「20年後までに、人間の意識を機械にアップロードせよ」 東大発スタートアップは「不死」の世界を目指す」というWIRED.の記事を読んで。

この記事、面白いですよ。タイトルで検索して読んでみてください。
 で、今日、これについて書きたいかというと、単純にそういう話ではなく。

 人間、年老いると、「画期的に新しいアイデア」を理解できなくなるのだなあ、ということ。というか、画期的な新しい考えや出来事も、過去の自分の経験や知識をベースにしてしか理解できなくなるために、正確な理解ができなくなるのだなあ、ということを考えた、という話。

この記事、 
①人工知能の話というよりは、「人格のサーバー、コンピュータへのアップロード」を、科学者自身が身を挺してやる、というすごい話で

②サーバー、コンピュータ上に移された「人工移植した自己」と、生身の自己の「並列合体状態」で、人工知能が「意識」を持ちうるかを、科学者自らが観察、実験しようという試みなわけです。

③これが成功すると、サイバー空間上での「不死」が実現したり、サイバー空間で肉体レスでの人間社会ができるかもしれない、という、とてつもない未来につながる可能性があり

④不老不死を望む大富豪が、外国ではこうした研究に投資、支援をしていたりするので、そういうことも期待している。

というびっくり記事なのだが。今までの常識をひっくり返すようなことが、短い記事の中に、本当にてんこもりなんですよね。(SFの世界ではこの近辺でいろいろと作品があり、米国ではすでに研究がかなり先行している。ので、興味を持っている人としては、やっと日本でも、という話ではあるのだが。)

 別の方がこれを紹介していたのに対する反応コメントで、「2001年宇宙の旅」の「HAL」みたいな?という、まあ、だいぶ「全然、違うんですけどー」とつっこみを入れたくなる感想を書かれている方がいて、「コンピュータと人工知能」というと、「HAL」という連想でしか考えられない人っているんだよなあ、と思ったわけです。

ここで書かれている、超ぶっ飛んだビジョンを理解できない人というのが、いるんだよなあー。

 高齢化社会ですから、「いつまでも若く」とか、「いくつになっても勉強」とか、高齢者を励ます言説、考え方が世の中にあふれているわけです。実際、そうやって、元気に活躍している方がたくさんいるのも事実なので、それを全否定はしないけれど。

 しかし、まあ、過去の知識体験の蓄積が多くなると、新しいことへのシンプルな肯定的理解が難しくなる、というのは、自分の知的衰えを観察しても、明らかなので、高齢者たるもの(もちろん。これ自分のこと)、世の中の新しい流れの知的な意味での障害物にならないように、注意しないといかんなあ、と思うわけです。

話はちょっと別の方に飛びますが、

 ずっと信じていたこと、それを信じることに沿って生きてきたこと、その根底がひっくり返る。50代から70歳くらいまでの間に、人間はそういうことをいやおうなしに経験するのだと思うのです。程度の差こそあれ。
 それがひっくりかえってしまったら、今までの俺の人生は何だったんだろう。そういう思いにかられるわけです。

 イシグロカズオの小説の主人公は、たいてい、こういう体験をするわけです。戦争中、まじめに信じてやっていたことが、戦後、間違いだったとわかる。しかしもう、人生をやり直すには遅すぎる。

 原発の開発と普及に関わってきた人は、311に、こういう体験をしているはずです。誠実な人は。

 80年代の軽薄なポストモダンとサブカル融合の流れに乗っかって、広告業界で30年も生きてきた僕やその友人たちも、いったいそれは何だったのか、何か少しでも意味のあることだったのかという後悔や自責の念にかられる50代だったりするわけです。誠実な人は。

 ぼくは、そういう意味での、誠実で悲しい老人になろうと思うわけです。新しい人たちの邪魔をしないように。自分たちの残した迷惑の後始末は、できるだけするように。

僕は、政治というものが、別に好きなわけではないけれど、政治について発言しているのは、そんな思いがあるからです。

 
 この話、当然のように、最近、ずっと考えているMMTの話につながるわけです。元・経産官僚で、政権には批判的な古賀茂明氏が、AERA dotdotに「山本太郎の『MMT』理論はアベノミクスと本質は同じ」という、びっくりトンデモ記事を書いていて、まあ、なんというか、悲しくなったわけです。アベノミクスとMMTがどれくらい違う考え方かというのは、多くの論者、経済学者から政治学者から、それはMMT擁護派も批判派も含めて、今、そんな粗雑な論を語る人などほとんどいない中で、単純な政局論として「山本太郎MMTのせいで、与野党ともにばらまき合戦になる」という論を展開しているわけです。

私の友人でも60代以上の人に、明らかにMMTへの無理解と感覚的警戒感を抱く人が多く、これは明らかに「今まで信じて生きてきたことに反する」という、知的理解以前の、生理的反応のようなんですよね。そういう人たちがどれほど知的であっても、MMT、反緊縮を受け入れたくないようなんですね。

 話はこの記事に戻って、2014年の「トランセンデンス」という、ジョニーデッフ主演の映画が、まさにこの「人格まるごとのアップロード」による不死、人工知能とアップロードされた人格の境界と融合ということを扱っていて、興味深い。映画としてはとっちらかった印象の映画ですが、科学技術がどっちに向かって加速しているのかは、かなり正確に描かれています。

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