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『冬の犬』 アリステア・マクラウド (著), 中野 恵津子 (翻訳) 短編なのに人生の、一族の雄大な時間がまるごと描かれる。まるごと入っているのに細部が生々しく鮮烈。読み終わって、各編ごとに、茫然とする。

『冬の犬』 (新潮クレスト・ブックス)2004/1/30
アリステア・マクラウド (著), 中野 恵津子 (翻訳)

Amazon内容紹介

「舞台は、『灰色の輝ける贈り物』と同じ、スコットランド高地の移民が多く住む、カナダ東端の厳寒の島ケープ・ブレトン。役立たずで力持の金茶色の犬と少年の、猛吹雪の午後の苦い秘密を描く表題作。ただ一度の交わりの記憶を遺して死んだ恋人を胸に、孤島の灯台を黙々と守る一人の女の生涯。白頭鷲の巣近くに住む孤独な「ゲール語民謡最後の歌手」の物語。灰色の大きな犬の伝説を背負った一族の話。人生の美しさと哀しみに満ちた、完璧な宝石のような8篇。」

ここから僕の感想。

 もともと本国では一冊で出版された短編集『Island』、それを日本では年代順に並べた初期8作品が『灰色の輝ける贈り物』、後半8作品がこの『冬の犬』。1977年から1999年までの作品。ということは、作者41歳から63歳の作品である。

 前作を読んだ感想文では、短編と言うのは、長編小説と較べて、一瞬の美しかったり痛切だったりする瞬間に収斂するように、劇的に構成される度合いが高い、そういう素晴らしさがあると書いた。のだが。この人生後半に書かれた短編小説群は、短編でありながら、1人の人の人生まるごと、いや、それより遥かに長い一族の歴史が、短編の中に描きこまれていく。それは、本当に、奇跡のような腕前。大きな時間の作り出す重さ、うねりと、それがある痛切な感情、結末へと流れ集まっていく。8篇、どれも、読み終えた瞬間に、言葉を失う、胸にこみあげる、それぞれ質の違う感情が巻き起こる。

 正直、こんな短編小説は読んだことがない。というのは、普通、短編に大きな時間を持ち込むと、どこか寓話的になるのが普通だと思うのだが、そうならない。のは、細部の生々しさ、現実感が強く、そういう作り物感が全くないから。一方、細部が生々しいと、普通は短い時間に起きた出来事の中で短編小説は終わるはずなのに、そうではない。描かれる時間の大きさが、雄大である。どうしたら、こんなことになるのだろう。

 カバー背表紙の池澤夏樹氏の評。

「アリステア・マクラウドの小説の中では、人生の素材が違う。今のぼくたちの日々はアルミとプラスチックだが、彼の世界では人は鉄と針葉樹と岩に囲まれて生きている。風が騒ぎ、死とセックスと労働は強い匂いを放ち、家畜の吐息が耳にかかる。(中略)つい20年前まで、人はこんな風に生きることができたのだ。」

 僕らの人生は、どうしてこんなにペラペラの素材だけになってしまったのだろう。

 さらに加えるならば、そうした生々しさが失われる現代人の人生の感触まで、いくつかの短編は描きこんでいる。生々しい過酷さから距離を取って生きられる都市の生活者であっても、(トロント、という都市が、その象徴的場所として、この作者の小説では繰り返し現れる。)、それでも死をめぐって、トロントの都市生活者の中にも、島の、一族の運命、歴史が蘇ってくるのである。(『鳥が太陽を運んでくるように』など)

 この小説群に描かれた人生の感触と比較して、私のような、日本の現代の、都市生活者二代目三代目というのは、そういう大きな時間のうねりから、本当に切り離されてしまっている。「一族」と言うような記憶も知識も、持たない。土地の記憶からも離れている。この短編集を書いた作者の年齢幅を現在、生きている私としては、自分の「人生まるごとの根の無い感じ」を、どうしても、考えてしまうのである。

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