
「ありがとう」と「おおきに」で違う。ちなみに沖縄弁だと「にふぇーでーびる」。
 
 ロシア語とウクライナ語の違いは東京弁⇔関西弁に近いのだと思うのだよな。聴けば分かる。沖縄弁(うちーぐち)だと、ほぼ、分からないもんね。


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