「戦争と、個人の幸せ、国民全体の幸せ」について考える。その戦争で幸せになった人はいるのかと考える。~昨日で終わった朝ドラ「カムカムエヴリバディ」を振り返りながら。

 連日、ブチャはじめ、ウクライナ各地での恐ろしい映像、情報を見ていると、正気を保つのが難しい。

ホメンコさん『ウクライナから愛をこめて』では、どの近親者人生にも、戦争がいやおうなく影を落としている。

 今、僕は『ウクライナから愛をこめて』オリガ・ホメンコ著という本を読んでいる。小さくて薄くてかわいらしい装丁の本。日本に留学したウクライナ女性が、日本語で書いた本。ウクライナと言う国を知ってほしい、という気持ちで書いた本。まだ半分くらいしか読んでいないので、全部読んだら「読書家ノート」の方に感想は改めて書こうと思うが。

 ホメンコさんのおじいさん、おばあさん、親戚の女性、子供の頃の親しくつきあった隣人。そういう人たちの思い出をつづる短いエッセーが続く。

 そこで語られる親しい人についての人生には、ウクライナの厳しい歴史が必ず影を落とす。

 「チェルノブイリの後遺症で白血病で若くして亡くなった親戚の若い女性」「ドイツ語ができたためにナチスに占領されている間、ナチスの通訳をしていたために、ソ連軍が来た時に殺されてしまったおじさん」「若い腕のいい仕立て屋だったのに、第二次大戦で戦争に行って、すぐに死んでしまったおじいさん」「コルホーズの世話役もしていた村長さんだったために、ナチスが攻めてきたときに、殺されてしまったもうひとりのおじいさん」「ユダヤ人のお隣の娘さん。恋人もユダヤ人。彼の家族はバービィ・ヤール渓谷の虐殺で全員死んで。恋人は兵隊で戦争に。女性は家族とシベリアに逃げた。戦争から帰ってきた彼は、彼女が死んだと思い別の女性と結婚、子どもも生まれた。そこにシベリアから、彼女が返ってきた」という悲劇。「ひいおじいさんが、苦労して働いてお金を貯めて土地を買って農地を拡げた4年後に、ロシア革命が起きて、土地を全部取り上げられた話。」

 文章も淡々としてほのぼのとしているのだけれど、語られる内容は、近親者の誰もが、ウクライナという国の悲劇に翻弄された人生を送ってきたかに触れざるを得ない。

 戦争が起きたり、革命が起きたりということには、それは「国際政治」とか「戦争と経済」とか「国の中の不平等や自由と抑圧」とか、そういう視点でいえば、それなりに理由はある。どういう理由でそのとき戦争は戦われたのか、革命は起きたのか。それは理由はある、必然はあるのだけれど。

 「その戦争で幸せになった人はいるのか」ということを考えさせられる。

 戦争が終わった直後には「戦争が終わってほっとした」という人はいるとして「この戦争があってよかった」「戦争やってくれてありがとう」と思う人なんているのかな。

 勝った時には思うのかな。今の日本人は戦争と言うと、先の大戦の敗戦のことを真っ先に想起するから、そうなるのかな。

 近親者が誰も死ななくて、自分の家も仕事も無事で、それで戦争大勝利なら、「戦争やってくれてありがとう」バンサイって指導者のことを思うのかな。戦争で儲かった、という仕事をしている人は、そう思うのかな。日清、日露戦争で、近親に戦死者がいなかった日本人は、そんなふうに思ったのかな。

 そういえば、隣の国の朝鮮戦争で、日本人は、ごくごく例外(米軍軍属として帯同参戦して戦死した人や、機雷撤去に参加した海保の方など、あまり知られていない戦死者がいる)の人を除いては死ななくて、日本の国土も戦場にならなくて、いろいろな特需で景気がよくなって、「朝鮮戦争があって儲かった」「暮らし向きがよくなった」と喜んだ日本人ていうのは。けっこういたのかな。

 じゃあ、負けた戦争で、自国の戦争で自国兵士が参戦し自国が戦場になった戦争で、しかも、戦争で近親者が亡くなったり家や仕事を戦争で失ったりした上で、一生を振り返った時に「あのとき、あの戦争があってよかった」と言う人はいるのかな。いないよな。

 問いの立て方で少しずつ、ニュアンスが違うな。これは、どう問いを立てるかが大事なんだな。

 まず、「自分の国が参加する戦争で」という限定で考える。

 戦争がない人生が続いていた場合と、人生の途中で戦争が起きてしまった場合で、「戦争があったほうの人生でよかった」という人はいるのだろうか。

 戦争は個人では避けられない運命だから、そういう問いを立てるのはそもそも間違いなのかな。「あの地震がなければ」というのと同じようなことのかな。でも、地震と戦争は違う。

 日本人は、わりと、戦争を天災のように、避けがたい運命として考えやすい国民性だと思うが、ウクライナという国も、あっちからソ連(ロシア)が来て、こっちからナチス(ドイツ)か来て、その前にはロシア革命があって、その後にチェルノブイリが爆発して、それらは普通のウクライナ国民にとっては、どうしようもない話として、その間で人生を翻弄される。

 ホメンコさんの近親者で、「戦争があったから幸せになった人」というのは、いないように思う。それでもその人生を引き受けて、「戦争の際の不幸にも関わらず、その後も懸命に生きて、最後、振り返った時、人生全体としては幸せに生きた人」はいると、ホメンコさんは書いているように思う。

 日本では、どうなのだろう。戦前の体制が終わって、民主主義の世の中になって、「戦時中はつらかったけれど、あの戦争に負けて、民主主義の自由な世の中になったから、今、こんなに幸せになれた」という人はいるように思う。運命としての戦争の不幸を受け止めつつ、その後の人生をなんとか幸せなものにしようとした人はいる。いや、生き残った人の多くはそうなんだろうな。

「カムカムエヴリバディ」最終回。面白かったなあ。で、ドラマ全体を振り返ると

 そういえば、今日は朝ドラ「カムカムエヴリバディ」の最終回だった。いいドラマだったなあ。最終回直後の「あさイチ」の華丸大吉も、「その後、でハッピーエンドてんこもり」みたいなこと言っていたもんな。楽しいドラマだった、全体として。毎日楽しく見たなあ。

 というのは直近のことで。よくよく思い出すと。

 安子ちゃんがが稔さんの戦死の訃報を聞いて、神社まで走っていく回があんまり可哀そうで、思わずnoteを書いたことがあったな。戦中から戦後、るいとの別れのあたりまで、本当に可哀そうで悲惨だったよな。稔さんのお母さんの狂気とか。YOUさん、名演技、はまり役だったよな。

 「楽しく始まった戦前」→「本当に可哀そう、悲惨だった戦中、敗戦直後の時期」→「戦後の苦労」→「高度成長あたりからの日常のなんやかや」

 そういう波乱万丈のドラマだった。うん。思い出した。

 最終回の一回前、おばあちゃんになった安子ちゃん、アニー平川、森山良子が、神社でお参りしながら、「あたしが一番うれしいのはな、この映画で稔さんの夢が叶うたことじゃ。(回想シーン、稔さん「どこの国とも自由に行き来できる。どこの国の音楽でも自由に演奏できる。僕らの子供には、そんな世界に生きてほしい」)」というセリフを言ってたよな。

 安子ちゃんの人生は本当に波乱万丈で、それは戦争のせいで、稔さんを失ったあの戦争のことを「戦争があってよかった」とは絶対、ひとかけらも思っていないでしょう。

 日本という国は、悲惨な戦争に負けた。

 でも、戦争を生き残った人は、「もし仮に戦争がなかった場合の独裁的非民主的体制が続いた日本に生きるよりも、戦争に負けて民主的で自由な日本に生きられて、結果、私たちも幸せになれたんじゃないか」というふうにも受け取れるよな。このドラマ。ちょっと複雑なところかあるなあ。基調になっているのはラジオ英会話講座だし。

 ナチスドイツとはちょいと違うが、日本の、あの戦前の体制はまあ「ファシズム」と呼ばれるのだろう。戦前を理想視する一部の方からは異論が出そうだけれど、大正時代に民主主義がちゃんと根付いたかと思ったのに、いつのまにやら、軍部の力が強くなり、自由のない、国全体の戦争に表立っては誰も逆らえない国になっていったのは事実だろう。

 その戦前戦中のファシズム体制から自由な民主主義の日本になるには、アメリカに戦争で負けて、アメリカが占領支配してくれる、という以外に道はなかったのかな。国内で、日本人自身の手で、戦争をしないで、まがりなりにも存在したある程度民主的な選挙での議会政治の中で、その方向に政治の仕組みをゆっくり変革していくという道はありえたのかな。無理だったんだろうな。 

 戦前から戦中、国内でのファシズムへの抵抗運動は、穏健な議会政治の中では不可能になつていって、地下に隠れた共産党の活動だけが弾圧下細々と続いていた、反戦反政府というと共産主義者、戦時中はそういうふうにイメージされてしまうよな。そうだとすると、ファシズムが倒れるとすると共産党による革命が起きるしかなく、そうなっていたら日本は共産主義陣営に入っていただろう。運悪く占領がソ連によって行われていたら、そういう共産主義者が力を持って、戦後はそちら陣営に入っていただろう。その方が幸せだったとは、どう考えても思えないしな。冷戦時代の東側の国々の内情を知れば。

 ファシズム存続か共産主義化かのどちらかの未来だったんじゃないのかな、米軍が占領する以外の場合。

「大日本帝国が勝った場合」と「ソ連による占領」だったら、どちらも自由のない生活が続いたんだろうなあ。

 安子ちゃんは稔さんを失った後、戦後、進駐軍さんのロバートと結婚するし、ルイちゃんのだんなさん錠一郎日本人だけどアメリカ文化の象徴のようなジャズミュージシャンだし、ひなたちゃんは、最後、城田優演じる初恋のアメリカ人と結ばれそうな予感でドラマは終わる。そもそも「ラジオ英語講座」の話なんだけれど、全体として、アメリカと戦争したのだけれど、負けた後、アメリかと結ばれることで、結局、日本は幸せな人生を送りました、というドラマだったんだよなあ。それと対応して、「和菓子、あんこ」とか「時代劇」とかが対置される。日本らしさ、日本の伝統の良さが、アメリカと出会い、結ばれる。アメリカのpartnerなんだから、英語はしゃべれたほうが、より幸せになれるんだよな。

 最終回冒頭、こういうVTRで始まった。

「むかしむかし
日本のラジオ放送開始と同時に誕生した女の子がおりました
その女の子は戦争の真っただ中に、女の子を産みました
その女の子は高度成長の真っただ中に女の子を産みました
これはある家族の100年の物語です」

 あの主人公三人、戦前に生まれ戦争の不幸直撃だった安子がいて、戦争末期に生まれて、戦争の不幸の最後の部分で親と生き別れになったルイと、高度成長に生まれたひなたと。この三代の「幸せと不幸の総量」というのがあるわけで、

 これを国民全体に拡げて考えれば、「戦争の不幸直撃」の戦前生まれの人、戦争の不幸の最後の一撃は喰いつつほぼ戦後を生きた戦中後期生まれの人(、戦争の記憶の無い、僕ら高度成長期に生まれ育った世代。

  100年単位の、「国民」という集団としての「幸せの総量」と「不幸の総量」でいえば、あの戦争がなかったより、あったほうが、この100年間を生きた日本人の「幸せと不幸」の差引しでは、大きくプラスになったのかなあ。アメリカに負けて、アメリカのパートナーになるということで、今、僕らは幸せな社会に生きられている。ということなのかな。

「市民」として語る戦争と「歴史家」として語る戦争。

 なぜ戦争をするのか。昨日、この文章を書いている途中に読んだ、文芸春秋月号のエマニュエル・トッド氏の「日本核武装のすすめ」という論文。タイトルが衝撃的なんだけれど、基本的にはウクライナの戦争についての分析で、その冒頭、こう断ってから、分析を始めている。

「私自身“市民としての私”と“歴史家としての私”の二つに引き裂かれています。
 私は個人的に戦争を忌み嫌っています。若い頃、私は兵役に行けませんでした。軽い精神疾患を患い、軍隊のような規律の厳しい集団生活に耐えられないと診断されたからです。
 今回の戦争は耐え難いものです。一般市民が殺され、女性や子供が逃げ惑い、住居が破壊される凄惨な映像を目にして、戦争が始まってからのこの一か月は、一人の人間として“苦難”以外の何物でもありませんでした。他方で、人間の歴史に常にあったのが“戦争”です。ですから“戦争”について話さなければなりません。ここからは、ある意味“冷徹な歴史家”として話しますが、これは私と言う人間の一部であることもご理解ください。

 ホメンコさんの、近親者の人生を振り返るエッセイも、朝ドラ「カムカムエヴリバディ」も、「市民としての私」と戦争、という視点で言うと、戦争が人を幸せにすることなんかない。一人一人にとっては、戦争なんて、絶対にない方がいい。

 でも、どうして戦争がずっとなくならないかというと、「わが国の国民の100年の、三代トータルとしての幸せ」ということを考えてしまうと、「今のこの状態のまま、次の世代にこの国を引き継ぐことはできない」という、歴史家の視点で戦争を始めてしまう政治家がいるから、ということなんだろうなあ。

 領土の領有の争いや、他国領土にいる同胞、同民族の運命とか、口実なのか本音なのか、たいてい、そういう理由で戦争は起きる。戦争は起こされる。

 「今、こういう悲惨な目に合っている同胞がいるんだ」とか、「このままではこんな悲惨なことになるんだ」ということで引き起こされる戦争。一市民として見ると、そういう「守るべき」だったり「防ぐべき」不幸の何百倍何万倍の不幸を戦争は作り出しているように見えるのだけれどな。それは視点かあくまで「一市民の視点」からだとそう見えちゃうのだけれど、「歴史家の視点」とか「歴史家の視点を持った政治家」からすると、国民100年の「不幸の総量と幸福の総量」を差し引きすると、今、この瞬間には悲惨なことが起きたとしても、戦争はしなければいけないっていうことになるのかな。

 僕もまた、トッドさんと同様、“市民としての僕”と“歴史家としての僕”の間に引き裂かれているわけだ。

 すっきりした結論は出ない。戦争について考えると、どうしてもすっきりした結論は出ない。

トッド氏は「日本核武装のすすめ」でこう書いている。

「攻撃的ナショナリズムの表明でも、パワーゲームの中での力の誇示でもありません。むしろパワーゲームの埒外にみずからを置くことを可能にするものです。「同盟」から抜け出し、真の「自律」を得るための手段なのです。過去の歴史に範をとれば、日本の核保有は、鎖国によって「孤立・自律状態」にあった江戸時代に回帰するようなものです。その後の日本が攻撃的になったのは「孤立・自律状態」から抜け出して、欧米諸国を模倣して同盟関係や植民地獲得競争に参加したからです。」

「米国の行動が“危うさ”を抱えている以上、日本が核を持つことで、米国に対して自律することは、世界にとっても望ましいことです。」

 先の大戦で負けてアメリカのパートナーになって、幸せになったと思っているのだろうが、アメリカが信用できないパートナーになりつつある今、自律しないとだめだよ。その手法は核武装しかないのかな。そこのところはまた、よく分からない。カムカムエヴリバディ最終回の日に、たまたまトッドさんの論を読んで、ますますわからなくなるのである。


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